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家伝の御旗系図を再度お手に入れられる事

2013年07月12日 19:50

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/12(金) 08:49:41.95 ID:Z6dCIJ8o
家伝の御旗系図を再度お手に入れられる事

祐兵様が入国に及び、日向没落時の奈須右近将監祐貞(日向星原城主)の
忠節の功を謝する為かつ三位入道殿が預け置かれた御旗御系図等を返して
もらう為にと、曽我雅楽助を使者として送られた。

右近将監は「曽我は我が親類であれば他人の疑いも遁れ難い。大切な御旗
系図であるから伊東の御一族か、さもなくば一軍の大将たる人を寄越して
頂きたい」と申され曽我をすげなく返された。

これによって山田土佐入道匡徳が豊後大友殿へ先年の謝礼の為に使者と
して送られていたが、続いて神門村へと赴き御旗御系図等を受け取って
帰るようにと仰せ付けられ、かの所へと到着した。

右近将監は畏まって預け置かれた御旗御系図ならびに文書目録を調えて
一紙に抑留仕らぬ旨の起請文を添えて渡し、匡徳にも馳走して藤島の脇差
を与えられたと言い伝えられている。

(日向記)

山田土佐入道は、以前の逸話にも登場した島津義久に妻子を送り返して
貰った人で匡徳(匡得または京得とも言う)は入道後の号です。




672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/12(金) 14:43:24.52 ID:TSNLLwvw
>>670
家久勢を破った堅田合戦で佐伯勢の指揮採った人か

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/12(金) 15:43:44.57 ID:Z6dCIJ8o
>>672
その人です。

三位入道たちが豊後を去った後、佐伯氏に仕えて島津と戦い続け
九州征伐後に伊東家へと帰参した訳です。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

    伊東さんち初期のノブヤボじゃ親族と山田さんしかいなかった

  2. 人間七七四年 | URL | -

    それはムゴいw
    日向を制してる頃はけっこう人材が居るのに…

  3. 人間七七四年 | URL | -

    全盛期の伊東家はむしろ島津家を圧倒していたというのにな…
    木崎原以降はご覧の有様だが…

  4. 人間七七四年 | URL | -

    没落した家の人材などデータ圧縮の時に抹殺されるか仕官先を捏造されるものです。

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