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例え弁慶に似た臣下が居たとしても

2013年08月05日 20:02

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/04(日) 20:41:13.64 ID:vnMPtFQG
慶長6年(1601)、徳川家康は伏見にあって、幸若舞の幸若八九郎を召し高館の舞(源義経の最期を歌った曲)
を舞わせたことが合った。

舞が終わった時、家康は機嫌よく近臣たちと物語をしながら

「武蔵坊弁慶は世に優れた人物だな。今の世に弁慶の如き人物は無いだろう。」

と言い、近臣たちも、そうですなあ、などと答えていたところ、そこに控えていた本多正重
この家康の言葉に気が触ったらしく、大声を出して

「例え弁慶に似た臣下が居たとしても、今の世に判官(義経)に似た主君はございません!」

そう言い放つと、退出していったのだという。
(徳川武士銘々伝)





125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 07:03:26.07 ID:V5u4yfNk
なぜ三河武士はああも嫉妬深いのか

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 10:30:19.45 ID:tG/GdoVg
よりによって、かなりdeepにめんどくさい政重の前で...

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 10:36:21.62 ID:UhHZ5Ynx
家康的には、そういう反応も既に予定調和だった可能性が

128 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/08/05(月) 13:16:45.16 ID:xPoEgNsV
>>124
安定の三河武士クオリティ

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    伊豆守「こーゆー衆と付き合ってく自信、ある?」
    K〇MATSU「真田衆が限界かな。」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    これは何?本多正重にしたら、間接的に家康を褒め称えてるのか?まもなく天下が取れそうな家康に対して、天下を取り損ねた義経主従を…ないね。

  3. 人間七七四年 | URL | wZ.hFnaU

    ※2
    「今の時代に弁慶みたいな人間がいても、それを使いこなせる義経みたいな
    主君が(家康も含めて)いねーよ!」って話だよ
    家康に対して皮肉言ってるわけだね。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >なぜ三河武士はああも嫉妬深いのか

    感化されたとか恩義があるとかじゃなくて、松平の家に仕える事自体が
    アイデンティティなところがあったからだろうな。>三河武士

    竹千代くんはその点、自分らの存在意義を全うさせてくれるリアルでの松平君主
    であると同時に、そんな自分達にふさわしい主君像を実現するための絶好の素材
    でもあったんだろう。
    だから身を惜しまず全力で尽くす反面、自分達の理想像から離れようものなら
    遠慮なくdisった。
    それだけ愛を注ぎまくった相手が気をそらすのは面白くなかろうて。

    もし仮に、父広忠が生きながらえて、元服するまでその庇護下にいたなら、
    多分ここまで濃厚なコミュニティは誕生しなかったんじゃないかと思う。

    で、その濃厚な関係の中で生きてきた家康が、逆に「カリスマより役職」という
    官僚型の支配体型を築けたのも、そういう自分の立ち位置に早いうちから自覚的
    だったからじゃなかろーか。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    これは三河武士うんぬんというより、安心の三弥クオリティと言ったところだろう

  6. 人間七七四年 | URL | -

    いないもなにもあんたの家臣って武蔵坊だらけじゃないっすか…

  7. 人間七七四年 | URL | -

    これが例の持病か

  8. 人間七七四年 | URL | -

    面と向かっては言わないが、他所では「某の宝は…五百騎の三河武士」みたいなことを言ってんだな

    素直じゃないよな

  9. 人間七七四年 | URL | -

    面と向かっては誉めないが、他所では「某の宝は…五百騎の三河武士」みたいなことを言ってんだな

    素直じゃないよな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    実は家康がものすごい美男子だったってことはないのかね?
    三河武士がみんなして恋焦がれるような

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    武田信玄「( ゚д゚ ) ガタッ」

  12. 人間七七四年 | URL | Muapc26Y

    春日虎綱「・・・」

  13. 人間七七四年 | URL | -

    しかみ像を見ても、晩年のギョロ目肖像画を見ても、
    とても美男子だったとは思えない…
    万千代はよく相手してたと思うよ

  14. 人間七七四年 | URL | -

    『三弥病』
    デレないツンデレである。しかし心の中ではデレている。
    愛情を伝えようとするが、気が付くと悪態をついて立ち去ってしまう。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    三河武士一同「優しくされると切なくなる~♪
    冷たくされると泣きたくなる~♪」

  16. 人間七七四年 | URL | -

    木脇祐秀「弁慶弁慶と、何やら呼ばれた気がしましたので駆けつけました」

  17. 人間七七四年 | URL | -

    こんな家臣への気遣いのストレスがなかったら、家康ももう20年くらい長生きできて、徳川政権も後2~3代は続いたろうに…

  18. 人間七七四年 | URL | -

    弁慶が五条橋で人を討ったように、瀬田の橋で人を討った武士はいかがですかな

  19. 人間七七四年 | URL | -

    まあ、家康の父も祖父も家臣に暗殺されてるし、
    三河武士は取扱注意なのかもしれない。

  20. 人間七七四年 | URL | -

    同じ武蔵でもそれ鬼貴じゃないですかやだー

  21. 人間七七四年 | URL | -

    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2639.html

    には家光と彦左のコンビで同じような話があるし、コメント欄には家斉の話まででてるし、
    こういうのもテンプレなのかな

  22. 人間七七四年 | URL | -

    家康「お薬、出しておきますね」ゴリゴリ

  23. 人間七七四年 | URL | -

    家康は男が憧れる人物だったんじゃないか?
    容姿の美醜以前の問題だと思う
    家康はイケメンでもないが不細工でもなかったと思ってる
    目はでかい印象があるな。たしか現代の徳川宗家当主も目は大きい方だったような?

    別のサイトで今の徳川当主が先祖にそっくりってスレがあったが、
    あれは島津寄りの顔のような気もしないでもない。皇太子殿下に似てなくもないか?輪郭が。
    どちらも島津の血ひいてるし。目は徳川さんの方が大きいが。
    島津家は鬼女板の皇室スレかなにかで、皇室に不細工な血を入れた戦犯扱いされててちょっとワロタw
    香淳皇后→天皇陛下→皇太子殿下→愛子様
    島津遺伝子は脈々と受け継がれてるな。徳川さんみたいに目が大きければ印象もまた違ったんだろうけど。

  24.   | URL | -

    島津家ってバカ殿無しも有名だけど容姿も秀麗揃いだった筈なのに
    細面につり目のお公家さん顔は明治以降イマイチの顔扱いなのかな

  25. 人間七七四年 | URL | -

    家康がちょっと好きになってきたわ

  26. 人間七七四年 | URL | -

    >米24
    米23だが
    >島津家ってバカ殿無しも有名だけど容姿も秀麗揃いだった筈なのに
    知らんかった容姿も秀麗なんだ
    でも島津貴子さんと結婚された方は秀麗とは言い難かったな。
    優しそうな感じではあったが。あの人も皇太子殿下や徳川当主と同じで丸顔だった。
    あと現代と昔とで美醜の基準が違うってのもあるので、
    もしかしたらあの系統の顔が秀麗と認識されていたのかも。

    >細面につり目のお公家さん顔は明治以降イマイチの顔扱いなのかな
    今は「かわいい」が持て囃されてるからな
    つり目は自分も好きじゃないし。半島の人の目って感じだ。

    漫画でもつり目は意地悪な人物の記号でもあるし。
    切れ長の目だとまた印象が違ってクールビューティって感じなんだけどね。
    「切れ長の目」と「つり目」は違うと自分は認識してる。

  27. 人間七七四年 | URL | -

    ・常盤(日新斎母・死んだ旦那の従兄弟から再三求婚された才色兼備のカーチャン)
    ・豊久(首おいてけ、島原軍記?によると初陣頃は伝説の美少年表記あり)

    ・亀寿(悪久の正室にして(悪久目線で)目の上のたんこぶ、ブス説が広く流布してるがめっちゃ美人だった説もあり)

    あとソース思い出せないが、悪久息子の光久にもイケメン説あった覚えが。

    以上、戦国島津家近辺で容姿秀麗な逸話が残ってる人たちを個人的にあげてみた。しかしこうして見るとマジで濃い一族だな…

  28. 人間七七四年 | URL | -

    戦国期の逸話の話か

    自分は斉彬や久光・忠義・邦彦王妃俔子様イメージで語ってたから島津が秀麗って記述見て最初びっくりした
    お互いの認識がずれてたね
    皇室関連の話もそのイメージ(写真)で語られてたから。

  29. 人間七七四年 | URL | -

    >27さん
    光久の実母の慶安夫人にも美人説ありますよ。
    『桃外院殿年譜雑傅 乾 肝付家文書』に
    美目貌チウルハシク世ニ類ヒキナキ~
    と書かれています。

    光久のイケメン説は『明良洪範』の
    島津中将光久は弓馬槍剣は勿論水練及詩歌書図算術謡曲等に至る迄衆に勝れし人也
    でしょうか?(これは顔の美醜について書いてませんね)

  30. 人間七七四年 | URL | -

    俺には正重が家康に好き好んで従っているようには見えないがなあ

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