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首帖の故実

2014年04月22日 18:48

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 01:14:47.62 ID:IZdYzDZT
大坂の役の時、木村重成の兵士松浦弥右衛門と堀田図書勝嘉の従士浅部清兵衛
共に敵を斬って首を得た。

豊臣秀頼の右筆である白井甚右衛門はその日、首帖(首帳)の役だった。
松浦は早く首を持って来て白井に一番と書かせた。ところが、白井は
「首一つ松浦弥右衛門」と書いて一番とは書かなかった。

松浦は怒ったが白井は聞き入れない。そこに今度は浅部が首を持って来た。
白井がこれを正したところ、浅部は松浦よりも先に首を取ったけれど、
その場所が遠かったので遅参したということがわかった。

その証拠は明らかだったので白井は浅部を一番と書いて松浦を二番と書き、
松浦に向かって「ニの首を待って一の首を記すことは首帖の故実です」と言った。

――『武将感状記』





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    申告した時点じゃなくて取った時点が一番だったかどうかが一番首の基準なんだ。
    でも細かい時点って把握できなさそうだけど、そういう時はどうするんだろう。
    その場合は申告した時点で判断するのかな?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    全力で証言集めたり帰陣時間計算したりがんばるんだろうけど、
    究極的には曖昧だよな。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    そういう曖昧な情報で、公平感のある賞罰ができるかが大将の器量なんでしょうなあ。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    いくら実戦要員が牢人の集まりの烏合の衆とはいえ、評価するのが杓子定規の小者ではそりゃ戦闘員として一番必要な士気は減退するよね。

    ただ首帖の言葉を持ち出したということは、この右筆…さては松浦という兵士が仕える直情の主君(木村重成)に嫌な印象持っていたのかも?
    (俛首帖耳:犬が飼い主に媚びる=人が目上に媚び諂うイヤらしい姿の意味)

  5. 人間七七四年 | URL | -

    血の乾き具合で前後を判断・・・とかいうと怖いわなあ。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※1

    申告のタイミングを重視すると、
    敵陣深くまで切り込む勇者が損をするとか、
    首を取って帰ってきた味方をわざと足止めするとか。

    そういう弊害を重視して、
    あなたのような疑問はありつつも目をつぶったのかもしれない。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ほぼ間違いなく滅亡必至の豊臣方で武功の競い合いしたところでなぁ

  8. 人間七七四年 | URL | -

    多くは寄せ集めで統率すら取れない、ただ華々しく散りたいだけと言っても過言ではない連中が
    どん底の士気の中で奮闘する為の首争いだと考えれば、悲しいくらい惨めだが必要なことではあると思う

    豊臣秀吉の莫大な負の遺産(秀頼の溺愛、数多の理不尽な処刑等)を背負った甘ちゃん君主に今更、誰が忠を尽くして戦えるのか
    しかも甘ちゃん君主は淀殿に任せきり、豊臣の実権を握らせてしまったがばかりに、最終的には自分の意思すら表せなかった
    豊臣は、秀吉が秀次事件を起こした時点で既に崩壊していた

  9. 人間七七四年 | URL | -

    米7.8
    結果を知っていれば後から何とでも言えるよね
    そういうの嫌いだわ。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    敗軍に属していようと一所懸命の働きをしてみせれば、味方からはもちろん敵からも評価される。
    決して無駄ではない。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    チャレンジ導入

  12. ゆとりある名無し | URL | -

    かつては功成り名遂げた武士なら、万一負けても再仕官の可能性も少なくはなかった
    抜群の武功を上げ、忠義に厚い振る舞いをした武士ならそれこそ引く手あまただった
    現実は元和偃武で世の中は太平に向かっていき、また幕府方の苛烈な落ち武者狩りで大坂方の落ち武者たちの前途は非常に厳しかっただろうが、それでも大坂入城する前は身を持ち崩して「せめて後世に名を残して死にたい」という気持ちだけで参加していた侍も少なくはなかっただろうと思う

  13. 人間七七四年 | URL | -

    先に耳だけ切り取って持ってきてたとか・・・

  14. 人間七七四年 | URL | -

    逸話でしかもこう言う場面で一番疑問に思うのは、何処で誰が一番首を見ていたのだろう?
    軍監役か本人か?と不思議に思う。

    ※9
    後からって言っても、各逸話自体が「後から」の最たるものだしね。当時あれだけ豊臣家が急激
    に求心力を失うにもちゃんと理由があるし、ちゃんと施政を施して居れば、状況も全く違ったのは
    間違いない事実だよ。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    徳川方の方が数がずっと多かったのは当時そう認識してた人間が多かったという事だろ

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