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志村光安、織田信長に面会を許される

2014年01月27日 19:05

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 03:41:26.99 ID:t92X13ZI
志村光安織田信長に面会を許される

1580年代、出羽の有力国人の一人である谷地の白鳥長久は次第に勢力を拡大する山形の最上義光に恐れを抱き、
強大な後楯を得ようと中央で急成長をする織田信長に「我は信長様を敬い、また現状は出羽をまとめる者である、
そこで出羽守である事を認めてほしい」と使者を送った。

これを知った最上義光は「羽州探題と出羽守は最上家が名誉、なぜに長久が詐称をするのか」と怒りを顕にし、
家臣の志村光安を使者として、
最上家の系図と大きな白鷹、出羽産の名馬、月山打の長身の槍や刀を持たせて安土の信長の下へと派遣した。

面会の申請をしてそう日を経ず信長に呼ばれた光安は
出羽における最上の役割と
白鳥長久の非を丁重に、かつ簡潔に信長公へと申し上げた

信長「羽州の事柄には疎い部分があり、白鳥某の言う事を疑いもせずに信じてしまったのはこちらの非。
山形殿(義光)、いや、『山形出羽守』殿には大変に悪い事をした」

-と信長公は光安の口上に「正当な出羽守は最上義光である」といった書面を書き与えた

(つづく)

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 03:49:18.68 ID:t92X13ZI
(つづき)

信長「地域の者にあって、そち(光安)は珍しく口才名誉(達者)であるな」

-と、信長公は手ずから三宝に金兵糖(金平糖)を盛り、光安に褒美として渡し
重臣に命じて城と安土の町を案内させて饗(もてな)したとも言う

現在山形市の最上義光歴史館に飾られている
長谷堂合戦で最上義光が被り直江兼続に撃たれた弾跡の残る兜は
この面会により信長公から最上義光に贈られた物だと伝えられています

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 03:52:37.76 ID:t92X13ZI
※当時のコンペイトウを復元したものは
「戦国魂」のホームページ「信長の金平糖」で形が確認出来ますが
現在の形に比べ突起が少なくなだらかで
形状はでん六豆を小振りにした様なものになります

207 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/27(月) 04:09:07.29 ID:t92X13ZI
信長の金平糖
ttp://www.sengokudama.jp/m/sengokudama/confeito

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 04:12:25.69 ID:t92X13ZI
長宗我部元親の「饅頭」の話以外にも
外交でお菓子が用いられる例があったという事で




209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 04:49:27.38 ID:kLmfAAz2
三成「干し柿はいかがかな?」

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 04:52:13.58 ID:M8AqJ2j9
実際あんた忠興に柿出してましたやん

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 05:10:10.79 ID:LUyerPKn
>>205
んでこの数年後に白鳥は桜の木に血を吸わせることになるのか…
213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 20:38:56.15 ID:MuOgBD7Y
??「信長公だったらヒゲモジャに領土を掠め取られる事は無かった…」

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/28(火) 00:09:05.93 ID:xdUQWoFp
>>213
相手の士気を挫くためなら平気で女子供を犯させた髭だからなあ
信長だったとしてもあんたより巧く取り入るのは間違いない

221 名前:204[sage] 投稿日:2014/01/28(火) 08:41:03.19 ID:RzbAfeJM
白鳥や大宝寺等の史料も比較すると

天正5(1577)年?に白鳥長久が織田信長に馬を贈る
(羽州探題を名乗る許可を得ようとする)

1577~1580年頃?最上義光が「羽州探題職は斯波家の流れを組む最上家こそが正統である」と信長に鷹や馬を贈る
(※204の逸話の大筋)

白鳥側が「出羽は土豪国人が各々分し、裁定や仲介を纏めているのは白鳥である」「白鳥は斯波最上氏よりも出羽に古くあり、(信長の語る先祖同様)藤原の流れを組む名家」と信長に使者を送り義光を再び牽制

前後し庄内の大宝寺義氏が信長に使者を送り「屋形号」を許可される

と泥試合の様相もあった様です

222 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/28(火) 08:51:24.44 ID:RzbAfeJM
信長「贈り物はいいけど、おまえらほどほどにしとけ(にっこり)」

223 名前:204[sage] 投稿日:2014/01/28(火) 09:11:13.83 ID:RzbAfeJM
>>204の冒頭を

1580年代

1580年頃

と直して頂いた方が適切な様です

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/28(火) 09:33:54.55 ID:RzbAfeJM
白鳥は「羽州探題」と「出羽守(または出羽国守護)」を名乗ろうとした風の書き物もあり

大宝寺の屋形号は1979年頃

双方勢力拡大中の最上義光への対抗策と考えられます

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/28(火) 16:41:55.07 ID:1UTboCdk
探題と守護両方あるのか

228 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/28(火) 18:11:37.10 ID:RzbAfeJM
>>226
お隣りだと

奥州探題…大崎氏の慣例世襲
陸奥国守護職…伊達稙宗

の例も

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/29(水) 01:06:36.35 ID:4N27C86U
>>224
戦後でござるか

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/29(水) 01:10:36.73 ID:d5QP/6IU
>>224
>>237
大宝寺の屋形号は1579年ですな

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    光安も上手かったんだろうけど、信長が素直に謝っているのが面白い。そしてコンペイトウ。価値が今とは違うんだろうけど、子供が仲直りにお菓子はんぶんこみたいな、妙にかわいい逸話だな。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    えーと>>212の義光、は最上義光のことではなく源氏の末裔うんぬんのレスなので
    新羅三郎義光のことかと思われます

  3. 人間七七四年 | URL | -

    確か当時は、甘いものがすごい希少価値だったんだよね。
    純度の高い砂糖のようなものも無かったと。
    だから「甘いもの=干し柿」程度のものしかなくて、
    意外と甘党の信長はだからあれを好んだって聞いた。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    体面を気にした武士の話でもあるな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >209
    家康「大柿が手に入ったわい」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    この頃の金平糖はまだ国産じゃなくてポルトガルからの輸入品・コンフェルトだったのかな?
    だったらただ「甘いもの」ってだけじゃなくて、相当な希少価値があっただろうなぁ。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    >米6
    この時代、日本で砂糖の量産はできそうにないですね。
    サトウキビもテンサイもない

  8. 人間七七四年 | URL | -

    塩鮭は?

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    本能寺の変前(~1582年)はまだ大宝寺氏が庄内にいる

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    権現様、西軍の本拠地の「大垣城」とかけてるんですか

  11. 人間七七四年 | URL | -

    それより信長の送った兜の方が気になるな

  12. 人間七七四年 | URL | -

    つ≦Ψ≧

  13. 人間七七四年 | URL | -

    >信長の送った兜

    最上義光歴史館のホームページを見れば画像とかが載ってるお

    つ「三十八間総覆輪筋兜」

    鍬形台(前立基部)の最上笹紋やしころは拝領後の加工だが
    最上義光が織田信長から贈られたと言われる兜(「最上家伝」ほか)

  14. 人間七七四年 | URL | -

    光安「(これで大手を振って)殿(のもとへ)、帰りますよ」

  15. 人間七七四年 | URL | -

    山形弁と尾張弁の会話なのに信長に口才名誉とまで言われる志村さんスゲーな
    狂言言葉とか一応共通語らしいものも有るだろうけどイントネーションなんかは山形の地でどう学んで居たんだろ

  16. | |

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  17. 人間七七四年 | URL | -

    よく分からないのだけど、この場合当然直通で信長に面会を、となるわけないから、当然最上も白鳥も誰か織田家中か同盟関係の勢力経由で取り次いでもらってるんだよね?まさか同じ取次が正反対の話を持ち込むとは思えないし。

  18. 人間七七四年 | URL | -

    ※15
    出羽出身で上方に出ていた人もいただろうし、そういう人に仲立ちしてもらっていたとか、逆に上方出身の人が出羽氏居てたっていうこともあるんじゃないかな?

  19. 人間七七四年 | URL | -

    言葉の問題としては、
    1)候文(書き言葉)で会話していた(出典をド忘れ)
    2)公用語として朝廷の言葉が使われていた(「宗教で読む戦国時代」に於ける神田千里説)

    なので、通じた という風な事を読んだんですが・・・。
    18さんが言われるような事もあったでしょうね。

  20. 人間七七四年 | URL | -

    候文って戦国時代にはとっくに口語としては廃れてて文語としてしか通用しなかったような

  21. 人間七七四年 | URL | -

    江戸時代、参勤交代で江戸に来た人とかが、方言で話が通じないと候文(変体漢文)というのはあったそうな。
    西洋のラテン語とかと同じ扱いやね。
    言葉が通じなければ、共通語になる奴をもってくるという。

  22. 人間七七四年 | URL | -

    しかし、政宗と悪久が仲良かったけど、どう会話したんだろう?
    東北と薩摩ではかなりあるからさすがに距離はあるし。
    やはり、共通語のようなものがあったのかな?

  23. 人間七七四年 | URL | -

    共通語は、いわゆる都言葉じゃないかな。
    大名の一族やら重臣は、その辺の教育は受けて育つでしょう。
    先生は以前に教育を受けた人。
    だから地方には、古い言葉がいつまでも残ってたりしたらしい。

  24. 人間七七四年 | URL | -

    毎回それで気になるのが宣教師なんだよな

  25. | |

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