563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/23(日) 23:50:15.79 ID:WiCgUgLU
見付の退口(一言坂の戦い)の時、本多平八郎忠勝はたびたび奮戦して敵を追い払い、
君(徳川家康)におかれても難なく浜松へ御帰城された。
(家康は)御途中より、成瀬吉右衛門正一をもって忠勝のもとへお言いつけになり、
「今日の働きは日頃の平八にあらず。まさしく八幡大菩薩の出現あって味方を加護して下さった」
と思し召すよし御感賞されたという。
甲州人が「からのかしらに本多平八」という狂句を書いて、見付の台へ立てたのも
この時の事である。(柏崎物語)
按ずるに伊賀路御危難の時にも、忠勝の事を「八幡菩薩が出現した」と賞された事があり、
さる武功の者ゆえ、たびたび同じ御賞詞をお与えになったのであろう。
――『徳川実紀』
564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/24(月) 14:03:45.39 ID:JaAm+k2p
南無八幡大菩薩
565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/24(月) 15:26:28.37 ID:H/FJh2D6
日頃の某ではこの働きは出来ぬと申されるか、腹を切らせていただく!
とか騒がないだけ平八さんはおとなしいねえ
見付の退口(一言坂の戦い)の時、本多平八郎忠勝はたびたび奮戦して敵を追い払い、
君(徳川家康)におかれても難なく浜松へ御帰城された。
(家康は)御途中より、成瀬吉右衛門正一をもって忠勝のもとへお言いつけになり、
「今日の働きは日頃の平八にあらず。まさしく八幡大菩薩の出現あって味方を加護して下さった」
と思し召すよし御感賞されたという。
甲州人が「からのかしらに本多平八」という狂句を書いて、見付の台へ立てたのも
この時の事である。(柏崎物語)
按ずるに伊賀路御危難の時にも、忠勝の事を「八幡菩薩が出現した」と賞された事があり、
さる武功の者ゆえ、たびたび同じ御賞詞をお与えになったのであろう。
――『徳川実紀』
564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/24(月) 14:03:45.39 ID:JaAm+k2p
南無八幡大菩薩
565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/24(月) 15:26:28.37 ID:H/FJh2D6
日頃の某ではこの働きは出来ぬと申されるか、腹を切らせていただく!
とか騒がないだけ平八さんはおとなしいねえ
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コメント
人間七七四年 | URL | -
俺も途中まで>>565みたいな三河展開が見れると思ってたからちょっと拍子抜け
( 2013年06月24日 20:14 )
人間七七四年 | URL | -
某伊豆守「・・・父親が騒がしくない分、娘が騒々しい、と・・・。」
( 2013年06月24日 21:53 )
人間七七四年 | URL | -
そんな嫁さんが大好きな伊豆さんはマゾなのだろうか
( 2013年06月25日 05:33 )
人間七七四年 | URL | -
八幡菩薩って勇ましい恰好してないんだよな
( 2013年06月25日 12:55 )
人間七七四年 | URL | -
忠勝の場合
自分の仕事をやり切ったこと
それを家康がキチンと評価していること
っていう事実に満足してて、言葉の表現なんて
まさに細けぇこたぁいいんだよ状態な気がする
( 2013年06月25日 20:36 )
人間七七四年 | URL | -
↑御大将の覇業を支えること、それが生き甲斐でしたからね
今際の際も 死にたくね〜。殿をのこしてまだ、死にたくね〜よ。
なんて未練を遺してしまう御仁ですし。・゜・(ノД`)・゜・。
( 2013年06月25日 22:00 )
人間七七四年 | URL | -
岩槻城合戦で八幡様に付いていったら渡河できたので
忠勝的には八幡様には縁がある気がする。
( 2013年06月25日 22:06 )
人間七七四年 | URL | -
某伊豆守「嫁もだけど、父親にも惚れるわ・・・。」
( 2013年06月25日 22:21 )
人間七七四年 | URL | B4ff.1Vc
家康「だから加増は無しね」
( 2013年06月26日 00:36 [Edit] )
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