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会津勢退散の事

2013年12月06日 18:47

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/06(金) 00:37:49.16 ID:yii96d5n
会津勢退散の事 1/3

九月二十五日から義光公も長谷堂表へ出られ、敵陣から五十町を隔てて陣取られた。

このような所へ早馬が到来し、上方御合戦が家康公の御利運となり石田治部少輔を
始め関西の諸将はことごとく敗軍との事であった。

義光公は大いに悦ばれ、すぐさま使番を送って「敵は今日明日のうちに撤退するで
あろうから皆、油断せぬように」と再三にわたって諸軍へ触れられたので、何れも
準備をして待ち構えていた。

義光公はいささかの休息もとられず、会津勢が陣取っている戸上山の方をじっと
見つめられていた所に、陣屋を焼きたてる火の色がほのめき見えたので「いまこそ
敵が退いていくぞ、法螺を吹き立てよ者ども」と御身も罷り出られた。

諸卒もかねて待ち構えていたので馬を引き寄せひたひたと乗り打ち、もみにもんで
馳せつけ、切り伏せ突き伏せ進んだ。

杉原常陸守、溝口左馬助は敵の殿であり五、六百騎ほどで取って返し戦ったが、
ついにこれを追い崩して長井の境目まで追いかけ千人余りを討ち取った。
味方も騎兵十五騎、歩行の者四十八人が討たれた。

なおも勝ちに乗って追いかけて行くと、直江も弓矢功者の侍大将であったから、
山に陣取って押し返し激しく戦った。

味方は追い返され十町ばかり退いて陣を構え、直江山城もその夜はそこに野陣を
固め敗軍を集めた。

(最上義光物語)

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/06(金) 08:26:12.43 ID:yii96d5n
会津勢退散の事 2/3

翌日十月一日の払暁。直江山城は陣を払って退くかのようにみせかけ、山の斜面に
鉄砲を段々に備え、峰々に陣を堅くして待ち構えていた。

味方はこれを知らず、先手より「敵が退いて行きます」との報告に、義光公は御馬
を引き寄せられ、ゆらりとうち乗って出られた。

この時は朝霧も深く未だ夜も明けきってなかったので、敵の備えに気づかず
我先にと進んだ所を近くまで引き寄せられて撃たれたので、先陣はこらえられずに
一度にハッと引き退いた。

義光公はこれを見て「旗本に入れ替えて追い崩せ」と進み出られたので、近習の者
どもは我劣らじと前に進み、敵もここを先途と打ちかかってきたので志村藤右衛門
をはじめとして数多の味方が討たれた。

ここに筑紫出身で堀喜吽斎という者がいた。諸国で兵法修行して"今判官"と呼ばれ
た人で近年山形へ来て義光公の御伽衆となっていた。

喜吽斎はこのありさまを見て、義光公の鎧の袖をとらえ「あまりの混戦でもあり
旗本も近くにおりますので、いま少しお退がり下さい」と申した。

義光公は喜吽斎をにらんで「汝はなんと臆病な申しようか、これほどの混戦の
中で大将が退けば士卒は我先にと逃げて却って追い討ちにされるわ。

最早ここまで攻めかけた軍なれば多くを討たれようとも、ただひたすらに攻め上げる
しかない。この山の敵を追い落とせば、続く峰に陣を張る敵勢も敗軍に巻き込まれ、
おのずと崩れ散るであろう」と大音声で叫ばれた。

喜吽斎は面目を無くし「臆病かどうか只今ご覧あれ」と義光公のそばを駆け抜け
二十間ほど進んだ所、あえなく鉄砲で左の肩先から右の乳下まで撃ち抜かれて
まっさかさまに落ちて行った。

義光公はこれを見て「ぐずくずしていたのでは、なおさら討たれてしまうぞ。
隙間なく攻め上れ」と例の鉄棒を挙げて真っ先に進まれた。

(最上義光物語)

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/06(金) 08:35:50.27 ID:yii96d5n
会津勢退散の事 3/3

嫡男修理大夫殿は峰を隔てたところからこのありさまを見て、馬では行けぬと皆を
徒歩立ちにさせ、千余人を引き連れておめき叫んで横合いから駆けあがられた。

長谷堂加勢のうち小国大膳、谷地盛伯耆守、川熊讃岐らが手の者八十騎を引き連れ
敵の退路を遮断しようと峰続きに回り込んだ。

敵もこれを見て三方から取り囲まれては敵わぬと思ったのであろうか、退がる気配が
見えた。

義光公はなおも大音声をあげ「ここをもめや者ども」と隙間なく下知なされたので
士卒はなおも気を励まし、手負い死人を乗り越え撥ね除け攻め上ったので、さしもの
敵勢も支えられずに退いていき、味方の兵は勝ちに乗って一人も逃がすなと短兵急に
追いかけた。

大軍が崩れたときの常として「返せ戻せ」と言う声は聞こえるが、我先にと逃げて行き
地理不案内であった為、険しい峰の細道へ大勢が逃げかかり、道や橋から転げ落ち、
岩に砕かれたり、水に落ちて溺れ死ぬものが大勢いた。

味方は地理に詳しく、そこかしこに追い詰めては討ち取り、敵は一人も助からぬかの
ようにも見えた。

直江山城守は人数三百騎余りで少しも崩れず、向こうの峰まで素早く退いてから反撃し
追い乱れた味方をあまた討ち取ったが、そこから追撃はせずに退き直江は虎口を逃れて
敗軍を集め心静かに会津へと帰陣して行った。

その日討ち取った首の数は計1580余と記されている。味方も雑兵をあわせて623人が
討ち取られた。

その時、義光公は「景勝一味の諸将が上村でことごとく敗れたと報告されても、直江
は少しも臆さず心静かに陣払いし撤退していった様は慌てた気配もなく、勝ちに乗った
味方を数多討ち取り、つつがなく会津へと帰陣した事。誠に謙信武勇の強みがいまだ
残っておる」と言われ深く感心なされた。

(最上義光物語)




832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/06(金) 19:09:52.48 ID:jwCXAmsB
頭にゴルゴされたのってこの時だっけ
(´・ω・`)「兜がなかったら即死だった」
志村さん「殿、前に出すぎるからです」

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/06(金) 19:48:11.06 ID:lftFTtaC
>>832
原田芳雄な義光殿もあの合戦で手傷負ったの?

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/06(金) 20:20:40.65 ID:tzwgK+wr
>>832
三昧境に至れば大丈夫by毘沙門天

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/07(土) 01:29:49.65 ID:gJXhoHIe
>>832
そのライバルと一騎打ちでフェンシングしてそうな義光さまはちょっと

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/07(土) 01:43:17.76 ID:BDncvnB3
義光「志村は賢いな。」

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    知将の戦い方マジパネェ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    これが知将かー(白目)
    調略のときはさえてるのに戦になると脳筋と化す鮭様

  3. 人間七七四年 | URL | -

    脳筋の鮭様…
    何かに似ていると思ったら、台風でテンションの上がった男の子だった。

  4. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

    堀喜吽斎、九州の人だけに
    これ釣り野伏せだろ!?と思っちゃたんだろうな~
    お気の毒に

  5. 人間七七四年 | URL | -

    濃霧で暗い中での混戦。こんな時に大将が万が一にも討ち死にしたら余計混乱する。
    混戦だからこそ一旦引いて統率し直す必要が発生する時も有る。
    でも、鮭様の言う事も一理あるし。これはもう進言した相手に依るよね。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    信長が朝倉滅ぼした時も似たような戦い方だったな。
    戦術の是非は後にならないとわからんものなのかもな。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    名将同士の局地戦、消耗戦はこうあるべき。凄い見応えがあった。
    しかし、最上方から観ると直江山城の好敵手ぷりが際立つなw切腹自決しようとした将帥にはとてもとても

  8. 人間七七四年 | URL | -

    しんがり戦とは思えない数を討ち取り見事に退いた直江はさすが。
    てか鮭様の猛烈な遡上を諫めた九州の義経を撃ったのて、やっぱデューク水原なの?

  9. 人間七七四年 | URL | -

    関ヶ原の一報はどっから入るんだろう
    やっぱマー君ところからか?
    南と西は上杉だしね

  10. 名無し | URL | -

    ああ、慶次が直江さんの切腹止めて殿勤めた話ですね。
    相当激しかったらしいですね。

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