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小早川秀秋が東軍に味方した始まりは

2013年06月20日 19:55

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/19(水) 23:52:42.26 ID:kailfFLM
小早川秀秋が東軍に味方した始まりは、黒田如水が近国の親しみがあったので
秀秋の家臣・平岡石見へ使者を遣わしてきた事にある。

如水は「秀秋卿がこの度内府へ御味方すれば、御家の為にしかるべしと存じます。
また、恩賞の御望みがあるならば御取り持ちいたします」と伝えてきた。

早速、平岡は稲葉内匠、杉原紀伊守へ内談した。何れも如水の申される通りが
しかるべしという事なので秀秋へ達したところ、彼もまた同意した。

そこで「仰せ下された通り内府公の御味方へ参ります。軍功があれば宇喜多の領国を
御恩賞に預かりたく思います」と返答して、内意を申し遣わしたのだという。

しかし、秀秋は大坂に上り、表向きは西軍に加わって大津城をも攻め落とした。
ところが、大老・奉行・その他諸将が大坂に集った時、この度の戦いが利運になって
恩賞がなされるであろう時の国々の割付などがあったのだが、秀秋は自分の名が欠けて
無かった事に怒り、いよいよ関東方となることを心中に思い極めたという。

けれども、秀秋はなお家臣の諌めをも問うたところ、一様に「東軍の御味方しかるべし」
と申し上げた。その時、秀秋は返答に及ばず座を立って入ったので、その内心は
関東方であるということを一同は察したということである。

さて、秀秋は関ヶ原へ出陣し松尾山に陣を据えた。その時に関東方の色を立て、
大谷吉継の備へ鉄砲を撃ちかけて切り崩し、徳川家康の御陣へ参り謁見した。

それから近江佐和山城を乗っ取るなどの功により、かねてより所望の意向にまかせて
備前国が与えられるという噂がなされ、これを聞いた秀秋は「宇喜多領すべてをとこそ
思ったのに、備前だけではきっと名島領と同じ知行高であろう!」と憤った。

これを聞いた家康は「若き人にはそういう思い違いもあるものだろう。
それならば美作を添えて両国を参らすとしよう」と、備前・美作を秀秋に与えた。

――『備前軍記』





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    小早川秀秋が旧宇喜多領に移ったのは、
    秀秋本人が元からそういう希望を持っていたのですか。
    単にそのくらいが「相場」だと思ったのか、
    それとも宇喜多秀家に対して因縁があったのか。

    ところで、
    >表向きは西軍に加わって大津城をも攻め落とした。
    これは伏見城ではないでしょうか?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >※1殿
    備前軍記が元ネタなんでそういう希望を持っていたか自体怪しいとは思いますが、
    木下一族であり豊臣家後継者候補でもあったのに、
    養子に出された上に減封を命じられる等下り坂人生だった秀秋さんが
    豊臣との血縁がないのに、ネネさんに可愛がられ、五大老にまでなった秀家に対して、
    良からぬ感情をもっていても不思議はないようにも思います。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    秀家は嫁の豪姫も秀吉・おね夫妻の養女(しかも凄いかわいがられてた)で、その実家はやはり秀吉とマブダチで五大老の前田利家夫妻だしなぁ…
    そう言われると、秀秋と秀家って確かに対照的だな…

  4. 人間七七四年 | URL | -

    そう言えば以前、コミック乱系の漫画で秀家と秀秋が義兄弟的な仲で、
    秀家が「何故秀秋が加勢してくれないのか?」と言う漫画有ったな。

    この逸話を見た後と、背景考えると西軍へ加勢は結構無茶だったのかも?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    しかしこの話だと、如水が秀秋を調略したことになるな。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    広家も如水、長政の両者と書状のやりとりをしてたし
    秀秋が両者と交渉をもってても不思議ではないね

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