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鳥居元忠の甲冑

2013年07月27日 19:57

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/26(金) 20:54:02.12 ID:p7JI9yPt
関が原も大坂の陣も終わり天下は徳川のもとに統一された。
関ヶ原で西軍に付き、伏見城攻めなどに参加した雑賀孫市はその頃水戸徳川家に使えたが、
或る時、鳥居左京亮忠政の元に使いを送った。

『私は、あなたの御父、元忠君の(伏見城での)御最後に参り合わせました。
その時の元忠君の御物の具を、今日まで家に伝えております。
あなたの父君の御形見であるので、御覧になるのであれば、返還したいと思います。』

これに忠政は大いに喜び
「一見することを許していただけるのなら、大変ありがたい。」
と返答した。

やがて雑賀孫市は、元忠の甲冑を携えて忠政の屋敷を訪問した。
忠政は恭しく玄関に出迎え、書院に孫市を通して、父の甲冑を床の上に据えて、これに向かい拝礼し、
雑賀には山海の珍味を所狭しと並べ、心を尽くして饗した。

翌日、忠政は孫市の持ってきた父の甲冑、大刀を使いに持たせて、孫市のもとに送った。
そして

『あなたのご芳志により亡父の物の具を見ることが出来たのは、返す返すも大きな悦びでした。
そうではありますが、忠政の方には形見と見るべき物の具は少なからずあります。
ですのでこれは、見苦しいかもしれませんが、雑賀殿の戦功の御名誉とともに、
あなたの御家に差し置かれ、ご子孫にお伝え頂ければ、後世への御遺誡にも成ると存じます。』

そう、伝えた。

その後、鳥居家では毎年、綿を厚く入れた小袖を数多、常陸国の雑賀家に贈るのを恒例とした。
水戸徳川家ではその使者の来る時は、道路を修繕し、雑賀の家に魚鳥を多く与えその饗応に使わせた、
という。
(徳川武士銘々伝)

鳥居元忠の遺品の甲冑についての逸話である。





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コメント

  1. 名無しさん@ニュース2ch | URL | -

    元忠さん、身ぐるみはがされて死体放置ってことでOK?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    米1殿
    本戦が終了して伏見城に戻ってくるまでの約1・2カ月間、城兵の遺体の
    収容はされなかったと血天井の件で紹介されていますね。
    ただ、記事に依って元忠が討ち死にだったり自刃だったりと分かれて
    いるので、それによって状況はまた違うかと?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    首は晒されたけど、身分の高い人物用の「公卿台」っうのに載せられたらしいよ
    家忠さんや家長さんも一緒かな?

    大坂にも、戦後のことを考えて、徳川に気を遣うのがいたんだな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    鳥居新太郎、いつも悪い話ばかりだけど今回はいい話で良かった
    父を殺されて雑賀や長束に恨みはなかったのかな?

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