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1599年北京、「戦勝」式典

2014年01月30日 19:13

438 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/30(木) 09:40:57.55 ID:fcmTgM/y
文禄・慶長の役が終わった後、1599年に北京で「戦勝」式典が執り行われ、61名の降倭(日本人投降兵)が皇帝へ献上された。
そのうち首魁とされる平秀政と平正成は凌遅処死、残り59名が斬刑となった。

この捕虜についての報告書『経略御倭奏議』とその中の「献俘疏」によれば、27歳の平秀政は薩摩の島津義弘の甥で、
父は薩摩州人の平秀久、島津の一族である。義弘の子の旧石羅と共に上京して、3年目に関白の養子となった。
義弘と共に5000の兵を率いている。
40歳の平正成は薩摩守と称し、義弘配下として三島を管轄し、兵馬6000を率いていたという。捕虜となった当初は
ただの島津家臣と思われていたが、後に降倭への尋問で倭軍大将の平正成であることが明らかとなったのであった。

この2人に露梁海戦で討ち取った敵将の首を見せたところ、これは石曼子の二兄(島津義弘)に間違いないと大いに嘆き悲しみ、
その供養を願ったという。

石曼子は4兄弟。
長男は大石曼子義久で、関白の子で8歳の阿虚来の義父でもある。
次男は薩摩島主の石曼子義弘、これは現在このとおり首級になってますよ。22歳の息子で痘痕面の麻答法赤羅が跡を継いで薩摩島主になっている。
3男の石曼子賽門は病死している。
4男の石曼子那哿貳哿撤は薩摩在国で要職に就いていない。
 

当然ながら日本側記録に該当する人物も戦死者もいないわけで、皇帝御前での式典に大将級の捕虜を必要とし、なおかつそれ
相当の戦功の証が無ければ責任追及は免れないという事情がこれらの粉飾を生んだようである。

なお、処刑された日本人の中には、小西行長の配下で朝鮮側との交渉役であった要時羅も含まれていた。小西勢の撤退交渉で
海戦直前に明陣へ赴き、そのまま拉致されたのである。

小西行長の策・悪い話?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1642.html

要時羅とは、釜山に定住していた対馬人の梯七大夫という人物が有力とされる。
(『寛政重修諸家譜』では、宗義智が慶長4年(1599年)に梯七大夫を朝鮮に派遣したが行方不明になったとある。時系列は不明。)

以上は、久芳崇「東アジアの兵器革命」より。

439 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/30(木) 09:43:23.24 ID:fcmTgM/y
さて、ここで『明史』の例の部分の理由がなんとなくわかる。

『明史日本伝』より、秀吉・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1322.html
「自言為平秀吉、薩摩州人之奴(名を平秀吉と言い、薩摩州人の奴隷)」

(まあ、秀吉が当初は平氏を名乗っていたのは事実だが)なんで平秀吉なのか、なんで薩摩なのかってのは理解できた。
『明史』は歴代史書と比べて完成度が高いことで知られているけど、この場合は元になる資料自体がでっち上げだったと。
(正成の名の元ネタは寺沢正成(広高)と思われる。)




443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 17:12:51.45 ID:Hn6ivIJe
日本勢が完全撤退したあとの空城五つを攻めて、兵糧軍馬を大量奪取し首級三十二をあげ島津義弘を討ち取ったことにした中路軍とか
小西が引いたあとの順天新城に入るやいなや、転がってる死人の首かき集めて(小西のアドバイス)
その上救出した朝鮮人の捕虜や小西側から預かった人質を殺して軍功に加えた西路軍とかいろいろひどい

この要時羅ってのは西路軍の劉エンに順天からの撤退時に預けた人質の一人か?
皆殺しにされたと思ってたが北京まで連れて行かれてたんだな

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 20:25:22.00 ID:Zoyk2cFD
自分たちの土地じゃないから平気なんでしょ
まあ、本国でも普通にやりそうだけど

447 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/31(金) 03:16:51.50 ID:9uxSt6XZ
>>438
要時羅→与七郎→小西与七郎?
でも死んだとされる年は1593年頃

与二郎とか弥七郎とかの可能性もあるか

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/31(金) 03:55:07.97 ID:EIpOiUmd
発音的には「よしろう」の方が近い気がする
yao shi luo
現代中国語の発音しか知らないからなんとも言えないが

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/31(金) 04:13:28.11 ID:BJBpQ2fb
情報の正確さを重視して
超一流のスタッフと100年近くの歳月を費やした明史ですら
>>439 レベルなので、当時いかに日本の情報が
清朝側に伝わっていなかったがわかるね。
日本側の歴史書は六国史で止まってるし
わずかな情報だけで日本伝をまとめなきゃいけない担当者は
頭抱えただろうな。

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/31(金) 06:51:37.50 ID:EIpOiUmd
日本外史が明史編纂中にできていて、清に輸出されてたらよかったな
日本的とはいえ古典的な漢文だからほぼ正確に意味は通じただろうし

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/31(金) 10:36:26.82 ID:rBCzYNZQ
『李朝実録』には1598年9月(旧暦)に「悪党の要時羅が明に捕らえられた、ざまあw」とあって、露梁海戦は11月。

1599年7月、対馬の柳川調信からの書状に「ところで要時羅が帰ってこないんだけど、どうなったか知らない?」と
書いてある。
でも北京での処刑はこの年4月だったんだよね。

実録で要時羅本人が語ったところによれば、歳はまだ30代前半で2人の子持ち。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    石曼子の兄弟や子の名前が当時の中国語で漢字書きされてるけど、「麻答法赤羅」はマタハチロで島津又八郎忠恒、「賽門」はサイムンで島津左衛門督歳久、「那哿貳哿撤」はノカジカサで島津中務大輔家久。「阿虚来」はオヒュライ、恐らく「お拾」で秀頼。「旧石羅」はキュシロで島津久四郎忠清。
    しかしなんで島津忠清のようなマイナーな人物の名前まできちんと書かれてるんだ……w

  2. 人間七七四年 | URL | -

    「凌遅処死」ってどんな刑なんだ?

    シナ人のやることだけに・・

  3. 人間七七四年 | URL | -

    凌遅処死…対象者をあおむけに寝かしつけて縛って身動きをとれなくしてから、鼻と口を濡れた布を重ねて被っていく窒息刑でしたっけ?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    普通に凌遅刑(肉をちょっとずつ切り取っていく刑罰)じゃないの
    もし返還された朝鮮人の捕虜だとしたら悲惨すぎる

  5. 人間七七四年 | URL | -

    まあ、ホンモノの日本人武将だったら、捕虜になる前に自刃してるだろうけどな
    足軽や人夫が、大将にしたて上げられたのかもね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    凌遅刑は併合前の朝鮮で行われたのが写真に残ってなかったっけ?
    見る勇気はないけどな

  7. 莠コ髢謎ク?ク?屁蟷エ | URL | -

    荳頑オキ縺ァ證玲ョコ縺輔l縺滄≡邇牙插繧偵?∝㈹驕??縺ョ蜷咲岼縺ァ豁サ菴薙r繝舌Λ繝舌Λ縺ォ縺励※譎偵@縺溷?逵溘′縺ゅ▲縺溘→諤昴≧縲?

  8. 人間七七四年 | URL | Cnub/O7I

    当時の明朝語で何か説明されてますー

  9. 人間七七四年 | URL | -

    そのまま明の将軍に雇われて、反乱鎮圧のため中国奥地まで行った降倭もいたらしいね。結局そのまま中国に骨を埋めたらしいが、一体何を思っていたんだろう。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    日本国内は安定しちゃったから、異国で一旗上げてみようって血気盛んな人だったんじゃない?

  11. 人間七七四年 | URL | -

    殆ど「露梁海戦」のwikiと同じ内容だね。
    首を見せられて泣いたとあったけど、どうせ「自分達もこうなる」と悲観して
    泣いたのでしょう。

    あちらさんにして見たら、「嘘も百回言えば本当になる」だから現代も
    この内容通りに訴えて居るのだろうか?

  12. 人間七七四年 | URL | -

    嘘も突き通せば真実にとって変わるのは日本も同じでしょ
    西洋でも「大きな嘘ほど騙しやすい」っつー至言があるし

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※12
    何を言い出してるんだ君は?反日乙

  14. 人間七七四年 | URL | -

    無関係の農民なんかを殺戮した揚句、敵の首魁に仕立てるなんて本国でも普通にやってるからな。
    まして外国でも負け戦だしやらないわけがないわな。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    「嘘も百回言えば本当になる」はゲッベルスの言葉で、それをアホが彼の国の言葉であると捏造したって、それ一番言われてるから

  16. 人間七七四年 | URL | -

    「曾参、人を殺す」「三人成虎」
    というように、信じがたい嘘も3人が唱えれば真実と思われてしまう、
    て成句が春秋戦国時代からあるわけで

  17. 人間七七四年 | URL | -

    これは手柄が欲しかっただけじゃないのかね

  18. 人間七七四年 | URL | -

    明にとっては属国での防衛戦なのだから、むしろ敗戦の責を取らされたくなかったのだと思われ。

  19. 人間七七四年 | URL | -

    いつ敗戦したんだ

  20. 人間七七四年 | URL | -

    ゲッペルスが言ったのは知ってるだろ。それを実行してるから揶揄されてるだけ。アホではない。彼の国(笑)彼らが揶揄で言ってるのにWikipedia知識でどや顔して彼ら批判するてめぇらとかがアホ。
    アホとかてめぇらとかだろ。それ一番言われてるから。インム(笑)つまんね。向こうが敗けてるだろ。実質敗けとか言ってるしな。「戦勝」式典(笑)
    どうせそこらの朝鮮人を代替にしたんだろ。
    日本でもやってねぇよ。やり方も中身も違うわ。
    凌刑とか内輪で勝手にやってやられてろ。
    倭は使うな。
    向こうが降支那降穢だな。
    意味不明な言葉で文字化けしててワロス

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