484 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/19(金) 23:11:34 ID:ks54dbSc
義景相談 悪い話
越前ではかつて会議が紛糾して物事がなかなか決まらない「小田原評定」のことを
「義景相談」と呼んでいたという。
天正元年7月、近江の浅井長政より信長出陣のため、援軍要請来る。
義景「景鏡に出陣を命ぜよ」
景鏡「ここんとこ出陣が多くて疲れちゃって・・・」
義景「じゃあ魚住景固、代わりに」
魚住「この前、近江で城番したばかりで人も馬もくたばっちゃいまして・・・」
義景「チッ仕方ない。わし自ら兵を率いていくわっ!馬をもて!」
全軍率いて先ずは敦賀に到着。
義景「敵は大軍、だが、このままだと浅井が危ない。近江へ出陣すべきかどうか・・・」
宿老「兵が少のうござる。敦賀に留まった方が賢明でござる」
側近「浅井との義理を重んじ行くべきです」
義景「う~ん・・・・・・・・よし行ってみよう!」
8月6日、近江柳ヶ瀬着陣。続いて地蔵山に移る。
(先に近江入りしていた)山崎吉家「え?お館様ご出陣?まずくないか?」
物見「浅井方の阿閉淡路守、浅見対馬守、月ヶ瀬忠清が裏切りました!」
物見「我が方の大嶽城、丁野城、敵の急襲で落城しました!」
義景「いかん!浅井との連絡が完全に断たれた!陣を立て直さねば・・・兵を引くぞ!」
8月12日深夜、大雨の中、朝倉軍撤退。柳ヶ瀬へ向かう。
義景「さて、ここで陣を立て直しt「敵襲!敵襲!敵襲!」エッ?や、山崎、如何する」
山崎「敦賀におればお館様を止めておったに・・・殿軍仕ってお館様を逃しまする!」
義景「あ、もう行っちゃった・・(おろおろおろおろおろおろ)た、詫美越後はどう思う?」
詫美「漢詩を書きましたので読んで下さい。さらば殿!(席を立つ)」
萬恨千愁有驀然 誰図今夜溺黄泉
古郷公莫成愁涙 屍曝戦場野外辺
義景「またこのような縁起でもない詩を詠みおって・・・(おろおろおろおろおろおろ)
朝倉掃部助、如何いたそう?」
掃部助「追手はすぐそこに迫っています!こう長々と評定しても無駄かと!
早く疋田の城まで退くべきかと!」
義景「う・・・(おろおろおr掃部助「早く殿!」)そ、そうする。馬引けい」
貴重な時間を無駄にして、結果、大将は退く、部将は立ち向かうで朝倉軍は大混乱となった。
山崎、詫美、掃部助らは奮戦したものの討死。
途中、織田軍をかく乱しようと軍勢を二手に分け、雑兵を別ルートで退かせたが、織田軍
その手に乗らず、本隊とともに退いた義景を目指して一直線。
兵力が減じたところに突撃され、朝倉軍の中核3000が斃れた。
義景「木の芽峠まで退いて全軍集結!天嶮に拠って反撃する!」
朝倉景綱「われらはもう殿の分別についていけません。これにて御免」
景綱の言葉に吊られて軍勢離散。わずかに伴廻り5、6騎。
最早、組織的な反攻を行えず一乗谷へ逃れ、その後、景鏡に騙されて大野で自害。
柳ヶ瀬でああでもないこうでもないと議論などせずに、真っ直ぐ敦賀まで撤退していれば、
たとえ敗れるにしても、もう少しまともな形で敗れたであろうと後世の人は思うのでした。
「変ニ望ンデモ事ノ決断モナク、世ニ云義景相談トテ日ヲ送リ、其内ニ兼テ諸家中モウトミ果テ」
(『越藩拾遺録』より)
486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/19(金) 23:21:41 ID:uv01VBAh
>>484
心底イライラするお話ですな~(;´Д`)
496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/20(土) 00:08:56 ID:y2zl3R4u
>>484
戦国時代を生き抜くリーダーとして致命的な欠陥を持ってるなぁ
義景相談 悪い話
越前ではかつて会議が紛糾して物事がなかなか決まらない「小田原評定」のことを
「義景相談」と呼んでいたという。
天正元年7月、近江の浅井長政より信長出陣のため、援軍要請来る。
義景「景鏡に出陣を命ぜよ」
景鏡「ここんとこ出陣が多くて疲れちゃって・・・」
義景「じゃあ魚住景固、代わりに」
魚住「この前、近江で城番したばかりで人も馬もくたばっちゃいまして・・・」
義景「チッ仕方ない。わし自ら兵を率いていくわっ!馬をもて!」
全軍率いて先ずは敦賀に到着。
義景「敵は大軍、だが、このままだと浅井が危ない。近江へ出陣すべきかどうか・・・」
宿老「兵が少のうござる。敦賀に留まった方が賢明でござる」
側近「浅井との義理を重んじ行くべきです」
義景「う~ん・・・・・・・・よし行ってみよう!」
8月6日、近江柳ヶ瀬着陣。続いて地蔵山に移る。
(先に近江入りしていた)山崎吉家「え?お館様ご出陣?まずくないか?」
物見「浅井方の阿閉淡路守、浅見対馬守、月ヶ瀬忠清が裏切りました!」
物見「我が方の大嶽城、丁野城、敵の急襲で落城しました!」
義景「いかん!浅井との連絡が完全に断たれた!陣を立て直さねば・・・兵を引くぞ!」
8月12日深夜、大雨の中、朝倉軍撤退。柳ヶ瀬へ向かう。
義景「さて、ここで陣を立て直しt「敵襲!敵襲!敵襲!」エッ?や、山崎、如何する」
山崎「敦賀におればお館様を止めておったに・・・殿軍仕ってお館様を逃しまする!」
義景「あ、もう行っちゃった・・(おろおろおろおろおろおろ)た、詫美越後はどう思う?」
詫美「漢詩を書きましたので読んで下さい。さらば殿!(席を立つ)」
萬恨千愁有驀然 誰図今夜溺黄泉
古郷公莫成愁涙 屍曝戦場野外辺
義景「またこのような縁起でもない詩を詠みおって・・・(おろおろおろおろおろおろ)
朝倉掃部助、如何いたそう?」
掃部助「追手はすぐそこに迫っています!こう長々と評定しても無駄かと!
早く疋田の城まで退くべきかと!」
義景「う・・・(おろおろおr掃部助「早く殿!」)そ、そうする。馬引けい」
貴重な時間を無駄にして、結果、大将は退く、部将は立ち向かうで朝倉軍は大混乱となった。
山崎、詫美、掃部助らは奮戦したものの討死。
途中、織田軍をかく乱しようと軍勢を二手に分け、雑兵を別ルートで退かせたが、織田軍
その手に乗らず、本隊とともに退いた義景を目指して一直線。
兵力が減じたところに突撃され、朝倉軍の中核3000が斃れた。
義景「木の芽峠まで退いて全軍集結!天嶮に拠って反撃する!」
朝倉景綱「われらはもう殿の分別についていけません。これにて御免」
景綱の言葉に吊られて軍勢離散。わずかに伴廻り5、6騎。
最早、組織的な反攻を行えず一乗谷へ逃れ、その後、景鏡に騙されて大野で自害。
柳ヶ瀬でああでもないこうでもないと議論などせずに、真っ直ぐ敦賀まで撤退していれば、
たとえ敗れるにしても、もう少しまともな形で敗れたであろうと後世の人は思うのでした。
「変ニ望ンデモ事ノ決断モナク、世ニ云義景相談トテ日ヲ送リ、其内ニ兼テ諸家中モウトミ果テ」
(『越藩拾遺録』より)
486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/19(金) 23:21:41 ID:uv01VBAh
>>484
心底イライラするお話ですな~(;´Д`)
496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/20(土) 00:08:56 ID:y2zl3R4u
>>484
戦国時代を生き抜くリーダーとして致命的な欠陥を持ってるなぁ
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コメント
人間七七四年 | URL | -
信長公記だと少し別の話がある。
( 2013年05月14日 00:42 )
人間七七四年 | URL | -
義景相談
という単語が他のどこにも出て来ない件について。
( 2014年04月24日 05:26 )
人間七七四年 | URL | -
家中が主君の実名をそんな気軽に使うか?
( 2014年04月25日 00:33 )
人間七七四年 | URL | -
米3
朝倉滅亡後の話なんじゃね?
( 2014年04月27日 17:37 )
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