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母里太兵衛に十五本の抜身の槍を

2013年12月21日 18:03

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 19:45:43.42 ID:qxAnJEv4
天正20年(文禄元年・1592)、朝鮮への出兵を命じた豊臣秀吉は、3月25日、京都を出立し、
その夜は播磨国茨木に宿をとった。そして奉行に命じて、諸々の士卒、下人、水手に至るまで、
48万人分の兵糧を緒軍に分配した。

黒田如水はこれより以前、既に豊前を息子の長政に譲っていたため、今回は諸将とともに軍勢を率いて
渡海することはなかったが、彼は秀吉の帷幄の謀臣であったため、名古屋の幕下に留め置かれ、
軍の計策・評定に加わっていた。

この時、黒田長政の家臣である母里太兵衛に、秀吉がこのような言葉をかけた

「昔、中国四国、九州の先陣として、数度にわたって勘解由(如水)を派遣した時、その勘解由の
先陣は、いつも太兵衛が勤めていた。その上合戦のたびに、一度も遅れを取ることはなかった。
お前の数々の戦功には、感じ入る次第である。

そして今また、朝鮮に先手として甲斐守(長政)を遣わし、太兵衛もその共を仕るという。
であれば、これまでの戦功に対し、そして今回もその忠勇を励ますため、天下に隠れないほどの規模の
褒美を与えよう!」

そう言って、抜身の鑓十五本を与えた

「これを、今後毎回、出陣に際して持つことを許そう。朝鮮に渡海すれば、これにて手柄をいたせ。
かつて織田信長公はそのお供に、抜身の大太刀を百振持たせていた。それは大変威勢のあるものだった。
太兵衛も、抜身の槍を十五本持たせれば、なお武名を顕すだろう。」

母里太兵衛は元より勇士であったが、今回秀吉によってその名を表され、さらに類なき御恩賞に預かり、
御領地をいかほど貰うよりも勝るものだと、かたじけなく思ったという。

(黒田家譜)

太閤秀吉、母里太兵衛に十五本の抜身の槍を与える、というお話。




917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 19:58:31.89 ID:rCsAE7D7
名古屋→名護屋

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 19:59:28.86 ID:JkcNTlMY
(どうやって持って帰ろう…)

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 20:03:45.29 ID:Ix0EMOIv
日本号一本の方がありがたい

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 21:05:53.53 ID:Dl5YEsqb
摂津国の茨木かな?

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 23:58:27.52 ID:e5TxBGZe
いかな名物とはいえ、槍を十五本も貰ってもしょうがないよなw

>>920
京を出立したその日のうちに播磨に入れるとも思えないし、
播磨に「茨木」って地名があるなんて寡聞にして聞かないから、
多分そうじゃないかな?

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 00:09:40.78 ID:NiAQdOkr
母里勢十五人に持たせるための十五本の槍でしょ

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 00:15:26.65 ID:w8e5ssZF
母里の槍はスペツナズナイフみたいに穂先が射出できるようになってるから15本必要なんだろ。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

    これは陣中で抜き身の鑓を許されたというエピソードでしょ。
    確か名護屋も陣中扱いで傍若無人な秀吉の旗本連中を抜き身の鑓で追い散らした
    エピソードがあったような?
    まだ出てなかったのかな?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    それより信長w

  3. 人間七七四年 | URL | -

    で、天下人になった家康さんは何を送ったのかな?と気になる。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    焼味噌

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    ×焼味噌
    ○銘菓焼味噌詰め合せ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    日本号量産型

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