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長宗我部盛親、旧家臣との会合

2013年07月02日 19:58

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/01(月) 22:24:52.03 ID:4xg1CQW2
関ヶ原による長宗我部家改易後、近江に流れ井伊家家臣となった福富親政
大阪冬の陣にも出陣した。

「講和が成立したため、私は大阪城内に参り、古主である長宗我部盛親公に御目見得いたしました。
盛親公は私への御意に

「この度其の方はどこの攻め口に居たのか?」

とお尋ねに成りました。私が「井伊掃部頭(直孝)の手に居りました」と申し上げると、

「去る4日の朝、土居を攻め立てた人数の中に居たのか?」

とお聞きになられたので、「御意の通りです。4日の朝の掃部頭備のうち、
討ち死にした者の死骸を、ただ今回収しているところです。」とお答えすると

「掃部頭の手勢のうち、あの朝どれほど討ち死にしたのか?」

「17人、討ち死にいたしました。」

「そこは、私の持ち口であった。私への報告も、其方の申す通りである。」

そうして御側衆に仰せ付けになられ、討ち死にした17人の旗指物をお取り寄せに成り、
私に見せて頂きました。井伊家の同僚として近しい者達の指物であったので、それを見ると
涙を流してしまいました。

この時、盛親公は

「この平右衛門の祖父である飛騨と、父の隼人は、その時代非常に活躍し、討ち死にをした
者たちだ。」

と、その傍にいた中内惣右衛門と言う御仁にお話されました。誠に、忝い次第でありました。

それから盃を頂戴つかまつりました。その座には、近藤喜左衛門、川村半助、十池新右衛門
という方々が居ました。

このうち十池新右衛門は、この後紀州大納言様御家に仕えたと聞き及んでおります。」
(福富平右衛門親政法名淨安覺書)

大阪冬の陣の和議の後の、長宗我部盛親と旧家臣との会合の模様である。





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    大坂の陣で「講和がなったから会いに来た」と言う話が複数あるけど、
    この感覚が良く分からない。講和がなっても今殺し合いしてた人と普通に
    会って話せるってのが凄い度胸。

  2. 人間@7年 | URL | HLrqDUJ6

    ※1

    感覚的には欧州の傭兵に近いんじゃないかな。
    生活の為に戦っているんであって主義主張は無い。
    ただ雇い主が違うだけ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    殺し合いとは言っても、相手が憎くてやってるとは限らないからね。
    戦争が終われば別に命を狙う理由はない、むしろ旧友に会いたいと考える人もいただろうさ。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    スポーツでも試合中はいがみあっても
    終われば健闘称えあったり試合内容で盛り上がったりするじゃない
    スポーツと殺しあい一緒にするなっ!とは思うが
    戦国だもの仕方ないよ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    人それぞれなんだろうね。
    中には天下人が居る席で、戦ってなくてもそっぽ向いて
    「口も聞きたくない。」
    って井伊放つ方もいたわけだし。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    一次大戦だってクリスマス休戦中は
    イギリスとドイツでサッカーやってたしな

  7. 人間七七四年 | URL | -

    本人同士は良いかもしれないけど、配下に居た浪人達とか
    手柄立てたい猪系武者とかに命狙われ無いのかな?

  8. 人間七七四年 | URL | -

    配下や猪武者が相手方の部下を攻撃した挙げ句、
    和睦が破綻でもしたらなんの得が…。
    しかも、大阪の陣で大阪方がそんな事やったら、口実も口実じゃないか。
    仕えている家を滅ぼしてどこに手柄を誇るのか。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    赤鬼かひこにゃんが放逐されたのかと思ったじゃないか

  10. 人間七七四年 | URL | -

    日露戦争でも停戦中の日露兵士が寒いからって一緒に酒盛りやってたしな。
    戦死した兵の弔いも一緒にやってた話がある。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    多少は盛親の人柄もあっての話じゃないかな?
    寺子屋の先生にまで落ちぶれたのに、大坂入城の際、
    旧家臣が山のように、中には新たな主家を振り切って馳せ参じた人も居たような人だし。

  12. 人間七七四年 | URL | B4ff.1Vc

    むしろ自分はこういう逸話が出てくることに戦争の変化を感じるけどな。

    元々の戦いは領地か権力を巡って争っていて、相手方とは明確な利害対立があったし、
    お互いに憎み合い、騙し合ってる感じが色濃くでているように思うけど、
    大坂の陣だけはそうしたものがなくなって、戦ってる本人に敵の顔が見えていない感じが強い。

    相手が憎いとか利害対立しているからではなくて幕府の為に戦う、という色が強くて
    後の世代の国民国家の軍隊に近づいているような印象を受けるわ。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    戊辰戦争でもあったそうで、戦闘していないと、幕府方の歩兵と薩長方の歩兵が、話して、そっちの給料どのくらいよとかいってたとか。第一次大戦もそういうのがあって、現場で勝手に、クリスマスに停戦したりしたとか。

    敵が憎くなるのは、自分の身近な人が死んだ場合とか、先祖伝来の敵・味方とか、イデオロギー的に敵は凶悪だとかいわれて真に受けた場合で、それ以外の場合には、別に恨みがあって戦っているんではなくて、大将の都合で敵と味方に分かれただけというのもあり、下のほうでは知らんがなというのはある。
    あと、戦国時代って、戦争の方法はちゃんと決まっていたから(退き太鼓がなったらおしまいとか)、勝手に戦闘して・・・というのは、あんまりなかったのかもしれない。

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