大友義鎮(宗麟)は羨ましかった・悪い話

2008年12月26日 00:09

632 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/25(木) 03:15:47 ID:4B+nrRp4
大友義鎮(宗麟)は羨ましかった。お隣の大内さんが、である。

朝廷や将軍との近しい関係から、官位や官職を次々と得、西日本王とも言うべき権威と権力を
得ていたからだ。

聞くところによると、大内さんは莫大な献金によりその地位を得ていると言う。
ならば、俺もやってみよう。
義鎮は天文二十三年(1554)、将軍足利義輝に莫大な献金をした。

効果はてきめんであった。

義鎮はその褒美として肥後守護織に任じられた。
大友氏は肥後支配の正統性を手に入れた。

『大友義鎮の権威が上がった。国衆たちの義鎮を見る目が変わった。
大友義鎮の支配力のレベルが上がった。』

「これだ!」
権威は金で買えるのだ。もっと!もっと支配のための権威を!

義鎮は京にプレゼント攻勢をかけた。
金銭は勿論の事、記録に残るだけでも、緞子、白糸、黄金、絵画、手火矢、南蛮鉄砲、石火矢、種子島筒、
えとせえとせ。
とにかく身の回りにあるもので珍しい物、価値のありそうな物は、すべてといっていいほど送った。

結果

天文二十三年(1554)、肥後守護織
永禄二年(1559)、豊前、筑前、筑後守護織、九州探題織、大内家家督
永禄三年(1560)、周防、長門守護織、左衛門督叙任、桐の紋を授与

なんと義鎮は瞬く間に、制度的、名目的には島津守護職薩隅日を除いた九州全土、
そして旧大内領すべての支配権をその手にした。
彼は、かつて羨んだ大内をすら越える、西日本王の地位に、今まさに立ったのだ。

そう。あくまで名目的に。

島津「京から貰った権威?」
龍造寺「そんなもの」
毛利「知るか!」

『権威の効かない連中が現れた。大友義鎮は動揺している。』

彼が大金をかけて得た権威は、彼の権力を保障してはくれなかった。それどころか
その名目上の権限を守るため、泥沼のような争いを強いられる事になったのである。

身の丈に合わぬ権威を求めると、その権威に「位打ち」されることもある。
そんなお話。



633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 05:43:07 ID:3cKlJeKE
>>632
宗麟が悪いっていうより、毛利、竜造寺、島津が悪いようなw

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 07:20:14 ID:R9di+Qzx
何か宗麟って適度というものが無いイメージがあるな・・・

635 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/25(木) 10:52:00 ID:n0El7Z/U

>>632
大内さんの官位のための献金には時の帝ですら呆れて、官位授与を取りやめるように言ったほどだw


636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 11:52:45 ID:fMNK1sc+
>>635
そこで貰っておけば、三代計34年間の即位式の延期もなかったかもなw
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    むしろ島津と毛利に挟まれてよく無事だったな

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