22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 00:45:05.77 ID:cEfABFN/
忠節の証
武田崩れにより、天目山に逃れようとした武田勝頼一行は土民に遮られそれも叶わず、
天目山麓の田野に陣をはり、最後の別れの宴を催すことにした。
宴もたけなわとなった頃、土屋昌恒は
勝頼に向かい、「こんな野原で最後の宴をせねばならなくなったことを思うと
心は乱れ、正気を失い、理性を失いそうなほど辛いことです。
このようになってしまったのがどうしてかと申せば、
家臣達が心変わりしたためですので、そうであるなら
御屋形様はこの私も裏切るのではないかとご警戒なさってはいやしないか、
ずっと案じておりました。
そこで、そのようなことは決してない証を、御目にかけましょう。」
と言って、5歳になる我が子に向かい
「お前は、まだ幼少なので、大人とともに歩むのは難しい。
だから先に行って、六道へ続くあの世の岐路で、
御屋形様が来るのをお待ち申し上げよ。私も御屋形様とともに行く。
さあ、西を向いて手を合わせ、念仏を唱えよ。」
と言った。それに対し昌恒の子は
「私は父上の子ですので、言いつけに従いそのようにいたします。」
と答え、楓のような手を合わせ念仏を三回唱えた。
昌恒は腰の刀を引き抜いて我が子の胸元に押し当て、刺し殺した。
勝頼はこの有様をご覧になり、
「なんということをするのだ。最後の言葉も他にかけようがあっただろうに。」
(あまりあへなき事を、いたしけるものや。さいごのこと葉をも、かけやうつるものお)
とおっしゃって涙を流し、供の者達も涙で小手の鎖を濡らしたという。
理慶尼記より雰囲気訳で。
忠節もここまでいくと悪い話な気もしますが、5歳の子の健気さに免じていい話にしておきました。
忠節の証
武田崩れにより、天目山に逃れようとした武田勝頼一行は土民に遮られそれも叶わず、
天目山麓の田野に陣をはり、最後の別れの宴を催すことにした。
宴もたけなわとなった頃、土屋昌恒は
勝頼に向かい、「こんな野原で最後の宴をせねばならなくなったことを思うと
心は乱れ、正気を失い、理性を失いそうなほど辛いことです。
このようになってしまったのがどうしてかと申せば、
家臣達が心変わりしたためですので、そうであるなら
御屋形様はこの私も裏切るのではないかとご警戒なさってはいやしないか、
ずっと案じておりました。
そこで、そのようなことは決してない証を、御目にかけましょう。」
と言って、5歳になる我が子に向かい
「お前は、まだ幼少なので、大人とともに歩むのは難しい。
だから先に行って、六道へ続くあの世の岐路で、
御屋形様が来るのをお待ち申し上げよ。私も御屋形様とともに行く。
さあ、西を向いて手を合わせ、念仏を唱えよ。」
と言った。それに対し昌恒の子は
「私は父上の子ですので、言いつけに従いそのようにいたします。」
と答え、楓のような手を合わせ念仏を三回唱えた。
昌恒は腰の刀を引き抜いて我が子の胸元に押し当て、刺し殺した。
勝頼はこの有様をご覧になり、
「なんということをするのだ。最後の言葉も他にかけようがあっただろうに。」
(あまりあへなき事を、いたしけるものや。さいごのこと葉をも、かけやうつるものお)
とおっしゃって涙を流し、供の者達も涙で小手の鎖を濡らしたという。
理慶尼記より雰囲気訳で。
忠節もここまでいくと悪い話な気もしますが、5歳の子の健気さに免じていい話にしておきました。
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コメント
せめて人間らしく | URL | -
だったら止めろよ勝頼ェ。だから後世で陣代(笑)とか永久不滅の烙印を押されるのよう。武家の最後は諸行無常が過ぎる。どうも嫌だ
( 2013年09月02日 00:15 )
人間七七四年 | URL | Yz7obkBs
だから陣代はかわいそう(^_^;)
あれはパパンの遺言が悪いよねぇ
( 2013年09月02日 01:08 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
※1
裏切らない証としてなもんだから勝頼も下手に止めちゃうと
「止められるなんてやっぱり俺信用されてないんや…」
ってなったかもしれないし…
( 2013年09月02日 01:56 )
蝉丸 | URL | deW96RDM
この子は 土屋忠直の兄ということになるのか?
乳飲み子は母親と一緒に寺に避難させれても、
五歳の兄の方は人質として死なねばならない運命だったというのかねえ?
( 2013年09月02日 05:11 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
え、でも誰が記録に残したの?
( 2013年09月02日 06:42 )
人間七七四年 | URL | dHC6fowU
非武士階級の奉公人とかなら生き残っててもおかしくないけど、どうなんだろうな
( 2013年09月02日 13:01 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
書名が理慶尼記って書いてあるから生き残った女性じゃないかな。
( 2013年09月02日 13:14 )
T.H.Y | URL | XmHeyEnw
投稿者です。
>>※4
この子のことは、理慶尼記の他は管見の限り
ややマイナーな甲州安見記くらいにしか記載されておらず、
他に実在を示す確たる史料はないようです。
ただ甲斐国志では、「忠直ハ此年(天正10年)ノ出生ナレバ遣腹ナル事明ケシ」
と記載してあり、忠直は当時まだ胎児で、
この子はその兄にあたるのではないかと考えていたようです。
>>※5
出典元の著者とされている理慶尼が、
天目山に向かう前夜に武田勝頼一行と会っていたことは確かなようです。
勿論だからといって内容が正しいとは限らないのですが、
本文はこのあと、この子の母にあたるらしい女房が、昌恒に説得され
上記の子の妹にあたる2歳の女児とともに落ち延びていったことが語られています。
この女房と実際に落ち延びたことが確実な忠直の母が同一人物かどうかはわかりませんが、
素直に理解すれば、この女房が生き延びて、
この話が理慶尼記の作者に伝わったのかもしれません。
( 2013年09月02日 13:51 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
投稿者さん乙です。
しかしこれをいい話とするにはどうしても抵抗を感じる。
( 2013年09月02日 18:13 )
人間七七四年 | URL | -
5歳にしてこの落ち着き…すごい逸材の予感が。
惜しいな
( 2013年09月04日 14:13 )
人間七七四年 | URL | -
当時の感覚なら、美しい話なんだろうな
勝頼さんの末期話は切なすぎる(T . T)
( 2013年09月20日 17:09 )
人間七七四年 | URL | -
まあ、時代の差だね……
仮に現代でこれやったら間違いなく悪い話だけど、時代の差って凄いな
( 2016年01月17日 21:21 )
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