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北条氏勝の書状

2014年04月26日 18:48

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/26(土) 13:49:01.22 ID:zKQ+OnJX
秀吉の小田原侵攻が目前に迫った、天正18年2月。伊豆・山中城へ加勢として入った北条氏勝(綱成の孫)は
自身の本拠である相模・玉縄城の留守を守る家臣の堀内勝光に書状を送った。以下は意訳。


……秀吉が近日京都を出陣する事を現地に派遣している者が報告してきました。
正確な日時は不明ですが、兵力は20万人だそうです。その他にも北陸や奥羽の連中も関東に攻めて来るとの事です。

我ら山中城の軍勢は僅か5千人で、こんな大軍を防げるはずがありません。
ですから小田原へ「もっと加勢を寄越してくれ」とお願いしていますが、未だに承諾されず送ってきません。
そんな状態ですので山中城を1日保たせるのも難しいでしょう、討死は確定です。

落城の報せを聞きましたら、以前内々に話し合ったように玉縄城の事はあなたに任せるので
留守の者達を集めて籠城し、最後の一戦を挑んでください。
そして惣曲輪・二ノ丸まで破られたなら本丸に籠り、私の母(氏康の娘)を刺し殺して城に火を放ち、勿論あなたも切腹して下さい。
詳しい事は(書状を持っていった)西原越前が話します…(以下略)

『丹波堀内文書』


さて、この後どうなったかというと、御存知の通り1ヶ月半後に山中城は半日足らずで落城。
北条氏勝は城を脱出して玉縄に帰って籠城するも、本多忠勝の説得をうけて4月21日に開城し
戦後、下総弥冨で1万石を領している。


討ち死に覚悟で大層な手紙を寄越しておきながら
生きて帰って来てしまったという、ちょっとばつが悪い話。






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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    この場合、一兵残らず玉砕するのと一兵残らず自刃するのと、戦略的にどちらがラスボス軍の足止めに効果的だったのでしょうね。坂東武者に玉砕の概念があるかどうか分からないけど。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    書状丸写しはな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    武士は例え犬畜生と言われても戦わないといけないって宗滴さんが言ってた。
    死ぬことよりも生き残るほうが難しいよね。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    この書状を書き記した時の氏勝は本当に決死の覚悟で豊臣軍との戦いに臨む覚悟であったのだろうけど。山中城のあっけない陥落で心が折れて早々に降伏してしまったというところか

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