fc2ブログ

玉置直和の変転

2014年05月04日 18:47

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/04(日) 07:58:42.14 ID:lnSzv3gR
紀伊国日高郡に、玉置直和という国人がいた。
玉置氏は太平記に登場する玉置荘司の子孫と言われており、居城・手取城の周りの領地は
3千5百石ほどの石高とされていた。(※徳川時代の検地では1万6千石ほどであった)
羽柴秀吉の紀州征伐が始まると、直和は秀吉への帰順を決意し、
徹底抗戦を叫ぶ舅の湯川直春や相婿の山本主膳と袂を分かった。
その結果直和は湯川氏に攻撃されたが、その後湯川氏も征伐軍に降ったので、
直和の地位も安泰かと思われた。


そして直和は新たに紀伊の領主となった羽柴秀長に挨拶するため、大和郡山城に赴いた。
秀長との対面では所領の石高を尋ねられたので、直和は3千5百石という
自分が知っている石高を返答したのだが・・・

その後、秀長が玉置氏の領地に対して検地を行ったところ、実際の石高は本人の申告よりもかなり多い事が判明、
これを知った秀長は玉置氏の領地を没収し、その上で直和には新たに申告通りの3千5百石を与えることにした。
直和はこの仕打ちに情けなさがこみ上げ、城を家臣の三十木右馬之丞に預けると、
高野山に上って剃髪してしまった。

ところが、ここで直和の境遇をを憐れんでくれた人物がいた。
秀長の兄・羽柴秀吉である。

秀吉は秀長に命じて、出家して千光院と名乗っていた直和を慰撫させ、
直和の方も、一時の感情で城を飛び出してしまったのを少し後悔していたので
高野山を降りて新封を受けることになったのであった。


その後直和は慶長4年に亡くなり、息子の小平太は関ヶ原・大坂と西軍についてしまったが
後に尾張藩に仕えることができたという。

「紀伊続風土記」より


太閤検地がらみで地方の領主が酷い目に遭うお話
秀吉自らフォロー入れて丸く収まってるので、一応いい話ってことで…




878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/04(日) 10:16:56.22 ID:gYXHuHPK
あら珍しい

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/04(日) 10:53:20.87 ID:fX2fjI+L
自領の(実際の)石高を把握してなかっただけで減封は可哀想と思われたのか?
太閤様もこの頃の寛大さを最後まで保っていられたらよかったのに

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/04(日) 11:44:28.61 ID:rTyi5c7F
柳生「・・・」

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/04(日) 12:13:56.96 ID:bBTVdTLY
紀州征伐の際に秀吉側に付いた勢力が少なかったから目にかけたんじゃないか

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/04(日) 13:02:21.25 ID:K4fySxTS
>>880
秀吉「流石に陰田するような奴はフォローできねーわ」

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/04(日) 14:24:37.06 ID:LcVWaVfl
所領の把握とかじゃなくて、この当時によくあった大幅な打出しを計上して
在地領主から所領を巻き上げるための検地じゃなかろーか

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/04(日) 14:59:35.46 ID:eHCx+N3j
湯川さんと主膳さんはどうなったのかとぐぐって見たら徹底抗戦して本領安堵を勝ち取ったと思ったら、挨拶に出かけた大和郡山城で二人とも毒殺されてるのね。
地理的にしょうがないとはいえ、やっぱり酷い話では。

スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >>884
    家久(善)しかり
    お兄ちゃんより優しそうな秀長も
    結構やってんだな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >1さん
    家久(善)が結構やってんだなという
    話はどんなものなんですか?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    家久(善)さんの死因は一般的に急病死と言われてるけど、異説で秀長に毒殺された(同様に島津方に毒殺されたという説もある)
    って話があるからその事じゃないのかな?
    まあ秀長にしろ島津にしろ、善さん毒殺するメリットって決して多くはないしあの時代だから普通に食中毒辺りなんじゃないかなと個人的に思いますが

  4. 人間七七四年 | URL | -

    秀長の検地という時点で正確性という意味で多少の不安は兄貴(秀吉)として持ってたんじゃないかな(紀州征伐前後に色々金や資材の利取りでやらかしてるし)

  5. 2 | URL | -

    2です。3さん、ありがとうございます。
    その話でしたら、自分も毒殺ではなく病死だと思っております。
    毒殺とは思ってなかったので、1さんが言ってることにピンとこなかったんです。
    1月ほど前に家久が黒田官兵衛に毒殺された説もあると聞いてビックリした
    ばかりなのに…

  6. 人間七七四年 | URL | -

    この当時は実際の収穫量より石高が少ないのが基本

  7. 人間七七四年 | URL | -

    というか、秀長は世間で思われてるほど穏やかでもいい人でも苦労人でもないからなぁ
    九州征伐でも兵糧がらみで揉めさせて味方をgdgdにしたり、検地でもこういうことしょっちゅうやってたりして、さすがはラスボスの弟って感じ

  8. 人間七七四年 | URL | -

    玉置「家老に騙されてた…」

  9. 人間七七四年 | URL | -

    浅野長政が宇都宮家18万石を60万石の内実が有ると言いがかりを付けてお取り潰したのとリンクする話だよな。しかも蒲生家を移封させた時は元通りの18万石で検地を打ち出している。
    豊臣家の圧倒的な軍事力を背景にした措置で、この逸話と合わせると豊臣政権の常套手段っだったと思わざるを得んな。
    もっと言うと、幕末時に西欧列強が自分達の勝手ルールを国際法と称しアジア諸国へ言いがかりを付け植民地化したのとも似ているかな。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    浅野長政がお取り潰したって敬うのか呼び捨てなのかはっきりしろい

  11. 人間七七四年 | URL | Z3orHX/M

    ※10
    横槍ですまないが「お取り潰し」は行政用語的なもんだと思う
    浅野が官僚である奉行として政権を動かし宇都宮を「お取り潰した」
    とすれば特に違和感のある話ではないと思う

  12. 人間七七四年 | URL | -

    宇都宮家に関しては石田派潰しでもあり

  13. 12.人間七七四年 | URL | -

    ※11
     その使い方なら「お取り潰しをした」か「お取り潰しを実行した」がしっくりくる使い方だと思うが。まぁ動詞から名詞化した言葉をさらに動詞化させて使う人が出てくるとか日本語はフリーダムだな。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    宇都宮改易について検地がどうこう言ってるのは俗説にすぎんでしょ
    実際の史料だと浅野長政が関与している様子は見受けられるけど
    原因自体はハッキリしてないし

  15. 人間七七四年 | URL | -

    無理・無茶も含めて蓄財なんて他の大名だって大小やっている。それを秀長が秀吉の弟
    だからあの手を使ったってのは理由になってないよ。
    大体そうでもしなければ、出費が多い秀吉の統治なんて支えられない。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/8450-d9a03528
この記事へのトラックバック