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松平清康が自信満々

2013年12月06日 18:45

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/05(木) 22:33:26.88 ID:HgVcWfzW
 天文四年(1535年)、松平清康は東奔西走の末に三河一国を勢力下に置いた。
これに対して甲斐の武田信虎が和睦を申しこみ、美濃三人衆や尾張国守山城主の
織田信光(織田信秀の弟)が尾張への手引を申し出たので、清康は一万余の軍勢を率いて守山に出陣した。

 この出陣の際、一門衆の松平信定は病と称して上野城に引き籠っていた。
信定は宇利城攻めで清康に遺恨を抱き、清康が信秀と戦っている間に
岡崎を奪い三河を自分の物にしてしまおうと考えていたという。このために信定が裏切るという風評が立ったが、
清康は「信定が裏切ったとして、どれ程の事ができようか」と言って、歯牙にもかけなかった。

 また、重臣たちが

織田信光は信定殿の婿であるので、信秀を迎え入れることでしょう。
退陣なさった方がよろしいのではないでしょうか」

と申し上げると、清康は

「信光が城を出るならば、迎え討ってそのまま城内に攻め入り、城を焼き払ってやる。
信秀が立ち向かってくるなら願ったりだ。一合戦してくれよう。
信秀と合戦するならば、信定は踏み潰す必要もない。勝手に自滅するだろう。
そもそも、信秀は私と戦おうとは考えてもいないだろう。奴は出陣できまい。

私が安祥にいた頃、手勢がわずか五百三百だった時、一度天下を治めたいと思ったが、
百々度(ももたび)の戦をしなければ、天下は治められない。野に向き山に向き、敵を見つけたら、
是非共に押し寄せ、百万騎いたとしても、百々度の戦をしようと思っている。
どんな時でも、私は戦でならば負けることはない。安心してくれ。」

と言った。

 重臣たちが続けて、

「大給の松平親乗殿は、信定殿の婿であります。これは如何なさいますか」

と申し上げると、清康は

「尤もな事だ。だが、私は信秀でさえ何とも思わないのに、親乗ごときが出陣して私を防げるのか。

もし出陣するなら、それは首に石を付けて、自分から川の深みに飛び込むようなものだ。いや、それ以下だ。
池鯉鮒へ出陣し、そのまま上野へ押し寄せて、二の丸、三の丸を焼き払ってくれる。」

と言うので、重臣たちが

「小河の水野信元は信定殿の婿であるので、きっと小河からも加勢が来るでしょう」

と申し上げると、清康はからからと笑って、

「尤もな事だが、お前たちは何を心配しているのか。私が通るというのに、
信元などが百万の兵を持っていたとしても、私と戦おうとするだろうか。
出陣してくるならば、それもまたよし」

と答えた。


三河物語より、松平清康が自信満々……というか慢心の域に達してそうな話。
この直後に清康は横死するため、彼がこの発言通りの実力を持っていたかどうかは
永遠に確かめられなくなってしまった。
ちなみに今日で清康が横死する守山崩れから478年目になる。





978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/05(木) 23:41:44.67 ID:rC44V7Ou
作品によっちゃ
「この慢心が清康の身を滅ぼしたのである、よってうんぬんかんぬん」
とか書かれるレベル

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/06(金) 00:02:20.55 ID:kyltXBmG
清康の言う天下って何を指してんだろうな

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/06(金) 00:08:59.24 ID:KMPzJFag
三河物語だしホントに日本全土の事言ってるんじゃねえかな

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    この頃の三河者はめんどくさくないんだな。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この確執の大元を正せば清康さんの父の信忠さんまで遡らないとならないしね。
    信定さんにしても、一度は跡目候補に挙がっただけのある実力はある様子だし。
    余計に甥っ子が憎たらしかったのかも?
    結局、各松平家が完全に落ち着きを取り戻すのは三河一向一揆後。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    いや、けっこう(説得するのが)めんどくさい殿様じゃね清康?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    三河者の家臣よりもめんどくさいな~
    こんなんだから殺されたんじゃないか?w

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    そこら辺の混乱も岩津松平氏が没落したのが遠因なんだろうね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    地理的にも岩津は岡崎や安城と比べると平地が少なくて実入りも厳しそうだから
    代を経るごとに地力の差が大きくなって、総領家が交代するのもわかるよ。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    意外に頑固な所は、権現様と強い血の繋がりをかんじるなぁ

    もし「人質」時代の苦労がなかったら、おんなじようになってたかも。。。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    岩津家の当主は京都で政所執事の伊勢氏に仕えていたから、地盤も京都にあって、室町幕府が衰退すると運命を共にしたのかな?

    あと、伊勢新九郎率いる今川勢が侵攻してきたとき、岩津松平家の者は殆んど討死してしまい、替わって今川の大軍と互角に渡り合ってついに撤退させた松平長親によって安城松平家が宗家の地位に上昇したって、言うよね

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