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真田信之の脱出

2013年07月27日 19:56

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/27(土) 01:50:38.12 ID:zYj6vKDj
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1055.htmlだと杉の葉、て解釈だ
ついでにその甲斐から落ちのびる時の様子を「加沢記」から
これも近代デジタルライブラリーで読める

(勝頼が昌幸ではなく小山田の策を用いて裏切られた後、なぜか新府で?)
信幸公が勝頼公に召しだされ、
勝頼「昌幸のこたびの忠心は忘れぬ。小山田の言葉を信じたためにこうなってしまうとは、
とうとう神にも見放されたようだ。昌幸は私を甲斐のないものだと思ってるだろう。
どうか、お前の母、弟、一族を無事に逃がしてやってくれ。お前たちの繁栄を祈る」
と杯を賜り、甲州黒という名馬、金作りの太刀を下賜された。
また、勝頼公は若年の落人であれば生け捕りになりかねない、と考え数十人をさいて5,6里送り届けさせた。
これも昌幸公の忠義に感じいったからである。
信幸一行は三月五日新府を引き払い、信濃境に向かっていると、甲州の落人狩りのため盗人百人から二百人が襲ってきた。
当時、信幸十七歳、御弟の藤蔵(信繁)十五歳、源五郎七歳、御姉十八歳、そのほか矢沢、根津、室賀の娘などが同道していた。
信幸公は先陣に進み、その勢男女二百余人で盗人を追い払い、鳥居峠で人馬を休ませた。
このことは盗人に知れ渡ってしまい、信州のスッパ、上州、武州のワッパ千人余りが集まって峠の麓で鬨をあげた。
信幸公の母は百千の雷鳴に勝る鬨を聞き
母「多勢に無勢、しかも度々の戦で我々は手傷を負ってます。潔く自決をしましょう」
と涙ながらにおっしゃったが、信幸公は武勇の大将であるため、怒ってその母親に申し上げた。
信幸「あの程度の烏合の衆、百万騎でも物の数ではありません。ご安心を」
と鎧の上帯を締め直し、十文字の槍を取り、勝頼公より賜りし甲州黒にまたがり、
手勢二百人を五十人、五十人、百人に分け、鬨の声をあげさせた。
盗賊たちは、さては落人ではなく尾張勢であったかと思い、逃げ去っていった。
(その後、無事味方と合流し、信幸一行は戸石城におちつく。)





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    勝頼「とうとう神にも見放されたようだ。昌幸は私を甲斐のないものだと思ってるだろう。」
    最初継いでいた諏訪氏(本姓:神氏)にも見放されて、甲斐をなくしたということですか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    某安房守「あの位の連中を雑魚扱いできないようなら、廃嫡確定、それで好いじゃん。」
    某伊豆守「嫁けしかけるぞ、糞親父」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    落ち人狩りが千人って結構多いな
    まぁ、それでも武装している真田軍二百人を
    簡単に討ち取れるとは全く思えないが…

  4. 人間七七四年 | URL | -

    落人の中には村上氏や小笠原氏や長野氏や高梨氏とかの残党の勇者とかもいそうなのにな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    鳥居峠まで来たのに砥石に入るって、どういうルートなんだ?
    146で羽根尾交差点まで行ってそこから144号を進んだのだろうか。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    砥石城じゃなくて、岩櫃城の間違いじゃないかな。勝頼に「岩櫃城に来てください」って言ってたし。でも、勝頼は、岩殿から新府まで、どうやったら逃げられたのか不思議

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