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山形に残った氏家守棟の一族は

2014年03月09日 18:46

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/09(日) 01:37:50.59 ID:Ev17vN9S
山形に残った氏家守棟の一族は

最上義光の死から八年後の元和八(1622)年、内紛により最上家は改易

累代最上家家宰・氏家家当主の氏家左近(光氏。また別人説で親貞とも)は家内騒動を抑え切れなかった
責を問われ山形から追放となり、長門毛利家へのお預けとなった

去んぬる氏家家当主であった氏家守棟(1534~1591)は既にこの世になかったが、守棟の一族は
最上家の改易により義光時代に授かった旧領の寒河江や白岩で帰農。土地の名主や肝入となり、
ムラを纏める者となった

最上家改易により白岩には酒井氏が入封

ただし重税と不作により、白岩では多くの餓死者を出した

白岩の氏家らの名主は山形に代表を出し談判に赴いたが、これらの者は山形で殺害された

「願いは無視され話し合いも出来ぬのなら、お上(江戸幕府)に訴えるまで!」と30人を越える名主や
肝入・百姓代らが酒井氏の悪政と年貢の減免を求め江戸へ立ったが、その多くが追捕されロクに
取り調べもされずに殺された

これらは「白岩の義民一揆」へと続く話

守棟の流れを組む軽部といった一家が仲間内によって残された

軽部家には底面に「大先祖」と記された氏家守棟の位牌が残る

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/09(日) 01:42:00.77 ID:Ev17vN9S
酒井の圧政に潰され、保科正之の裁定に命を奪われた氏家守棟一族のなんとも哀しい話

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/09(日) 01:57:55.06 ID:Ev17vN9S
白岩の義民一揆は酒井氏の圧政期間とその後の幕領期と幾度か飢饉が続き
名主らも「訴え出たのは山形へ」「山形では話にならぬとみた者があり、江戸を目指した者も少なくなかった」
といった話もある様です




704 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/03/09(日) 23:44:55.02 ID:Ev17vN9S
白岩の酒井、庄内の酒井となにかと因縁のある「酒井忠重」だしな…

元和8年(1622年) 出羽国村山郡白岩4000石領主となる(のちに8000石に加増される)。
寛永10年(1633年) 1000人余りの餓死者を出すなどの苛政をしいたため、白岩領の農民が一揆を起こして江戸奉行所に訴える(白岩一揆)。
寛永15年(1638年) 江戸奉行所の判決により白岩領主を改易となり庄内藩主・酒井忠勝に預けられる。
寛永19年(1642年) 忠勝の娘と長男九八郎(忠広)を結婚させて、庄内藩主家の後嗣にしようとする、お家乗っ取り計画が発覚。
承応元年(1652年) 忠勝の遺言分配金に自分の名前が無かったため幕府に提訴し、庄内藩主・酒井忠当より金2万両を贈られて義絶される。
寛文5年(1665年) 息女の結婚の件で相手と論争したこと等が、幕府の知ることとなり、改易される。
寛文6年(1666年)9月24日、夜中、何者かに襲われて死亡する。享年71。

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/10(月) 15:43:02.73 ID:lG0+4x8m
>>704
坂崎直盛、加藤明成、松倉勝家そして酒井忠重
こいつらに一度狙われたら最後
地獄の果てまで粘着されて人生メチャクチャに。
これぞ戦国四大サイコパス。

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/10(月) 18:40:27.84 ID:GoKNGOE0
酒井忠重、白岩一揆以前に苛政で既に「民らから毟れるだけ毟り取り」、直訴一揆前には表沙汰にならない部分でもかなり殺してそうなのが…

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/10(月) 18:48:38.34 ID:GoKNGOE0
寛永10(1633)年、500戸ほどの出羽国村山郷白岩で領主酒井氏の圧制により1000人を越える餓死者が出た

1638年にも再度大規模な一揆が起こり、馬見ヶ崎川下流高瀬の河原で首謀者と見做された百姓の代表ら36人が磔(はりつけ)にされた

関連
保科正之と白岩一揆 - 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ


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コメント

  1. 人間@7年 | URL | -

    義光没後の最上家や家臣団は本当に悲しいな…
    それだけ義光が偉大だったという事なんだろうが……

  2. 人間七七四年 | URL | -

    正直言って最上家改易の遠因自体はその義光公自身も関わってくる事だしね。
    結局の所最上家臣団も甲州武田家と同じく、当主の義光に仕えて居る感あるし。
    結果的に嫡男義康の不審死が引き金になったのは間違いないでしょう。

    にしても、あの酒井家からどうしてこんなのが生まれたのか?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    うーん?白岩の領主は酒井氏なら鶴岡に行くべきなんじゃ…
    山形に行ったのは保科正之の幕内での政治力に期待したのかな?

  4. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    ※2
    最上氏は東北土着の諸藩の中でも中央集権化の改革が進まなかったからなぁ。
    南部氏は九戸の乱で、伊達氏は米沢から仙台への転封で改革されたのに、
    下手に山形に残っちゃったから国人連合から脱しきれなかったのかもね。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    白岩の酒井は酒井一族の中でも超問題児の「酒井忠重」だからな…

    一族から放置されかけてるなら他家の偉い人から注意してもらった方がまだどうにかなると考えたんじゃ?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ある意味で、鮭様がカリスマ過ぎたのかもしれない。
    先見性・(突撃癖の問題もあるけど)武勇と知略・政治交渉力で
    東北地方であそこまである人も限られる。
    甥っ子も凄いけど、鮭様に比べれば失敗は多いですし。

    後は、家臣団に領地を与え過ぎた事かも?

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    伊達はガタガタやん

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    庄内藩主・酒井忠勝も弟と同様に重税を課して一足先に江戸で直訴されちゃってるので、
    そんなヤツを頼っても期待どころか絶望しか待っていない。
    保科正之を頼ったのは一揆側ではなく代官・酒井忠重で、
    めでたく一揆側の主だったものを撫で斬りにして鎮圧してもらったが、
    酒井忠重その人もめでたく改易されて兄の下で預かりの身に…
    と思ったらお家乗っ取りを企むなど死んでも治らないようなバカ殿っぷり。

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