837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/07(土) 17:43:48.97 ID:zuqygFTH
大坂の役の時、
井伊直孝の従士である
満坐七右衛門と
川手主水は
先駆けて槍を交えた。そして
八田金十郎と
戸塚左太夫がこれに次いだ。
これに
徳川家康は「満坐と川手は先駆けたとはいえ、軍令に従わなかった。
いま、功があることにより、これを許す。八田と戸塚は後れたとはいえ、
よく令を守った。感状を賜り、これを賞す」と言った。
――『日本智嚢』
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川手良列の戦死
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コメント
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賞ときいて秀忠さんが鯉の調理をみた時に賞罰について語った逸話をふと思い出した
先駆けについての逸話は色々あるけど権現様は賞と罰を相殺できるものと見てるんだなと思いましたまる
( 2013年12月08日 06:05 )
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※1
バリバリの戦国時代育ちだから、それ位の柔軟さは身について居るかと?
それにそうじゃないと、あの家ではやっていけないでしょうしね。
ホラあの人達が駄々・・・もとい、直言しにくるからw
( 2013年12月08日 17:19 )
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島原の乱で鍋島さんとこが抜け駆け合戦したが、罰が軽い→先駆けじゃなかったと嫁さんに叱られたエピソードがあったね
恩賞や罰よりも、軍令違反してでも先駆けの名誉が目的なんてヤツには賞罰相殺程度じゃ効果なさそうだ
( 2013年12月08日 21:55 )
人間七七四年 | URL | -
功を賞するに躊躇せず。か
( 2013年12月09日 22:50 )
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こんな風に言われたら、一生ついて行きます!になるよなあ
( 2013年12月11日 01:42 )
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