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榊原康政「腸が腐ってやがて死にます」

2014年01月20日 19:02

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/19(日) 21:04:04.55 ID:dV2qOaNU
俗に伝わることに、忠勝・康政は家康公から賞功に貰う土地が常に少なく、
また家康公が一国を与えるという約束を破ったために憤っていた。

そのため、康政の病中に家康公から見舞いの使者が来たときは
布団から出ずに「腸が腐ってやがて死にますとお伝えしろ」と言い、
秀忠公からの使者には、布団から出て礼服を着て陳謝した。


『武家事紀』より、有名な康政の「腸が腐って死ぬ」と言う話。
ちなみにこれを本多正信と結びつけたのは隆慶一郎だそうです。




342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/19(日) 23:59:15.17 ID:UnU8qmT2
榊原康政…館林10万石
本多忠勝…大多喜→桑名10万石
かぁ、なかなか争奪戦の舞台になった場所だし、下手な一国与えられるよりよっぽど信頼されてるよな

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 00:27:43.52 ID:8sz4NDNR
信頼されているとしても、
名誉では腹は膨れないからな…。
というか、どちらかと言うと約束を反故にされるという点の方じゃないかな。

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 00:43:04.77 ID:UQ1/Gv4L
そもそもそんな約束自体が創作だしなぁ

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 02:42:52.46 ID:vgKQnmXz
家康はケチで有名だし三河時代に譜代家臣には苦労が絶えなかったからこれらの仕打ちは当然でしょ
大身の大名にしたら反逆してくるからな

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 07:33:55.27 ID:v8M8ol/E
>>345
> 家康はケチで有名
これがまず嘘なんだよなあ…

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 14:46:37.08 ID:WV5UkCAO
一騎でも喧嘩しかねないのが三河武士かと・・・ケチならまだマシじゃね?

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 18:09:18.52 ID:d+373OnL
>>341
隆慶一郎の本だと思ったら峰隆一郎
そんな時代が俺にもありました

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 20:42:19.63 ID:DpEh9r12
>>348
全然作風違うし、無駄にエッチでグロいなあと思いました
あと、作品数は見習えばいいなとも思いました

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/21(火) 01:47:52.06 ID:MVuGoiUp
>>348
浅井長政と浅野長政みたいだな

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | yl2HcnkM

    家康はケチというより倹約家だと思っていた
    自分自身が質素な生活して他人に押し付けたりもしないし
    贅沢三昧の権力者よりはいいんじゃないかな
    遺言で民が餓えたら貯めた金を使えって言ってたんじゃなかった?

  2. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    これって元々、康政が本多正信のことを腸の腐ったような奴って言っていて、
    その本多正信が出世する反面、自分が豊臣政権末期から遠ざけられたから、
    そのことをあてつけて、「腸が腐って死ぬ」って言ったんじゃなかったっけ?

    あと、家康が康政に水戸を知行する約束をしていたのは実話だと思うぞ。
    ただ、康政がいらないって言ったから家康は、
    「徳川家は榊原家に借りがある」
    て神誓証文を書いていて、子孫の政岑が徳川吉宗の逆鱗に触れた時にそれを見せて
    改易が表高が同じで実高が低い越後高田藩への転封で済んだって逸話があるし。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    個人レベルでみれば小禄で良しとするのは格好いいけど、
    それなりに軍功あげるには、それなりのスタッフがいたわけで・・・。
    やっぱりスタッフ陣もその手の面子だったのだろうかね。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    真にケチと言っていいのは利家くらいじゃね(松さんに怒鳴られるくらいだし)
    家康やクロカンは使うときはパーっと使うイメージ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    ツイッターで調べていた人たちがいたんだけど、
    どうもそれの元ネタが「影武者徳川家康」っぽい、という話だったな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    これ全部創作話じゃん

  7. 人間七七四年 | URL | 8kSX63fM

    4月に康政の病気の報が入った時、秀忠は連日見舞いや医者を館林にやったけれど家康はその時伏見にいて連絡がずっと遅く、当代記を見る限り知ったのは5月頭。
    当然家康の使者が来たのもそれより後で、亡くなったのは5/14だから起きられなかったのはそのせいじゃ。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    正信「病臣権を争うは亡国の兆し」
    康政「をい」

  9. 人間七七四年 | URL | B4ff.1Vc

    ※5
    腸の話ですよね?山鹿素行が元ネタだったように思います。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※5

    なんで調べてから書かないんだろ...

    「榊原康政の「腸が腐った」という逸話について」
    ttp://togetter.com/li/492274

  11. 人間七七四年 | URL | -

    安房、伊豆、飛騨あたり(いずれも10万石以下)をあげればいいのに・・・
    志摩なんて2万石以下なんだけど・・・

  12. 人間七七四年 | URL | -

    他二人の天下人の家臣団に比べれば、確かに低めの禄高だとは思うけど。
    逆に与え過ぎても面倒事増えそうな気がする。

    所詮秀吉も一大名家の方面軍を預かる身からの天下人だから、ある程度
    子飼に禄を与えて周りを固めたかったと言う部分もあるのでは?

    個人的には、織田・豊臣(羽柴)系大名達は当時から武将格だから、
    結果的にある程度の禄を持ってただけではと思ってる。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    康政さんは弟同然に可愛がっていた井伊直政に録抜かれた時に「万千代(ひこにゃん)殺してワシも死ぬ」って家康にくってかかったって話聞いた事ある。ソースは確か学研の『徳川四天王』

  14. 人間七七四年 | URL | -

    >>349
    隆氏が寡作なのは、結果的に小説家になった時点で晩年だったためです。
    もしご存命なら執筆年数に応じた作品数になっていたかもしれませんね

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    いい加減親父と息子を取り違えて「ひこにゃん」言うのどうにかならんの?

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    それ武田の遺臣を巡っての逸話じゃないの?

  17. 人間七七四年 | URL | -

    でも、榊原家って優遇されてるよな
    確か何度もおとりつぶしの危機を回避してたろ?

    譜代って石高は低いけど要職につけるし
    そう簡単に潰されもしないし
    そこの点で優遇されてるから不満に思ってたとは思えんのだがな

    康政なんてそれこそ、自分から望んで小大名に留まった、って逸話だってあるんだし


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