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本能寺の変・証言

2014年04月21日 18:55

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/21(月) 09:21:00.35 ID:6h/K3DlS
明智光秀の謀反の時、光秀は家老にはその謀反の意図を知らせたが、諸卒には知らせなかった。
そのため西国に出立するのだと皆心得ていた。亀山より樫木原まで出て、西国に向かうのだと思っていたところ
直に京に向けて武者を押した。故に人々はみな不審に思った。
桂川を渡って、初めて信長を攻めるという触れが出された。

未明に信長の居た本能寺に押し寄せると、信長は切腹し火をかけた。京中では何事があったのか
何も知らなかった。何故なら本能寺のあった新在家は他所とは違い、四方に掻き上げの堀があり、
土居を築き木戸もある構えの内であったためである。

土居に上がってこの騒動を見た者の中には、これは明智の謀反だと推量する者もあった。
里村紹巴は光秀の内意を知っていたが、「どうしてそんな事があるだろうか。」と、人がそのように言うのを
制した。里村昌叱は「思い当たることがある。」と言った。

さて、明智勢は本能寺に火をかけた後、城介殿(織田信忠)の宿所である妙覚寺へと押し寄せた。
当時、その辺りは京の中でも町家は所々にわずかにある程度で、視界の妨げにならなかったので、土居の上から
はっきりと、水色の旗の軍勢が妙覚寺に進んでいるのが見えた。そのため『さては明智が謀反したのか!』と、
たしかに皆が知ることになった。

妙覚寺は、現在の室町薬師町にあった。しかし構が無いため敵に対応することは出来ないと、信忠は
南都の陽光院殿(誠仁親王)が御座されていた小池の御所(二条御所)に移った。
誠仁親王は禁中に退去された。
親王は烏丸の方の門から出られたが、肩輿も無かったので人に背負われて行った。

また公家の正親町殿(正親町季秀)はこの騒ぎの中、誠仁親王への見舞いに参上し、室町の方から
小池の御所に入ったが、その時はすでに退出した後であった。そこに明智勢が急に攻めてきたので、
御所から出ることも出来ず信忠勢と共に中に籠もるはめになった。

正親町殿はこの時の様子をよく観察しており、後で人々に語った所によると、信忠の士卒は皆、大庭に
集合していた。正親町殿は菓子として昆布を持っていたのを出して、これを諸士に与えられた。
この時、顔色が変ってしおれていた者達は、皆家に功の有る歴々であり、意気揚々としていたのは
皆新参であった。
この後の明智勢との戦闘で、顔色の変わっていた者達は皆、勇敢に戦い討ち死にし、意気揚々の者達は皆、
狭間をくぐって逃げ出したとの事である。

さて、正親町殿には室町の町家に、知人である楽人の家があった。そこで御所の壁を乗り越えて
その楽人の家に入り、公家の正装を着て烏帽子をかぶってそこから出た。これにより、彼は公家であると
明智勢からも通行を許された。そのため、逃れることが出来たのだという。

(老人雑話)

老人雑話より、本能寺の変の時に、現場に居た人々の証言である。





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | Cnub/O7I

    「顔色が変わる」→これが歴史上最初に確認された死亡フラグである。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    有楽「皆でそのまま逃げりゃ良かったのに」
    氏真「謀反人に立ち向かうなんて無謀にも程がある」
    長可「この場にいれば!この場にいれば裏切ったやつ皆殺しにしたのに!(´;ω;`)」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    鬼武蔵のセリフが悲痛すぎてネタに感じられない…
    実際そんな感じだったんじゃない?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    正親町殿はなんでこんな大騒ぎの時に出てきちゃったんだろう?
    多分親王を助け出したかったんだろうけど、邪魔にしかなってない気がする。
    こんな時に昆布(縁起は知ってるけど)出すとか、空気読んで!w

  5. 人間七七四年 | URL | -

    たしか、毛利新助もこの時討ち死にしてるんだよな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    鬼武蔵「この場にいれば、裏切った奴らみんな皆殺しにしたのに!」
    安田作兵衛(ならなぜ蘭丸討った俺を召し抱える)

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    桶狭間の相棒の服部小平太は、毛利新助より出世してなかった。
    おかげで、本能寺の変に巻き込まれず、ラスボスの下で三万石の大名になったってこと考えると、人の運命てのはわかんないもんだね。
    その小平太も、秀次事件じゃ逃げきれず切腹なんだから、ますますわかんないもんだよ・・・

  8. 人間七七四年 | URL | -

    意気揚々としていた新参たちが皆逃げ出した、
    というのがちょっと解釈が難しい。

    事態の深刻さをわかっていないから元気だっただけで、
    わかってからは急に臆病風に吹かれた、
    といったところだろうか。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    原文が見たいね。
    翻訳ミスかも知れない

  10. 人間七七四年 | URL | -

    そういえばこのとき有楽斎さんが、「華々しく散りましょうぞ。おー」的なことを甥っ子に言って、自分は結局逃げたんじゃなかったっけ。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    >>10
    水野宗兵衛「甥を見捨てて逃げ去るなど、外道のすることだ」

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    同じ親族でも斎藤利治や織田勝長なんかは、信忠に殉じて討ち死にしてるのにねぇ。
    織田の源五はひとではないよ、とか、有楽もひどい言われようだと思うけど、やっぱねぇ・・・

  13. 人間七七四年 | URL | -

    信忠さん討ち死には家臣や自身の判断ミスでもあるし、叔父の責任ばかり
    追及したって仕方ない。

    一応言っておくと、切腹しろの記述は江戸時代の書「義残後覚」にあるだけで、信長公記が元ネタ
    にない以上でっち上げの可能性が強い。脱出した人が意外に多いのに長益さんだけが非難される
    歌も、若手の後継者を死なせて身内が生き残った事自体を非難した故の歌と捉える事もできる。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    現場にいた人の証言じゃないじゃん

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