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構想10年、工期数ヶ月

2014年04月25日 18:45

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 15:36:10.10 ID:xNX1/ysK
構想10年、工期数ヶ月

慶長6(1601)年、最上義光が酒田攻めで庄内を上杉軍から奪還すると、北館利長には田河狩川城と3000石が
与えられた。

しかし利長が新領に赴くと、目の前には痩せた土地と広大な葦の生い茂る原野しかなかった。

利長は土地の者に尋ねた。「近くに川もあれば人も居るのに、この荒れ様にはなにか理由があるのか?」
農民「水が足り無いのでござえます」
利長「川ならあちらに流れているではないか?」
農民「お侍さまちょっとええだか?一緒に川まで来てくんろ」

利長は農民らと川へと向かった

農民「見てわかんべ」
利長「…川が田畑より一・二間(数メートル)も低い処を流れているのか…」
農民「そんだけじゃなく、ここいらは台地(河岸段丘の上)だし、土もすぐに水を吸うてしまって水が
   全然足りんのでごぜえます」

利長は水をどうにか出来ないものかと
毎日毎日領地のあちこちを朝から晩まで歩き回った
道で見掛けた農民に「水は無いか?なにか良い知恵は無いか?」と聞き込む事から
領民らは「おい、また水馬鹿の殿さまが来たぞ」と陰口を叩いた

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 15:55:08.83 ID:xNX1/ysK
利長「水は高い処から低きに流れる。狩川よりも高い処に豊富な川や水はないか…」

利長「お山(月山)なら雪溶け水や川はあるが、十里(数十キロメートル)以上離れておる…」

利長「途中には沢や丘陵もある…どうしたらいいんじゃ…」

利長は櫃に絵図を描いては閉まい、閉まいは出しては描き直し検討を繰り返した

同時期に山形から庄内までを手中に収めた義光は最上川の水運の向上を図るために川底の掘削や
難所の整備を進めていた

利長「最上川治水工事の一環として、大殿(最上義光)のお力を借りられれば…」

慶長16(1611)年、北館利長は櫃に狩川の絵図と工事の見積書を詰め、義光に月山山麓から数十キロに渡る
農業用水の潅漑工事計画を願い出た

最上義光「これだけの細かな資料を集め、さぞ大変であったろう」
利長「水さえあれば庄内は更に豊かになります。何卒工事の許可を頂けませんでしょうか?」
義光「みな(万石取りの最上重臣)を集めて議題とする。そち(利長)も席には参加せよ」

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 16:23:33.55 ID:xNX1/ysK
義光「…という訳で、利長から治水と潅漑工事の計画が出されておる。みなはどう思う?遠慮はいらん。
申してみよ」

志村光安「仮にやるとしても莫大な予算が必要となりますが、それに見合うだけの結果は出せるのでしょうか?」
下吉忠「最上川の整備ですら数年に渡る工事を継続中です。戦災で荒れた寺社の復興も残っておりますし、
今やる必要があるのでしょうか?」
楯岡満茂「人手の確保も簡単ではありますまい」

難工事が予想されたため反対意見も多かったが、義光の側近の新関久正が利長の労苦を汲み反対派を説得し、
翌慶長17(1612)年3月、月山立谷川治水工事の命令が発動。

工事監督に北館利長、相談役と奉行に志村光安と新関久正が付けられた。

沢には水路の部分だけ盛り土をした土橋が引かれ、丘陵は掘削されたりトンネルが設けられた

同年7月、4ヶ月の期間と10000人以上の人足を注ぎ込み、40キロにも渡る潅漑用水工事が完成。

「現場の河風は身に凍みるだろう」と義光から贈られた黄色い綿帽子をかぶり、杖をついて工事を指揮した
北館利長の念願が叶い、狩川3000石は十年ほどで石高が30000石にも飛躍した

今でも綿帽子をかぶった北館の像が大堰と米処庄内を見守っている

※北「楯」の名字は酒井氏が庄内に移封してから後のもの
本来は北「館」が正しい

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 16:46:40.12 ID:xNX1/ysK
最上義光北館利長に「庄内末世の重宝を致し置き候」と治水工事を絶賛し、今後この疏水を利用して
開拓される新田が何万石に達しようと、全て利長の知行として取らせるという証書を下した美談は
そこそこ知られているものの、
工事の規模や詳細がほとんど知られていないのと、当初は最上家中では工事消極・反対派が多かった
といった点では悪い話?

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 16:54:44.28 ID:xNX1/ysK
まとめの最上義光と北楯大学利長「米どころ庄内ビギンズ」・いい話
最上義光、北楯大学と埋蔵金・いい話
義光67歳の手紙
と大分かぶってますた…少し潜ります…





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    治水土木系事業は本当、後世その土地の色に多大な影響与えてる例が多いね。
    単純にその創造力は凄いと思うわ。
    絵を描いた想像力と合わせて。
    関係者が祀られてたりするのもわかる。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    投稿者のバツの悪い話かw
    まあドンマイ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    短期決戦の人海戦術。しかしながら北館利長のプランが優れていた証拠。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    難しい大事業が反対されるのは当たり前だから、悪い話とは思えないな。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    これは領民の為を思って行動して実を結ぶ良い話だと思いますよ。
    往々にして、後世評価される事業の最初のほうの過程は「奇人変人無茶無謀」と
    捕らえられる事が多いから、余計に達成した後の実益も高いですね。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    実益も高い?とは?

  7. 人間七七四年 | URL | -

    (´・ω・`)「力ならいつでも貸すよ!」

    利長「なに、人民総出でも数年かかる大事業が数ヶ月で仕上がったと? ふむ、よほど剛力な人夫がいたのだろう…どれ、かの者がそうか……って、殿ぉ!」
    (´・ω・`)「あ」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    北舘大学、川村孫兵衛、大谷休伯、等々
    刀を振るわないサムライ達の働きは聞く度に涙出る。

  9. 人間七七四年 | URL | 7rOtuwVw

    地元の明治用水の話を思い出した(愛知県)
    けっきょく江戸時代中には水を引けなかったわけだが

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    「(´・ω・`)甘いなそいつは影武者だ…体調崩して見に行けなくてゴメン」
    志村光安「…との事だ」

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