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後の4人は誰だかわからない

2014年02月06日 19:03

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 15:01:46.67 ID:8SKyAvCh
幕末の酒井家・出羽庄内藩の藩士が、藩や地方の関連文書を収集して編纂したものから


神祖(家康)が三川(三河)に居られた頃は、配下に侍大将が8人いた。

大久保忠世は家中に集められた人質を管理していた。
酒井忠次は5000の兵を預かり、先陣の大将であった。織田信長から東国33カ国の武功の者と賞賛されたお方である。
大須賀康高はその次、本多忠勝も軍勢を率いる。

後の4人は誰だかわからない。
(大泉叢誌)

他の4人については本当にこれ以上書いてありませんw





292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 17:09:03.14 ID:uujho66q
スルーされたのは石川数正と鳥居元忠辺りか?あと誰だろ?

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    正純「♪この四人誰だろ、気になる、木になる♪」

  2. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    一人は石川数正だから濁したのもわかる気がするけど、後は誰なんだろ…

  3. 人間七七四年 | URL | /uHYxkhw

    三河衆なら石川伯耆、酒井雅楽、鳥居彦右、榊原小平太、この四人あたりじゃないのかねぇ?
    これ以外で可能性があるとしたら本多豊後、阿部、植村、内藤、安藤、ってところかな?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    タイトルだけ見てたら、四天王なのに一人しか名前わからずにあとの4人が分からないのかと勘違いしていたが、かなり無理があるな。
    宇喜多直家か松永久秀の茶を飲んでくるわ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    三奉行ははずしてるだろうしなぁ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    これ多分、三河時代の旗本先手役だろ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    本当の三河一国の永禄の頃か、関東移封直前の天正末頃かで顔触れ全く違うしな

    前者なら石川家成や本多広孝が入ってくるはずだし、後者なら四天王の面々(但し酒井家は嫡男の家次)プラス大久保忠世、鳥居元忠、平岩親吉と大須賀康高だっけな?

  8. 人間七七四年 | URL | -

    管理人さんのツイッターにリプしていた人がいたがそれによると
    武備神木抄が出典のものだと、大久保忠世、酒井忠次、大須賀康高、本多忠勝、榊原康政、
    井伊直政、平岩親吉、石川家成の八人らしい。
    これからすると、酒井忠次は家康が関東移封された時には既に隠居しているし
    大須賀康高は1589年に没している。
    1590年の小田原征伐前のことで有ることは間違いない。
    そして相変わらず井伊直政だけが妙に若い。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    調べたら天正13年(1985年)のにこの8人の侍大将を置いたらしい
    石川数正出奔後ね

  10. 人間七七四年 | URL | -

    三河遠江時代の「旗本先手役」は榊原康政、本多忠勝、大久保忠世、鳥居元忠、植村家存、大須賀康高らで、東西三河の「旗頭」の酒井忠次、石川数正は別格

    小田原の役の徳川軍陣立だと、酒井家次、本多忠勝、榊原康政、平岩親吉、鳥居元忠、大久保忠世、井伊直政が「先衆七手」

    東西三河と家康直属軍の三備体制からの転換は、所領の拡大で、旗本から支城主への転出が増えたのもあるが、決定的だったのはやはり数正の出奔で、軍制改革をしたのが大きい

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