fc2ブログ

佐久間信盛・その後

2013年07月06日 19:59

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/06(土) 14:45:19.01 ID:/5NvVk22
織田信長の勘気に触れた佐久間信盛は天王寺を出ていった。侍や小姓は皆退散し、
たった三人が高野山まで従った。しかし、そのうち二人もまもなく退散したという。

信盛は高野の南東の相江というわずかな所に居ついた。
金子もかろうじて十枚ほどを持参するだけだったという。

ある時、山岡景友は思い立って信盛を訪問し、平井安斎もこれに同道した。
信盛は対面して涙を流し、とても感悦した。
二人が信盛を訪問したことを、その頃の各々が感じ入ったという。

天正十年正月十六日、信盛は紀州熊野の奥で病死した。信長は気の毒だと言って、
信盛の子甚九郎を召し直し、織田信忠に奉公させた。

――『当代記』





スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    信長は気の毒だと言って…ないない!!

  2. 人間七七四年 | URL | -

    えー。
    ノブさん言いそうだけどな。
    自分は、諫状も一念発起してくれる事を願って書いたと思ってる。
    もちろん、組織の長として他の家臣への見せしめ的な意味はあったろう。
    だからこそ、気の毒と思っただろうよ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    このスレ見てる人でも「信長=冷酷」って固定観念持ってる人いるんだなぁ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    冷酷とは思ってないが、気分屋っぽいなとは思ってる。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    うん、何が良いか悪いかは、家訓以外は全て自分が決めて行動する時代だからなぁ。
    今こんな人間がいたら(あり得ないけどw)相当叩かれるんだろうなぁ(笑)

  6. 人間七七四年 | URL | -

    冷たくもあり温かくもある。
    いかにもノブらしいやり方

  7. 人間七七四年 | URL | -

    最後まで従った家来の名前はわからないのかな?

  8. 人間七七四年 | URL | -

    そもそもあの諫状は布石だったんだろ
    重臣二人内、下手コいた方を潰すための

    元就なんかも家臣粛清した後「ゴメン間違いだった」テヘ
    みたいな感じで元からしたらカスみたいな禄でその子供を召し抱えたりしてるし

  9. 人間七七四年 | URL | -

    >気の毒だと言って
    信盛にも責任があるとはいえあんな形で追放した信長がこんなこと言うのはおかしい

  10. 人間七七四年 | URL | -

    折檻状では信盛だけでなく甚九郎信栄まで批判してたのに

  11. 人間七七四年 | URL | -

    そういや以下同文みたいな非難だったな

  12. 人間七七四年 | URL | -

    >追放
    カっとなってやった、今は反省している的な感覚か?

  13. 人間七七四年 | URL | LUkN6nkM

    その時はカッとなってやるが、後から…みたいな感じなのか
    元就よりははるかに良心的だな

  14. 人間七七四年 | URL | -

    実質的に自分が殺しちゃった人の息子を呼び戻してるんだから、信長は勇気がある
    俺だったら放置する

  15. 人間七七四年 | URL | -

    おい
    てへテヘではない

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/7692-b56cb646
この記事へのトラックバック