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しかし小西は同心せず

2013年12月16日 19:18

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/15(日) 20:05:50.04 ID:6v77XdVE
文禄元年(1592)、豊臣秀吉は朝鮮へと出兵し緒戦に大勝、たちまちの内に首都漢城(ソウル)を陥落させ、朝鮮を蹂躙した。

その後、総大将である宇喜多秀家より、相談すべきことがあるので諸将に漢城に集まるよう触れがあり、
尽く集合すると、大将秀家及び三奉行(石田三成・増田長盛・大谷吉継)から評議の内容が伝えられた、曰く
「各々の手柄に寄って各地の城も既に陥落し、その他の朝鮮人は戦わずして退散した。
しかしながら、朝鮮は元々大明の属国である。必ず大明より加勢が出されるだろう。
その上、朝鮮が既に敗北したと聞けば、大明も日本兵が侵入すると思い、必ず戦のための
大軍を差し寄越すだろう。この場合、これと戦う手立てはどのようにすべきと各々はお考えか?」

黒田如水はその座に居たが、これを聞いて
「仰せの如く、朝鮮が敗北したことを知れば、必ず大明より救援の兵が多く来るでしょう。
この都(漢城)より釜山海までは十余日ある長路であり、日本までの通路は遠く、物資の運送は不自由ですが、
朝鮮を切り従える中心でありますから、これを放棄して釜山まで後退するのは本意無きものであります。

そこで、秀家殿並びに諸将は諸大将はこの都に居て、ここを根城として都から大明の方へ1日路程の所に、
取出しの城を数ヶ所構えて諸将をこれに籠め置き、大明の兵が攻めきたれば、どこの城であっても都より
助勢の兵を出し、後詰をして勝負を決せられる事こそ然るべきと考えます。
都から数日も進みすぎて遠くに城を構え敵を防ごうとすれば、大明より敵が大軍で来る時、都からの
援軍を遣わすことが難しくなる。」

そう申し上げた所、小西摂津守行長が進み出て
「これほどに朝鮮人を大勢討ち殺し、敵が恐れて逃げ去っている以上、もはや朝鮮人は出て戦う事は
無いでしょう。もし朝鮮王が大明の王を頼み加勢を乞うたとしても、大明の王が数万人の命を朝鮮王に
与えて、加勢するような事が有るはずがありません。特に大明と朝鮮の境には、鴨緑江という音に聞こえた
大河があります。その河を大明より大勢の人馬兵糧諸道具を渡らせてこちらに来るというのは
成り難いことです。
各々は何れなりとも、好きな所に城を構えて下さい。この行長は出来る限り大明の近くまで押し行って、
城を攻め落としそこに籠もるつもりです。」

これに、如水は重ねて言った
「この都より程遠い所に居城を構えた場合、大明人が大軍で押し寄せ四方を取り囲み堅固に向城を付けられ、
後詰の来るべき道筋まで塞がれてしまえば、我々の5万7万程度の人数では簡単に対峙できるものではない。
その上、にわかの時に都から急に助ける事は出来なくなる。その時になって後悔してももはや意味が無いのだ。

世俗の諺にも、用心をば臆病にせよというではないか。どうか都の近くまで引取り居城を構えられよ!
もし出過ぎた所に居城して敵の大軍が防ぎ難く、その勢の強きを見て引き退くなど、見苦しいではないか。
第一それは味方を弱気にし、日本の恥辱でも有る。進み過ぎては後難有るべし。軍法を確かにして、後悔なきよう
すべきである!」

小早川隆景もこれを聞いて
「如水殿の仰られる趣は尤も至極である。都より遠くに出て城を構えることには、後の禍があろう。
そもそも大明より大勢を指し寄越す場合、南部は海が近いのだから兵糧運送の便がある。
それに鴨緑江大河であると言っても、船で渡れば何の苦労もない。
しかしながら大明からはるばる大軍を差し寄越すのは大儀なことであるから、にわかに来ることはないだろう。
その間に各城を堅固に改修しておく事こそ肝要である。」

しかし小西は同心せず、
「深く大明の境まで入って、大明の兵が出たとしても恐るるに足らず!我一手にて大明に切り入るべし!
諸大将にはその後詰をお願いしよう。」
そのように言うのを、皆が固く止めたため、小西一手で大明に攻め入る事だけは制止された。

それでも小西は黒田如水小早川隆景の諌めを聞かず、みだりに深入りを好み、平壤の城が大明の
手前であるので、これを居城とした。
そもそも小西行長は初めに、日本から朝鮮に入るときも荒き風波をしのぎただ一人抜け駆けして渡海し、
今度もまた都から遠い場所に一人進み過ぎて深入りし、大明から大軍が来るという心配もせず、敵を侮り
危ない働きを好んだ。
果たして翌年の春、大明より襲来した大軍に囲まれた時、都より遠いため援軍が来ることが出来ず、
小西はついに敗北したのだ。如水がかねて未然をはかり、諌めたことは寸分も違わなかったのである。

(黒田家譜)





22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/15(日) 20:20:52.14 ID:GJIKTHlk
全部小西のせいっ…死人に口なしか

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/15(日) 20:22:18.22 ID:3fZNZU+1
きたないさすがくろだきたない

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/15(日) 20:25:23.30 ID:bt7SM/Du
ひでえもんだ

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/15(日) 20:49:50.05 ID:YTkDsab0
小早川は同意見だったとわざわざ書くあたり、この時代になっても隆景の評判=絶対に間違わない、がゆるいでないことがわかるね

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/15(日) 21:04:23.19 ID:dHSTEyhL
長政「ヒャッハー!俺は小西についていくぜー!」

つか如水は漢城遠征組には従軍してないだろ。

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/15(日) 23:17:31.50 ID:z4Z0jwjU
大河ではどう描くんだろうなあ
軽く触れて終わりか、スルーしちまうのかな?

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | YqzQT8Bs

    ぶっちゃけ小西さんって一人でドンドン突出するタイプじゃないよね。人物設定としちゃちょっと無理がある。

  2. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    ※1
    一人でどんどん突出するタイプじゃないかもだけど、講和交渉担当していたり、
    貿易で縁があったりするから、他のメンバーと状況判断が違いそうだわ。
    平壌攻略の時も何度も降伏勧告して黙殺されてるし、決定的な勝利が必要と
    判断して平壌以北にも攻め入ろうとした可能性は十分あるんじゃないかな?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >27
    大河で朝鮮侵攻もの書けるわけないでしょう。自称国営放送がどこの国重視か分かれば…ねぇ。

    それは別にして、ここまで小西悪しを書き立ててると却って怪しい。これだけの書きようだとクロカン個人の怨嗟より黒田家全体でそれなりに恨み辛みでもあるのかと。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも大明征伐なんで素早く鴨緑江の対岸を抑えるか、最悪でも明軍を河川端で
    叩くのは基本戦略の筈。黒田家譜の世界観でも、小西の主張の方が正しい。
    この小西を叩いているなら、オランカイまで侵攻した清正はクソミソに書いているんだろうな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    おそらく行長は清正と明入りの競争でもしてたんだろ
    結果行長は敗走、清正は迷走

  6. 人間七七四年 | URL | -

    首都ソウルから1日分の距離とすると、
    現在の南北国境(停戦ライン)くらいか。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    清正が居ない時点で可笑しいと思ったら、やはり黒田家譜かw

  8. 人間七七四年 | URL | -

    まあ、黒田家譜だし・・・ってのはさておいて、あえてこの行長の主張を擁護するなら、すみやかに北上して逃げる宣祖を捕虜にして、李氏を屈服させ明の介入を阻んで戦乱の早期収拾を図る、なんてことを考えたのかもしれん。
    まあでも、黒田家譜がことさらに行長の強行策をいいだしてんのは、この後の平壌失陥に対する言い訳臭いけどな。
    平壌落ちちゃったのは小西さんが突出したからですよ~如水は止めたんですよ~大友さんはともかく大軍師サマの言うこと聞かないから~ほら~、て感じWW

  9. 人間七七四年 | URL | -

    この軍議の出典は黒田家譜だったのか。
    小西は自分が攻め入るつもりなんてなくて、自分1人で嘘を交えた交渉をするための発言でしょう。
    概ね事実とみていいんじゃないかな。
    といってもこれ以外にロクな史料がないから考察すること自体が難しいんだけど。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    官兵衛の方防衛線張るって言う割に全く地理に言及してないんだな。
    小西も鴨緑江に拠るって言ってるわけじゃないけど。

    補給軽視はよく言われるけど、これは補給しか考えてないというか…

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