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二つの記録に登場する三成

2014年01月30日 19:15

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 13:02:55.52 ID:uE2pb5xB
過去ログ見ずに投稿。かぶってたらすいません。


関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城の戦いで西軍は敗北、岐阜城は陥落した。

勢いに乗る東軍は、次の目標を大垣に定め、長良川の河渡の渡しにおいて
石田三成の部将・杉江勘兵衛らと交戦、これを討ち取っている。
揖斐川の呂久の渡しの守備についていた三成と小西行長は、事態を憂慮、
墨俣を守っていた島津義弘と協議し、その結果大垣城へ退くこととなった。


このとき、島津義弘はわずかな供廻りしか連れておらず、兵のほとんどは
墨俣に残っていた。石田・小西両勢が撤退してしまえば、島津勢は敵中に
孤立してしまう。おのれのみあくまでも退こうとする三成に対して、義弘の
家臣新納弥太左衛門と川上久右衛門が三成の馬の口を取り、考え直すよう
迫ったが、三成を翻意させることは出来なかった。司馬遼太郎の歴史小説
『関ヶ原』でも採り上げられている話であり、小説では卑怯と責められた
三成が馬上で「卑怯ではない、卑怯ではない」と独白する場面もある。
これがもとで義弘は三成を信頼できなくなり、合戦当日に非協力的な態度を
とるにいたる―というのが小説の筋。上記の話は実際に従軍した島津家家臣
大重平六の覚書がもととなっている。無論、三成独白の場面は司馬の創作で
ある。


一方、あまり知られてないが、こんな話も残っている。



退却が決まり、墨俣の島津勢は前線から大垣城目指して急いでいた。はや
日も暮れようとする頃、行く手より一騎の武者が駆けてくるのが見えた。
その出で立ちは、黒の具足・水牛の角の立物の兜を被り、供廻りも従えず
ただ一騎のみで急ぎ駆けてくる…。

「あっ、あれは治部少輔殿だ」

そう、三成であった。

島津勢が墨俣からの退却に難渋していると聞き、見舞いに駆けつけたのだ。


出典は、これも島津側に残った神戸久五郎の覚書。


二つの記録に登場する三成、まるで正反対w。
ひょっとしたら、先の話は島津家がお家のために創作したのかも。




246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 13:15:18.76 ID:pnHGcZ8r
島津義弘は最初から東軍が勝つと思っていたんだよな
で東軍に入りたかったけど、ご存知の通りでご破算

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 13:18:47.90 ID:pZ7zDfLS
検地で三成と親しかったし、もとから西軍派だったけど負けたから死人に口なしってことで
西軍についた責任を鳥居におっかぶせただけじゃないか

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 13:45:19.32 ID:9Cqd3mn5
義弘は最初から中央の要請で上杉征伐行くつもりで大坂行ったらきな臭いことになってたから
やむなく流れで入っただけでしょ

三成に協力してくれなんてことは一度も連絡されてないし西軍なんてもんは知らんよ

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 14:47:53.84 ID:pnHGcZ8r
井伊の赤備え VS 島津ステガマリ は関ヶ原のクライマックスにふさわしいね

253 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/30(木) 16:26:51.41 ID:8Eq9Z+rj
>245
司馬の小説でその後の話も載ってたような。

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 17:35:31.66 ID:Ygv7vstz
>>253
色眼鏡で三成見てるなあ。
それでなくては小説家になれんのかな?

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 17:58:30.35 ID:AuvVqLon
>>255
色眼鏡って言うかどっちも資料に残ってる話をミックスさせただけじゃないの?

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 17:59:03.27 ID:YH16w5ma
ミックスさせればそうなるよな

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 18:15:28.36 ID:4KLIDOmA
>>233
立花家の道雪の甥の立花統春が、加藤家から逃げてきた罪人を匿ったことで
騒動になって切腹した話もあるね

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 18:38:04.13 ID:HkdSXETq
>>254
つ「やる夫が山形城に生まれたようです」

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 22:49:05.67 ID:w60+8gyk
>>245
水牛の角で黒田長政が単騎で突撃してきたかと思った

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    つまり二つの証言を合わせると
    一度島津勢を見捨てていったけど、島津が撤退してくると聞いたらバツが悪くなって迎えに。
    けど結局島津勢は三成への不信感が拭えず、関ヶ原で三成の命令をボイコットするきっかけになったと、そんな流れかね

  2. 人間七七四年 | URL | -

    三成の影武者「ハハハばかめ!そちらは本物じゃ!」
    義弘「!」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    何時から三成が一人だと錯覚した?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    治部少は滅びぬ、何度でも蘇るさ。

    個人的には撤退した側は、多分島津家側の書き足しだと思うな。
    義弘さんの性格から云って、後世まで残し貶める陰湿な事は
    しないと思う。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    悪久「※4。俺の顔になんかついてんのか?」

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