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福島正則が言い遣わしたこと

2014年01月29日 19:04

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/28(火) 20:42:55.07 ID:hQLvISrN
これは慶長11年(1606)の事である。

この頃、江戸の普請が行われていたが、福島左衛門大夫(正則)から、池田三左衛門(輝政)へ
言い遣わした事があった。

それはどのような事かといえば、福島正則の下女が逃亡し、池田輝政の屋敷に居たのであるが、
ある時福島家の中間が、池田家の屋敷の門前を通った時に彼女の姿を見つけ、とっさに追いかけ
台所の前で押し倒しこれを捕らえた。しかしここに池田家の侍や中間が出てきて、狼藉者であると
この中間を捕らえて監禁した。

福島正則はこの事を聞いて、この様に言った
「私は今回国を出立する時、家中の上下にこのように命じた。江戸の普請の最中、喧嘩を致してはならない。
頭を張られても堪忍した輩には、褒美を与える、と。
そしてもし喧嘩を仕掛けたものには、一族妻子まで同罪にいたすと命じた。
そのような所にこんな事件が起こり、是非に及ばぬ。
どうか、三左衛門の屋敷に搦め置かれている中間、並びに逃亡した女をお返し頂きたい。」

この事を使いを以って申し入れ、彼らが返還されると即座に首を刎ねた。
そして、その中間を捕らえた池田輝政の中間たちに対しては、かまわないので折檻などしないようにと、
正則より申し入れた。

この正則の対応に、池田輝政は大変神妙なご存分であると感心し、福島正則の屋敷に自ら出向き、
謝礼に及んだ。

また正則も翌朝輝政の屋敷を訪れ、
「昨日御出になられたことは忝い事です」と述べ、双方の言い分も全て相済んだ。

この池田輝政福島正則は短慮かつ荒々しい人で、その被官以下常に戦慄していたのだが、
今回このように、神妙に紛争を治めた事は、あまりに奇特な事であったため、時の人たちは
これに感じ入り、また有る者は、「時分を待っているのだろう」と言ったという。

(当代記)

紛争になりそうな事件を平穏に治めたら治めたで、逆に話題になってしまったというお話である。




231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/28(火) 20:50:28.02 ID:X4gEuo5r
伊奈昭綱の時にこそ平穏におさめとけよ

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/28(火) 22:06:47.72 ID:M0Bu/3yb
市松さんのいい話を初めて目にしたかもしれないw

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/28(火) 22:19:06.98 ID:C5DCxId0
武家は屋敷に駆け込んで来た者を一度匿ったなら見捨てないって暗黙の風習あったよな?
政治的な力で必ずしも守られるわけではないが…
鍋島家と加藤(清)家もそれで揉めたよね
この話は時期が時期だけにってことかな

235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/28(火) 22:34:32.89 ID:4y4SD1WI
この時は酒が入ってなかったんだろう

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    あれ?この二人仲悪かったから尚更喧嘩になりそうなものなのに喧嘩にならないとは!?
    市松はシラフだったのか!?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    松っちゃんは「酒さえなけれは(ry」の典型的パターンだな。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    左衛門大夫も三左衛門(三郎左衛門尉?)も官位(または官位くずれ)の呼称だったけど
    のちのち人物を特定する渾名みたいになったんだな
    そのうち本当に名前として使われるようにまでなってしまったと

    実に面白い(福山雅治ガリレオ)

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    二人が相争うのって関ヶ原の前哨戦たる岐阜城攻めでの先陣争い位しか知らないのですが、
    他に何かありましたっけ?しかも、その後も別段何か確執が有った様な雰囲気もなかった
    様な気が?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    もしこの世の中に酒というものが存在しなかったら、福島正則は希代の名君であったのではと思わせる。つくづく酒とは人を狂わすものですな、と思いつつ今日も酒を飲む

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