FC2ブログ

津軽為信が開墾を奨励したこの地域は

2014年04月07日 19:03

702 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/06(日) 21:19:44.61 ID:wJYmAo3t
天正四年(1576)旧三月、津軽平定の途上にある津軽為信公はある時鯵ヶ沢地方巡視の帰りに、
妙堂崎の山手にさしかかったさい遥か東北の方に茫々と広がる芦原を望むと、
無住の地と思わる彼方に一大老樹が天を覆っていた。
その傍より一条の炊煙が立ち上るのを見つけ奇異の念をいだきその所を尋ねる事にした。
ようやくたどりついて見ると一大老柏木の傍に葦芽の家が三軒並んであった。
これは、工藤祐益、花巻頼母、山崎織部等落武者の庵で付近僅かに粟稗が耕されてあった。
一行は暫くこの草庵に憩をとることにした。昼時ともなったので、村人達は心をこめて粟や稗の酒飯を炊いてもてなした。
為信公はことのほか上機嫌で祐益老の願いを聞くと産土神の御加護の下に開墾を進めたい、とお宮の建立を上願した。
そして為信公はしの四方遥か広漠たる葦原を眺めこの土地を広須野と名づけ帰城して行ったという。
翌天正5年(1577)旧三月公命によりて国家安泰万民豊楽五穀成就、
新田開発成就の祈願の社として広須八幡宮が建立され祐益老の孫千之太夫が宮司となった。

(柏正八幡宮境内由緒書)

津軽為信が開墾を奨励したこの地域は、第二次世界大戦中に全国で最も米の供出量が多い地域となった。





スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    工藤祐益って富士の巻狩りのアイツと関係ありそうな名前だな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    せやろか

  3. 人間七七四年 | URL | -

    黒石工藤氏の関係じゃない?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    黒石工藤氏調べたけど一応工藤祐経の末裔を自称してるんだな

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/8368-04784dce
この記事へのトラックバック