50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/09(木) 20:37:49.25 ID:3tYSG7jw
小早川隆景は、明日成すべき事は、必ず先ず今日の内にそのことを思案し、様々に想定して、
あらかじめ自分の行動を定めておけば、その時になって慌てることなく、粗略になることはないと
言われていた。これは古語に言う、『事前に定まれば躓かず、事前に定まれば困らない』と
同じ意味であろう。
この隆景という人は普段から虚言を言わず、少しのことであっても人と約束したことは
決して違えなかったため、人々は彼をただの人ではないと考えた。
備後の三原に隠居した後は、慶長元年に足利学校の玄修軒を招き、学問所を建設し孔子の像を安置し、
若者たちに学問を進めさせた。
ある時、緊急のことがあって、右筆に物を書かせたのだが、この時「急用のことである。
慌てず静かに書くべし」と言われた。
隆景はその気質、穏やかで静かであり、才知を外に輝かせるような事はしなかった。そのため
彼を知らない人には、最初に合うと心の鈍い、愚かな人のように映ったのだという。
古語に『大智は愚なるが如し』というが、これはこのことであろう。
また天性、智慮深密にして沈静温厚であった。
小早川隆景が亡くなった後、ある時安国寺恵瓊が、黒田如水の元に来て物語したことがあった。
このとき如水はこう言った。
「隆景殿が亡くなって、日本では賢人が絶えてしまった。この人の存在は毛利家にとって、
船にとっての船頭であった。彼によって中国はよく治められていた故に、亡くなられたと雖も、
今も生前と変わらないのは、ひとえに隆景殿の力の残りである。
例えば船を漕いでいて、にわかに船を止めたとしても、それ以前に艪によって作られた推進力が残っていて、
五間十間はその船は先に進む。これと同じことである。
毛利輝元殿も、隆景殿の遺産によって、今までは見事に見える。しかし今後は、輝元殿自身の思案が
大事になるだろう。」
小早川隆景には、普段から書かれた書類は多かったのだが、その死の前に、あらかじめ尽く
焼き捨てた。どのため、一巻も今に残っていない。
(黒田家譜)
殆ど聖賢小早川隆景伝と化した、黒田家譜の、隆景の死を悼む一節である。
51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/09(木) 21:16:33.73 ID:GtHaNkcS
恵瓊とは仲が良かったんだろうか?
52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/09(木) 23:37:34.60 ID:954hZ8z0
テルかわいそうだよテル
53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 00:59:05.06 ID:iGZ+576x
>普段から書かれた書類は多かったのだが、その死の前に、あらかじめ尽く
焼き捨てた。
なんて勿体ないことを・・・後世の人のために残しといてくれりゃいいのに
54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 08:32:56.58 ID:E1IeR+Pa
書など役に立たない、自分で考えることが大事とか思ってたんじゃね
実際そういうことあるしなw
万巻の書を読み尽くしてきたじっさまが賢人かというとめんどくせーだけの奴だったりしてw
55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 10:31:08.13 ID:GlnBMz9t
テルはなんであそこで石田についたんだろ?あの段階でやっても負けるだろうに。秀頼の成人とタヌキが死ぬの待っていればもう一波乱あったのに
56 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/10(金) 10:48:18.57 ID:9+URQCys
波乱を望むテル→甦る鉄拳の記憶→仁愛精神→日本全体の安定をとる
57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 11:39:14.47 ID:5wHJfV0W
>>55
そういう見通しが利かず、西軍についても結局積極的なのか寝返るのか
どっちつかずの中途半端な行動で終わるのがテルクオリティ
58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 12:55:04.68 ID:9gOATlvr
テルが石田に担ぎ出されたんじゃなくて
テルが石田をそそのかして、敗戦濃厚となるや石田や安国寺に全責任押し付けた、
ならむしろよく逃げたもんだと
59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 13:06:21.19 ID:ykVO0jjq
お弁当に釣られたんだよ
60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 13:40:39.32 ID:jRM3ntvJ
ウチなら味噌汁付けますw
61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 14:04:55.09 ID:qNsCaAQ1
関ヶ原が終わったあと防長二カ国に減封されたし、家康はテルの野望と積極的な動きはちゃんと見抜いてたね
62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 15:13:54.86 ID:Fuuj+/DJ
石田と大谷が蜂起する風聞が立ってたので、大坂の三奉行と淀殿の連名で徳川(とテル)に鎮圧命令が出されてたんだわ
それで本当に蜂起したとき、会津へ向かってる暗黒寺が近江あたりで勝手に引き返してテルを二重召還した
こういう事情でテルはすごい速さで大坂入りした有能な人物のようになった
さらにあろう事か三奉行が石田に説得され公式戦争と化し、テルも聞いてるうちにもっともな気がしてきたので大将に収まったようだ
小早川隆景は、明日成すべき事は、必ず先ず今日の内にそのことを思案し、様々に想定して、
あらかじめ自分の行動を定めておけば、その時になって慌てることなく、粗略になることはないと
言われていた。これは古語に言う、『事前に定まれば躓かず、事前に定まれば困らない』と
同じ意味であろう。
この隆景という人は普段から虚言を言わず、少しのことであっても人と約束したことは
決して違えなかったため、人々は彼をただの人ではないと考えた。
備後の三原に隠居した後は、慶長元年に足利学校の玄修軒を招き、学問所を建設し孔子の像を安置し、
若者たちに学問を進めさせた。
ある時、緊急のことがあって、右筆に物を書かせたのだが、この時「急用のことである。
慌てず静かに書くべし」と言われた。
隆景はその気質、穏やかで静かであり、才知を外に輝かせるような事はしなかった。そのため
彼を知らない人には、最初に合うと心の鈍い、愚かな人のように映ったのだという。
古語に『大智は愚なるが如し』というが、これはこのことであろう。
また天性、智慮深密にして沈静温厚であった。
小早川隆景が亡くなった後、ある時安国寺恵瓊が、黒田如水の元に来て物語したことがあった。
このとき如水はこう言った。
「隆景殿が亡くなって、日本では賢人が絶えてしまった。この人の存在は毛利家にとって、
船にとっての船頭であった。彼によって中国はよく治められていた故に、亡くなられたと雖も、
今も生前と変わらないのは、ひとえに隆景殿の力の残りである。
例えば船を漕いでいて、にわかに船を止めたとしても、それ以前に艪によって作られた推進力が残っていて、
五間十間はその船は先に進む。これと同じことである。
毛利輝元殿も、隆景殿の遺産によって、今までは見事に見える。しかし今後は、輝元殿自身の思案が
大事になるだろう。」
小早川隆景には、普段から書かれた書類は多かったのだが、その死の前に、あらかじめ尽く
焼き捨てた。どのため、一巻も今に残っていない。
(黒田家譜)
殆ど聖賢小早川隆景伝と化した、黒田家譜の、隆景の死を悼む一節である。
51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/09(木) 21:16:33.73 ID:GtHaNkcS
恵瓊とは仲が良かったんだろうか?
52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/09(木) 23:37:34.60 ID:954hZ8z0
テルかわいそうだよテル
53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 00:59:05.06 ID:iGZ+576x
>普段から書かれた書類は多かったのだが、その死の前に、あらかじめ尽く
焼き捨てた。
なんて勿体ないことを・・・後世の人のために残しといてくれりゃいいのに
54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 08:32:56.58 ID:E1IeR+Pa
書など役に立たない、自分で考えることが大事とか思ってたんじゃね
実際そういうことあるしなw
万巻の書を読み尽くしてきたじっさまが賢人かというとめんどくせーだけの奴だったりしてw
55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 10:31:08.13 ID:GlnBMz9t
テルはなんであそこで石田についたんだろ?あの段階でやっても負けるだろうに。秀頼の成人とタヌキが死ぬの待っていればもう一波乱あったのに
56 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/10(金) 10:48:18.57 ID:9+URQCys
波乱を望むテル→甦る鉄拳の記憶→仁愛精神→日本全体の安定をとる
57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 11:39:14.47 ID:5wHJfV0W
>>55
そういう見通しが利かず、西軍についても結局積極的なのか寝返るのか
どっちつかずの中途半端な行動で終わるのがテルクオリティ
58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 12:55:04.68 ID:9gOATlvr
テルが石田に担ぎ出されたんじゃなくて
テルが石田をそそのかして、敗戦濃厚となるや石田や安国寺に全責任押し付けた、
ならむしろよく逃げたもんだと
59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 13:06:21.19 ID:ykVO0jjq
お弁当に釣られたんだよ
60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 13:40:39.32 ID:jRM3ntvJ
ウチなら味噌汁付けますw
61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 14:04:55.09 ID:qNsCaAQ1
関ヶ原が終わったあと防長二カ国に減封されたし、家康はテルの野望と積極的な動きはちゃんと見抜いてたね
62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/10(金) 15:13:54.86 ID:Fuuj+/DJ
石田と大谷が蜂起する風聞が立ってたので、大坂の三奉行と淀殿の連名で徳川(とテル)に鎮圧命令が出されてたんだわ
それで本当に蜂起したとき、会津へ向かってる暗黒寺が近江あたりで勝手に引き返してテルを二重召還した
こういう事情でテルはすごい速さで大坂入りした有能な人物のようになった
さらにあろう事か三奉行が石田に説得され公式戦争と化し、テルも聞いてるうちにもっともな気がしてきたので大将に収まったようだ
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コメント
人間七七四年 | URL | -
こういう話聴くと官兵衛ってひとを家康はどう評価してたのかな?お互いあんま人殺ししないし、勉強スキーだし、ラスボス下で警戒されてたし…関ヶ原後の会話とか狐と狸のだましあいだし、シンパシーとかなかったのかね?
( 2014年01月10日 19:25 )
人間七七四年 | URL | ZPZR469g
一番に決起したのは宇喜多秀家って説もなかったっけ?
まあそれならなんで宇喜多秀家が大将じゃないのかって疑問が残るけど。
秀吉の猶子、大大名、五大老の一人って考えると大将の資格も十分だし。
※1
敢えて触れてないなら同属嫌悪だったのかも、と思います。
( 2014年01月10日 22:23 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
何だか最近のテルと隆景の様子を見聞きして居て、ギャグ漫画日和とか
ダチョウ倶楽部のコントの様な展開が思い浮かぶ。
クマ吉=テル、うさみ=隆景。
三成・秀家「俺が大将×2」
テル「俺が大将やるお」、どーぞどーぞ。
もしかしたら、テルが大将として責任取らされて死んでもいーやと言う感じで
決まったとかじゃないよね?
( 2014年01月11日 11:18 )
人間七七四年 | URL | -
虚言を言わない人が知将としてやっていけるかあほうw
( 2014年01月11日 12:10 )
人間七七四年 | URL | -
実際家康と戦役に及ぶにしても旗頭が…と思っていたところに、ちょうど軽くてパーな御輿がノコノコ出てきた、ということでいいのか?>テル
( 2014年01月11日 13:42 )
人間七七四年 | URL | -
※3
小松「最近私の逸話がなくて暇ねぇ。ちょっとTERU吉くん、包丁で去勢してみなさいよ」
( 2014年01月11日 14:50 )
人間七七四年 | URL | -
死ぬ前に書類を焼くというのは、あれかね、死ぬ前にパソコンのハードディスクの中身を消去するとかいう話かねえ。
( 2014年01月11日 17:21 )
人間七七四年 | URL | -
※4
交渉での約束と戦場での武略は別だろ阿呆
( 2014年01月15日 01:53 )
人間七七四年 | URL | -
※8
いいえ同じです
( 2014年01月20日 00:18 )
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