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「ねぎり」

2014年04月19日 18:00

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/18(金) 20:30:52.70 ID:JnQduTPV
「ねぎり」

天正16(1588)年、最上義光の影響下にあった庄内に、本庄繁長と実子で大宝寺の家名を継いでいた義勝は
小国口から鬼坂峠を越えて庄内地方へ突如として侵攻を開始した。
上杉軍は庄内の東禅寺寄りの城館を次々と落とし尾浦へ進軍。
最上方の東禅寺義長は弟の東禅寺右馬頭(勝正)と十五里ヶ原で上杉軍を迎え撃った。
しかし数で劣る東禅寺軍は疲弊し、さらには東禅寺兄弟の政をけして良くは感じていなかった庄内の国人らが
上杉軍に旗色を変えて尾浦や大宝寺の街に付け火をし、放牧で逃走や裏切りが相次いだ。
これにより東禅寺義長は討死し、その報を聞いた勝正は偽首の計事により本庄繁長に一太刀浴びせたが
目的を達せず討取られた。

山形から月山を越えた辺りまで最上の援軍が来ていたが合戦には間に合わず
東禅寺勢と庄内在番中の最上方の軍監の草苅虎之助と氏家光棟らをはじめに兵2,500余人が討取られた。

敗残兵軍は朝日山城などで池田盛周・邦周親子らが抵抗を続けたが敗れ、庄内地方は上杉の支配下となった。

その後本庄に味方をした者は取り立てられ、最上や東禅寺に通じていた者らは悉く追われた。
続いて上杉の兵らにより執拗な残党討伐や親最上派狩が行われた。
翌年になっても「ねぎり(根切り・根絶やし)」は整然と続けられ、庄内から最上派は一掃されたと言う。

「庄内の昔話」




15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/18(金) 21:46:52.00 ID:Rjxo+iff
この時、本庄繁長に斬りかかった刀が東禅寺(本庄)正宗か

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/19(土) 02:33:11.29 ID:MNIlPhKx
話の片割れの繁長の明珍の兜は村上市の資料館にあるな。

私闘禁止令破りでも北条は罰として滅ぼされ、上杉はヒャッハー過ぎてラスボスもほっといたのか。

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/19(土) 06:06:14.88 ID:Qw9SnuT/
惣無事令なるものが存在したり、そいつが私闘禁止令だったというのは古い解釈じゃなかろうか
結局は豊臣政権に従ったらセーフで逆らったらNGなだけだし。

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/19(土) 06:37:26.02 ID:t/WfMyGm
北条はどっちにしろ滅ぼす気満々だったんじゃないかね?

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | la5PUrQg

    >放牧で逃走や裏切りが相次いだ。

    方々での間違い?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >私闘禁止令破り

    この時期は「どこまでなら致命的にならないか」探り探りな印象。

    上杉と北条の違いは味方歴だと思う。

    それと、ちゃんと会いに行って頭を下げるってのも大事だよね。

  3. 人間七七四年 | URL | TpxBOJeA

    ねぎり…
    「まけてえなあ」かと思ったのは私だけか?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    潰すときは叩いて叩いて根まで潰せち教わった

  5. 人間七七四年 | URL | -

    米3
    へうげもの風ラスボス「そうかそうか、ねぎりをそう捉えたか。
    ラクガキを見逃すような番所の奴らと一緒に体験させてやろう(にっこり)」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    米4さん
    比叡山と本願寺を根まで潰そうとした織田信長は下剋上に倒れ、比叡山と本願寺は現代まで続いている

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    おいおい悪意ある書き方だな。最初は話し合いで済まそうとしているじゃないか。
    本願寺とは結局和睦してるし、比叡山焼き討ちも全域じゃないぞ。
    しかも、どちらも宗教を盾にやりたい放題の組織だ。遅かれ早かれ対立したぞ。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    信長が宗教組織を疲弊させたおかげで家康が統治機構に取り入れやすくなったと考えると日本の平和な宗教は信長のお陰なんだなぁ

  9. 人間七七四年 | URL | -

    米7
    あなたのコメントに宗教への悪意があると思う

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※3※4
    「負けてえ(負けたい)なあ」ならだいたいあってる

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    うわー無知なのが居るゾ~wwww

  12. 人間七七四年 | URL | -

    当時の本願寺とか比叡山とかは宗教つうよりごろつき軍団やで
    こっちからは攻撃しかけるけど、武士から攻撃するのNGな、っていう

    信長なんか何度も何度も武装解除しなさいって手紙出してるし
    それをOKしておきながら本願寺も比叡山も奇襲かけたりしてるんだよ
    そんならもう普通に攻めても構わないよね?ってのが比叡山の焼き討ちだったりする

  13. 人間七七四年 | URL | -

    現代倫理で語れば信長オタの言う通りだけど、日本の宗教勢力は武装がデフォルトだしなあ。
    そもそも信長も政教分離の理念や、宗教組織そのものの武装解除を目指して比叡山や本願寺と戦ったわけでもないだろう

  14. 人間七七四年 | URL | -

    当時って宗教盾に取ったぐらいで手控えるほど殊勝だったっけ?
    寺だろうが何だろうが自衛してないと普通に襲撃されてたような。
    禁制の札もらっててもお構いなしなんちゅー事もあったような。
    寺同士の焼き討ちバトルとかもあるし。(文化財よく残ったなオイ

    >偽首の計事
    何でソコさらっと流すのよ。何気に面白そうなのに。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※14殿
    >偽首の計事

    昔のまとめの「本庄正宗」の話にあったはず

    東禅寺兄と草苅虎之助討ち死に

    東禅寺弟が近くで死んでいた兵の首を落として「東禅寺右馬頭を討ち取ったり!首実験を所望す」と本庄軍の本陣に一人潜入に成功

    本庄繁長「それが東禅寺の首か?」
    東禅寺弟「もっとおそばで確認ください…覚悟!(切りつける)」

    明珍の兜で繁長助かる
    東禅寺弟、本庄の家来に囲まれ惨殺される

    捕虜の尋問から偽首を持って繁長に切りつけたのが東禅寺右馬頭だったことが判明

    東禅寺弟の持ってた正宗の名刀が後日「本庄正宗」とか「東禅寺正宗」と呼ばれるようになった

  16. 人間七七四年 | URL | -

    この時のゴタゴタで(秀吉だか三成だかの裁定により)庄内は上杉領として認める代わりに主犯である繁長は上杉家から追放されたはず。後年上杉家が領地替えさせられたときに条件の一つとして秀吉に繁長の上杉家帰参を飲ませて繁長は上杉家第三位の高禄で復帰、白石城で息子と共に政宗とバトルの流れだったはず。

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