625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/02(日) 01:45:54.89 ID:CxSCJIi/
最上義守、生前葬を上げる?
家中の義光推しの空気と病を圧した重臣氏家定直の諌言もあり、最上義守は家督を息子の義光に譲る事を決断。
栄林と号し山形城の北の龍門寺に隠居した。
この寺に興味深い文書が残る。
元亀2(1571)年、秋彼岸の日、葬送に際して火を下ろすときに唱える「炬下語(あこご)」が、義守のために用意された、といったものである。
この後義守は伊達輝宗に手紙を出し「やっぱり義光に家督継がせたのミスだった。(ワシが)当主に(また)なるから力(兵)貸して」といった申し出をする。
伊達輝宗は周囲に「中野殿(最上義守)が天童や白鳥と結んでなにやら企てている」と手紙を出したが
この手紙の「中野殿」が後代義光と家督を争った「最上義時」扱いされる原因にもなった
一度は家督を譲ったものの
最上義光に不安を感じ、「天正最上の乱」勃発に際し覚悟の生前葬を上げた最上義守の周りを巻き込んだ悪い話?
626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/02(日) 01:51:19.14 ID:CxSCJIi/
ノブヤボではぱっとしないけど、最上義守は伊達家の傀儡だった最上家を独立大名に立ち直らせた
ある意味最上家中興の祖。
628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/02(日) 02:04:49.15 ID:1KnOREGZ
炬下語ではなく下炬語じゃね
禅に帰入して得度した事の証明として行われるもんなので、別に不穏な意味は無いはずだが
629 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/03/02(日) 02:45:53.97 ID:CxSCJIi/
>>628
下炬でしたね
龍門寺は(現在)曹洞宗ですが
宗派によっての解釈の違いなんかもあるのでしょうか?
栄林を号し龍門寺に入ってから
時期を少し置いての話の様です
気分転換かなにかの区切りやけじめ?
下炬 あこ 導師が松明をとって、死者を火葬する意。
転じて、棺前に立って引導を授けること。
曹洞宗では三尺二寸。
浄土宗では二尺五寸とされ、1本を落とし(厭離穢土)、残る1本(欣求浄土)で1円を描き引導文を述べた後落とすなどの作法がある。
迦葉が釈尊の荼毘の炬をとった(菩薩所胎経)。
大声を上げて一喝するのは、中国黄檗の希運禅師の故事より(伝燈録)。
炬はかがり火、松明(たいまつ)の意。
「智慧の火を以って煩悩の薪を焼くの標示なり」(百通切紙第三)
あこ
禅宗で、火葬のときに導師が遺体を焼く燃料に火をつけること。のちには偈(げ)を唱えてしぐさをするだけになった。秉炬(ひんこ)。
630 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/03/02(日) 02:51:55.21 ID:CxSCJIi/
隠居後に改めて得度もしたけれど
義光に家督を譲ったのは腑に落ちなかった→隠居も得度もかなぐり捨てて伊達・天童・白鳥を巻き込み天正最上の乱へ、といった流れでしょうか
最上義守、生前葬を上げる?
家中の義光推しの空気と病を圧した重臣氏家定直の諌言もあり、最上義守は家督を息子の義光に譲る事を決断。
栄林と号し山形城の北の龍門寺に隠居した。
この寺に興味深い文書が残る。
元亀2(1571)年、秋彼岸の日、葬送に際して火を下ろすときに唱える「炬下語(あこご)」が、義守のために用意された、といったものである。
この後義守は伊達輝宗に手紙を出し「やっぱり義光に家督継がせたのミスだった。(ワシが)当主に(また)なるから力(兵)貸して」といった申し出をする。
伊達輝宗は周囲に「中野殿(最上義守)が天童や白鳥と結んでなにやら企てている」と手紙を出したが
この手紙の「中野殿」が後代義光と家督を争った「最上義時」扱いされる原因にもなった
一度は家督を譲ったものの
最上義光に不安を感じ、「天正最上の乱」勃発に際し覚悟の生前葬を上げた最上義守の周りを巻き込んだ悪い話?
626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/02(日) 01:51:19.14 ID:CxSCJIi/
ノブヤボではぱっとしないけど、最上義守は伊達家の傀儡だった最上家を独立大名に立ち直らせた
ある意味最上家中興の祖。
628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/02(日) 02:04:49.15 ID:1KnOREGZ
炬下語ではなく下炬語じゃね
禅に帰入して得度した事の証明として行われるもんなので、別に不穏な意味は無いはずだが
629 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/03/02(日) 02:45:53.97 ID:CxSCJIi/
>>628
下炬でしたね
龍門寺は(現在)曹洞宗ですが
宗派によっての解釈の違いなんかもあるのでしょうか?
栄林を号し龍門寺に入ってから
時期を少し置いての話の様です
気分転換かなにかの区切りやけじめ?
下炬 あこ 導師が松明をとって、死者を火葬する意。
転じて、棺前に立って引導を授けること。
曹洞宗では三尺二寸。
浄土宗では二尺五寸とされ、1本を落とし(厭離穢土)、残る1本(欣求浄土)で1円を描き引導文を述べた後落とすなどの作法がある。
迦葉が釈尊の荼毘の炬をとった(菩薩所胎経)。
大声を上げて一喝するのは、中国黄檗の希運禅師の故事より(伝燈録)。
炬はかがり火、松明(たいまつ)の意。
「智慧の火を以って煩悩の薪を焼くの標示なり」(百通切紙第三)
あこ
禅宗で、火葬のときに導師が遺体を焼く燃料に火をつけること。のちには偈(げ)を唱えてしぐさをするだけになった。秉炬(ひんこ)。
630 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/03/02(日) 02:51:55.21 ID:CxSCJIi/
隠居後に改めて得度もしたけれど
義光に家督を譲ったのは腑に落ちなかった→隠居も得度もかなぐり捨てて伊達・天童・白鳥を巻き込み天正最上の乱へ、といった流れでしょうか
スポンサーサイト
コメント
人間七七四年 | URL | -
最上義守は山形北方の中野城を拠点とした最上氏の庶流の中野氏の出。
時の宗家の最上義定に子がいなかった事から義定の死後に天童八楯に支持され2才で最上宗家を継ぐ。
( 2014年03月02日 19:36 )
人間七七四年 | URL | -
えーりん!えーりん!
( 2014年03月02日 20:03 )
人間七七四年 | URL | -
義光「なんかよくわからないうちに色々と計画通り」
( 2014年03月03日 10:32 )
人間七七四年 | URL | -
こんなに仲が悪いのに、親子でお風呂入ったりはしたんだね。
(入浴中に賊が侵入、鮭様無双で撃退)
( 2014年03月03日 13:16 )
人間七七四年 | URL | -
義守「こんな脳筋が俺の息子のワケがない…」
( 2014年03月03日 13:41 )
人間七七四年 | URL | -
※5
伊達輝宗「うちの息子に比べたらかなりマシな人格者じゃないですか...どうしてこうなった...」
( 2014年03月03日 22:20 )
人間七七四年 | URL | -
輝宗さんは「どうしてこうなった」じゃなく「よくぞ立派に育った」って喜んでた親バカさんだから…
( 2014年03月05日 15:16 )
コメントの投稿