藤堂高虎と、加藤嘉明の会津転封・悪い話

2008年12月27日 00:06

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 02:23:08 ID:+0FpMWSI
家康が病に臥せっていた時の話である。
見舞いに訪れた藤堂高虎は
「私も老いました。そして私の見るところ後継ぎの高次には伊勢・伊賀を治めるだけの器量がありません。
私の死んだ後は速やかに国替えをお申し付けますように」と言った。

それを聞いた家康は、
「それは許さん。たとえお前が死に、高次にその領地を治めるだけの器量がなかったとしても
お前が長年にわたり育ててきた家臣共がいるではないか。国を治められぬと言う事はなかろう。
我が家があるかぎり未来永劫、伊勢・伊賀は藤堂家のものである」と言った。

この一言のおかげで藤堂家は明治維新まで減封、転封が一切なかったという。

この話自体はいい話に入るかも知れんが、この話には続きがある・・・

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 02:23:49 ID:+0FpMWSI
・・・時は流れて寛永4年
加藤嘉明は満足げにひとりごちていた。
関ヶ原で加増されてから、25年もの長きに渡って築いていた松山城が、もう少しで完成と言うところまでこぎつけたからであった。
嘉明「長かった・・数々の天下普請の合間を縫ってコツコツと続けてきた城作りもようやく完成が見えてきたな。
今治よりも、篠山よりも、伊賀上野よりも、津よりも立派な城がもうじき完成するわww」


そこへ使者が飛び込んでくる
使者「お喜びくださいませ、加藤左馬助様は会津40万石に加増転封が決定いたしましたぞ」
嘉明「なんと!!なぜだ?」
使者「大御所様(秀忠)は最初は藤堂和泉守様に転封を命じましたが、権現様のお言葉があると言う事で辞退なされたそうです」
嘉明「・・・・して何故この私が?」
使者「なんでも和泉守様がご推薦なされたとか言う話で御座います」
嘉明(なに!?高虎が・・・だと?この俺が心血を注いで作った松山城が完成間近なのを知って、会津に飛ばそうと言うのか?そうはいかん!)
嘉明「この話、お断りします」
使者「な、なにゆえで御座いますか」
嘉明「私も年老いたし、家中には武勇の士も絶えて会津を治めるほどの力はないからでございます。大御所様にそうお伝えくだされ」

しかし、その願いは受け入れられず、嘉明は城の完成を見ることなく、泣く泣く会津へ赴くこととなる。


その頃高虎は
「うはww孫六wwざまあwwwあんな寒いトコになんか行きたくないわなwww
ご立派なお城も完成間近だったのにwwwwwwくやしいのうwwwくやしいのうwwww
それにしても権現様のお言葉ってやつは効果抜群だなwwwwww」m9(^Д^)プギャー
とか言ったとか言わなかったとか。



いい話スレで既出の話だが、見方を変えると悪い話になるというおはなし




657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 02:29:22 ID:69ee0dAC
その後松山城入りしたのがあの蒲生氏郷の孫である蒲生忠知だったり…

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 04:52:19 ID:lJYaR6I2
つーか、東北の最重要拠点である会津を馬鹿にした話でもあるな。
どうもこの逸話は、東北への蔑視が基礎にあるように感じて好きになれないんだよなー。

659 名前:大人の名無しさん[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 07:40:14 ID:3GwXry3V
九州在住のオレからすれば、寒い東北転勤なんて悪夢でしかない

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 07:54:44 ID:EMXcGv3w
>>658
元々寒いとこの人じゃないからねえ

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 09:44:49 ID:mMvyf5r1
>>658
まあ仕方ないんじゃないか。現代はともかく、当時は東北ってほんと米が取れにくい土地柄だし。

表高で加増ったって素直に喜べないよな。

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 09:55:15 ID:KRitudhH
会津に転封されて4年後に死んでるんだよな嘉明
やっぱ25年も心血注いで築いた城を完成目前で掠め取られたのがショックだったんだろうか

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 11:21:51 ID:0POti0BX
同じ北国越後から会津に入った上杉でさえ
「耕せる土地がNEEEEE!」って困ってました。

664 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/26(金) 11:43:27 ID:qz2iX0Qf
東北は山ばかりで平野が少ないんだよな。
俺は岩手の沿岸部の出身で、そういうと
「いいところだ」
とお世辞を言われるんだが、実際は海と山に囲まれた
わずかの平地に人間が住んでいるに過ぎない。
耕せる土地が少ないから、意外と農家も少ない。
クラスで1人程度じゃなかったかな。

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 12:00:47 ID:R7uzhAB+
畿内と東北じゃ、生産力に絶望的な差があるし
当時の畿内人が東国を蔑んでたのは事実だから、美談じゃないぶん、本音を写してるんだろう
南部信直も馬鹿にされてホームシックになってたが…

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 12:26:32 ID:9Sxrh9g+
ってか老齢に雪国は辛いだろ…
歳食ってくると暖かさを感じなくなっていくのにその上雪国じゃ体に良くないわな

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 12:42:37 ID:apiIL3Ah
自分も岩手(ただし内陸)の出身だけど、この時代の常識考えれば
この手の話における飛ばされる側の反応は仕方ないよなーと思える
戦国生きた人間なら、米の生産=大人数を養う基本=国力という感覚なんじゃないかな

高虎や加藤嘉明の生きてた時代ぐらいだと
まだ「風土に合わせた特産物で産業奨励」という発想にまでは至ってないのか、
とも受け取れるから興味深い
あ、実際どうだったのかは知らん。すでにそういう風潮があったっていうならすまん

670 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/26(金) 13:58:49 ID:t9ZMsFqg
>>661
あれ…江戸時代の江戸近辺の米は東北産だって聞いてたけど…

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 14:30:05 ID:p7x6Ttuy
転封ってさ、なついた領民と別れるっていう面でも嫌だって話を聞いたことがある
新領地では前領主とくらべられたりするとかなんとか

税制や法制、習慣等細かな違いやらなんやらを
前の殿様はどうたらとか言われちゃうんだぜ
ましてや会津なんて前の殿様がチート野郎の
蒲生や上杉だろ
心労も半端ねぇと思う

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 14:37:37 ID:xfenYw8f
領民的にはどっちも大した領主じゃない気もするw

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 14:47:18 ID:v3AaYcCc
蒲生はともかく上杉は・・・

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 15:56:35 ID:cmq6wA9+
>>670
それは東北産というか、仙台産じゃないかなあ
仙台平野と、会津や仙台以北の米の生産力は雲泥の差があると思う
(山形あたりはどうだか知らないが)

関係ないけど、なにかの本で
「日本人の米に対する執念はすさまじい。
明らかに水稲栽培の向いてない東北地方でも稲作やるんだっていって
本当になんとかしたんだから」
ってのを読んだ
米ありきっていう考え方は、戦国~江戸に培われたもんなのかね

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 16:00:51 ID:lJYaR6I2
>>675
米がいろんな価値の中心なのは、少なくとも平安時代からだね。
農民の側の価値観からして、米栽培こそが農作の本道って意識があった。

まあ、何故なら経済的に一番高く売れるのが米だったから、らしいのだが。
江戸期はむしろ、米以外の作物栽培が奨励され、農民が米を作らなくても
生活できるようになった時代。

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 16:07:46 ID:csemcjlH
>>671
越後は米よりも青そと日本海交易と金山銀山の売り上げが
凄かったから越後から切り離されて上杉マジ涙目。
(謙信の代では金山運営はあまり関係なかったけど
景勝の代では佐渡の金を別にしても日本一の産出量)
上杉が越後に固執したのも頷ける。
青そ栽培は米沢に移って以降も奨励して
しまいには米沢から越後に青そが輸出されるようになっとる。

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 18:42:55 ID:0POti0BX
会津にはなんか特産品なかったんか?
葦名もあんま内政面評価聞かないが。

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 12:42:49 ID:RIIhWHUv
>>670
実はDQ眼竜政宗や伊達さんの功績なんだよな。
仙台で開墾しまくって、表高より大幅に収穫量増えた米を江戸に売っていたんで

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 12:59:45 ID:y2RDjlcs
というより子々孫々開墾し続けた結果だね。
伊達氏全体の功績なんで個人に帰すもんじゃない。

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 13:17:27 ID:5KrrEOIb
>>702
ちゃんと伊達家全体を評価してるように見えるんだが
>DQ眼竜政宗や伊達さんの
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