236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/28(水) 18:43:14.87 ID:vQh5f4kg
上杉征伐の時、徳川家康から石田三成と北国上方の様子を注進せよと命じられた
堀尾吉晴は、越前国に向かう途上で三河国池鯉鮒に至った。
時に水野忠重は吉晴と信友であったので、刈屋からやって来て吉晴を饗応した。
この時、図らずも加賀井秀望もやって来て三人は談話をしながら酒を飲んだ。
日はすでに暮れて吉晴は酔って眠ってしまった。すると突然、秀望は忠重を斬殺した。
太刀音を聞いて目覚めた吉晴は秀望を組み伏せて刺殺した。事態に気付いた忠重の
家臣達は刀を振るって吉晴に向かって来た。
吉晴は彼らを制したが聞き入れてもらえず、灯火を倒して暗闇にまぎれて庭に下り、
堀をつたって逃れた。吉晴は数ヶ所の傷を負い、家臣に扶持されて浜松へ帰った。
忠重の家臣達は吉晴が逆心により忠重と秀望を殺害したと関東へ報告した。
これを聞いて徳川秀忠は「吉晴と忠重の二人に限って逆意を企てるはずがない」と言ったが、
日あらずして飛脚が来たり「秀望の死骸をあらためたところ、三成の書簡がありました。
それには『徳川家の老臣、または吉晴か忠重を殺害したならば重く恩賞を与える』と
ありました。ですから秀望が忠重を殺し、吉晴が即座に秀望を討ったのです」と報告された。
よって吉晴の子息忠氏のもとへ使者を下してその功を賞し、家康も吉晴に御書を与えて、
その傷を見舞った。
――『寛政重修諸家譜』
上杉征伐の時、徳川家康から石田三成と北国上方の様子を注進せよと命じられた
堀尾吉晴は、越前国に向かう途上で三河国池鯉鮒に至った。
時に水野忠重は吉晴と信友であったので、刈屋からやって来て吉晴を饗応した。
この時、図らずも加賀井秀望もやって来て三人は談話をしながら酒を飲んだ。
日はすでに暮れて吉晴は酔って眠ってしまった。すると突然、秀望は忠重を斬殺した。
太刀音を聞いて目覚めた吉晴は秀望を組み伏せて刺殺した。事態に気付いた忠重の
家臣達は刀を振るって吉晴に向かって来た。
吉晴は彼らを制したが聞き入れてもらえず、灯火を倒して暗闇にまぎれて庭に下り、
堀をつたって逃れた。吉晴は数ヶ所の傷を負い、家臣に扶持されて浜松へ帰った。
忠重の家臣達は吉晴が逆心により忠重と秀望を殺害したと関東へ報告した。
これを聞いて徳川秀忠は「吉晴と忠重の二人に限って逆意を企てるはずがない」と言ったが、
日あらずして飛脚が来たり「秀望の死骸をあらためたところ、三成の書簡がありました。
それには『徳川家の老臣、または吉晴か忠重を殺害したならば重く恩賞を与える』と
ありました。ですから秀望が忠重を殺し、吉晴が即座に秀望を討ったのです」と報告された。
よって吉晴の子息忠氏のもとへ使者を下してその功を賞し、家康も吉晴に御書を与えて、
その傷を見舞った。
――『寛政重修諸家譜』
スポンサーサイト
コメント
人間七七四年 | URL | -
水野勝成「俺がいれば、忠重も吉晴も秀望もまとめて瞬殺」ヽ(*´∀`)ノ
( 2013年08月28日 20:08 )
人間七七四年 | URL | -
忠重と吉川晴は信友で…のぶともで…
( 2013年08月28日 23:45 )
人間七七四年 | URL | -
松永久秀「そもそも惨殺と言うのがいかんのう…」
宇喜多直家「左様左様」
( 2013年08月29日 02:12 )
人間七七四年 | URL | -
>2
織田信友「呼ばれ・・・」
堺大膳「帰りますよ」
( 2013年08月29日 02:18 )
人間七七四年 | URL | -
※3
剣聖将軍「えっ」
( 2013年08月29日 02:55 )
人間七七四年 | URL | -
この事件のおかげで水野勝成の放浪生活は終了した
( 2013年08月29日 13:01 )
人間七七四年 | URL | -
※6
ちょっと違う。前年に家康のところへ帰参した時点で放浪は終了してる。
( 2013年08月29日 15:45 )
人間七七四年 | URL | -
あんじょうソフィスティケーテッドされた弾正忠ならほなアホしよらんし
わたしならおおきにブス盛って存ぜんツラかましたります
なにか?
( 2013年08月29日 19:00 )
人間七七四年 | URL | -
日本語でおk
( 2013年08月30日 08:58 )
人間七七四年 | URL | -
こんな物的証拠を懐にしまって置くとは、ドジっ子ですな(棒読)
( 2013年08月30日 17:53 )
人間七七四年 | URL | -
三成の書簡の嘘臭さが半端ないw
( 2016年11月17日 17:25 )
コメントの投稿