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大友家改易後の吉統の家族

2013年11月16日 19:12

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/16(土) 01:35:50.92 ID:b+Wwfrhp
1593年に大友家が改易された後、宗麟の後妻であるジュリアや、
吉統の妻子らは豊後の屋敷を追い出され、放浪生活をすることになった。
そんな時に柳川の領主の立花宗茂は、宗麟の強力な味方で忠実な友人で
あったため、彼女らを領地に招き保護したという。(イエスズ会年報)

しかし、吉統の妻で宗茂の叔母である菊姫が1594年に病死し、
その息子である男也(おとや)も96年に疱瘡で死亡すると、
ジュリアは残った孫達を連れてキリシタンの多い長崎へと旅立ち、
浦上渕村の庄屋となっていた元大友家臣の志賀親成の屋敷に迎えられた。
その地で吉統の娘である阿西(おにし)御前は桑の栽培や養蚕、機織の
技術・行儀作法を近隣の住民に教えたため桑姫と呼ばれて尊敬され、
1627年に彼女が病死するとその徳を讃えられ社に祀られたという。
(桑姫社由来等)

ソースがばらばらだけど、大友家改易後の吉統の家族についての話




633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/16(土) 08:52:44.53 ID:QxHBvC8M
機織りはともかく桑の栽培・養蚕まで出来るとは出来る姫だなあ

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/16(土) 15:32:27.70 ID:fqT3bCcl
養蚕は皇室でも昔からやってたけどね

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    「社に祀られた」ってことは神式か?
    キリシタンとしてはどうなのかな??

  2. 人間七七四年 | URL | -

    大友家が改易された時、宗茂は何か援助しなかったのかなあと思ってたけど、
    やっぱり保護してたのか、さすが完璧超人、何があっても文句が言いようの無い男だな。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >桑の栽培や養蚕
    これは本当に難しいのと面倒くさい。桑も大量に必要だし、本来は温度管理等も
    必要。

    ちなみに桑の葉を敷き詰めた網籠に蚕を入れて育てるのだけど、その時のザワザワ
    カサカサする音とモゾモゾ動く様はトラウマ物だよ。

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