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ところが、その働きは

2013年07月27日 19:55

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/27(土) 17:56:40.59 ID:93qgSNue
服部正成の子正重は徳川家康の側に勤仕した。

慶長五年九月十四日に、家康は正重を呼んで「お前の父祖は数度の戦功があり、
お前もまた若年にして今度の戦場に従うことはとりわけて健気である。
かならずしも危うい働きをせずともよい」と懇ろに言葉をかけられ、御盃を賜った。

正重はこの上意をありがたく感じ「明日戦場にのぞんではきっと一番槍の高名を遂げる」
と心がけ、十五日のいまだ合戦の始まっていない時に敵陣近くへすすんで行き、
朱具足に猖々緋の胴肩衣を着た武者と槍を合わせ、ついに突き倒して首級を獲た。

ところが、その働きは抜け駆けに当たるとして家康の勘気を蒙ってしまい、
結城秀康の執り成しによって許された。

――『寛政重修諸家譜』





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コメント

  1. 人間@7年 | URL | HLrqDUJ6

    家康「出るなよ、絶対に出るなよ。」
    三河武士一同「殿が一番槍をとれ、との仰せだ。励めよ!」
    正重「ハイ!」
    家康「………」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    何かのサイトで、「徳川家の軍法では抜け駆けの罪は一族係累全員切腹」とか書いてあったが、全くの空文だったのか、はじめから存在しなかったのか…?
    適用された事例を全く知らない

    この他にも、大坂の役の段階でも抜け駆けたくさんあるし、戦果次第ではむしろ手柄になるし…

  3. 人間七七四年 | URL | -

    『抜け駆けは罰する』程度の記載で、
    一族全員切腹とか具体的な内容は無かったはず。
    原文が出てこないのでハッキリとは言えないが。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    家康の家臣で、「抜け駆け」で死罪になったのは、遠江で武田と戦ったときの大須賀某くらいしか知らないや
    その時も本人だけで、伯父の大須賀康高まで処罰されてないし…

    名前も伝わらない人はいるかも知れないが

    関ヶ原の井伊直政と松平忠吉は家康公認の抜け駆けだし、大坂夏の陣で戦功第一の松平忠直も前日軍令も守って動かなかったら、叱責されたので、翌日勝手に攻め掛かったんたろ?

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