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『徳川武士銘々傳』による徳川四天王紹介

2014年01月18日 18:34

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 00:00:09.79 ID:Q9tscSoN
『徳川武士銘々傳』による徳川四天王紹介(※添えられている既出の逸話は割愛)

酒井忠次は徳川家康の四天王とされ、井伊・本多・榊原と雄名を天下に表わしたる。
中興の祖を忠次とする。
忠次は本多忠勝に似たる豪雄ではない。
榊原康政の如く身に七十創を蒙る「曹参」の武勇にもない。
井伊直政が如き勇将の器でもない。
一言で約せば沈勇にして謀略に富し者である。
忠次の如きは将略の勇がある。
絶奇なる籌策を抱く人というべし。


本多忠勝は秀吉より源義経の家臣である佐藤忠信の兜を与えられたことがあったが、
その恩威にも心を動かさず、天下の御家人となることは彼が喜ぶ所ではなかった。
ただ、三河武士と唱えられ徳川累代の家臣と呼ばれることが、この上なき栄誉と思っている。

忠勝の勇は戦国の士に求め難きもので、忠勝の忠は全く絶倫である。
忠勝の勇は「樊カイ」に適し、智は「韓信」に比す可きだ。


榊原康政は忠臣無双の将である。
英主に康政が如き臣あり、勇にして智あり。
康政の勇は人のよく知る所であり、彼の智は知らない人はいない。


井伊直政は悪木盗泉で徳川殿に仕えて二心なき武士なり。
かかる義烈の直政は勇武の気性も鬼神を凌ぐ勢いがある。

長久手の役の折、この先陣に進みたるは言わずもがなの直政。
家名と共に照り輝く赤幟、赤旗、朱具足で白きは槍の身刃のみ。
この槍刀さえ一振りすれば唐紅に敵の血潮で染め上げて赤き心を表わす。
この赤隊はアサヒに輝き山よりこなたへ馳せ降り、天下の上方勢を遠慮なく縦に横にと掛け破り、
大将をあまた討ち取って、名もなき士卒は蕪大根を切るが如くスッパスッパと飛ばす。
この時より天下に轟く勇名は「赤鬼」と呼ばれるようになる。

また、士卒を率いて戦う将帥の器のみならず、打物執っても無双の武士なり。
昔日の武人が侍従といい、兵部を称するのは実に無上の栄誉であり
かかる高位の直政も君の馬前に死は塵芥より軽く、利は一足の草鞋に同じく、
婿君と仰ぐ下野守の初陣に手柄を取らせようと将たる地位を置き自ら手を下して敵に向かうは、
乳虎を叱咤する武夫の胸中に嫣然とした美人も愛してしまうであろう可憐な情もある。
直政こそ古今無類の武将と仰ぐべきだ。




113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 01:07:19.13 ID:KRm5VfS3
人物紹介

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 09:26:19.83 ID:9JYqeLNU
近代デジタルライブラリーでざっと読んだけど
徳川家臣のいろんな逸話を幅広く集めて紹介しているが
読んでみるとやっぱり四天王は他の徳川家臣とは違うことが解る
>>111のような比較も興味深いね

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 15:39:00.26 ID:WhKpmH8n
そんな徳川四天王も結局は「狡兎死して走狗烹らる」の運命。

116 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/18(土) 15:41:37.00 ID:seiNbtwq
四天王の所は「名誉家系」として幕末まで続いてるよ?

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 15:54:04.78 ID:RQ47MmjE
徳川ほど粛清しないのも世には珍しいくらいだが

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 16:23:04.13 ID:SSBslH6O
海老すくいさんにしてもパパにゃんにしても冷遇されてるってわけじゃないわな

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 16:26:12.06 ID:wE0h5lRb
榊原なんか普通なら改易されるような事3,4回やらかしてるのに明治まで残ってるし。

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 16:37:09.03 ID:9mmhZYgF
家康だか秀忠から誓書もらってたんだっけ

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 16:57:22.50 ID:9JYqeLNU
>>119
海老すくいさんが例の件とかで冷遇されていたわけじゃないってのも子孫みてもわかるけど
パパにゃん冷遇なんて聞いたことないけどな
佐和山っつか彦根も都の守備や大坂城を見据え西の大名衆に睨みを効かすを要所でパパにゃん配置はすごく納得だし

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | 9L.cY0cg

    井伊家の佐和山転封、どう考えても栄転だと思うけどな。
    上方や北陸方面を睨む配置で、尚且つ転封当時は伏見に家康が居たわけで。江戸を中心に見たら左遷に見えるけどな。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    直孝もそうだけど直政も療養するまでは政治外交に忙しくて
    領地には全然行けなかったときくね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ヤだ(恥)忠勝サマが絶倫だなんて…ポッ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    もし忠が韓信、智が樊カイに比すべきものだったら

  5. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    こんな中でも3行で済ませられる康政が可哀想な気がする。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    直政>忠勝>康政=忠次
    こんな感じっぽい

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    北条征伐後の徳川関東入り後には高崎(箕輪)に所領を貰ったけど
    それもやはり近畿までの中山道と
    上杉領までの三国街道の分岐となる宿で重要な要塞だからと
    権現様が直政に任せたんだと思うな

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >徳川ほど粛清しない
    なんでだろうな。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    三河時代に散々悩まされたせいか、家臣団の独立性をなくすことに
    家康は注力しているからねえ。
    本多を筆頭にした直轄軍整備する傍ら、彼らには関東移封まで領地は与えず
    サラリーの給付にするなどして、直轄軍の武将連中に独立性が生じないよう
    にしている。(ちなみに信濃経略を任された酒井は、広範な領土が俺の物に
    なったとヒャッハーした行動して、家康の頭痛の種になっている)
    おまけに関東移封で、これまで領地持っていた連中は、相対的に家康との差が
    開いてしまったもんだから、発言力低下しているし。
    江戸前期のお家騒動が、有力家臣の主家に対する独自性維持を発端にしている
    こと考えれば、これだけでも粛清の度合いが減るんじゃなかろうか。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    それはただ従属国衆と家中をごっちゃにしてるだけのような…

  11. 人間七七四年 | URL | -

    米5
    周渤とか王凌とか渋い脇役と思えば…

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    >身に七十創を蒙る「曹参」の武勇。

    大丈夫だ
    これを入れれば4行だ

  13. 人間七七四年 | URL | -

    天庵「わしの勇は項羽に比すべきものだな」

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    菅谷「我が君の忠言に耳を傾けぬ事、当に項王の如し」

  15. 人間七七四年 | URL | -

    美辞麗句で中身のない文章の典型だなw

  16. 人間七七四年 | URL | -

    忠次「蕭何…いやなんでもござらぬ」

  17. 人間七七四年 | URL | -

    忠勝「狡兎尽きても走狗の孫が逆タマに乗ればイイじゃない!」

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