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魔王になった戦国大名

2014年05月06日 18:58

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 22:49:58.31 ID:wO4E1laa
魔王になった戦国大名 陰徳太平記と広島市安佐南区祇園町誌より

戦国時代の高名な大名や武将には人外に擬えた異名を持つ者が数多いる。
「大六天魔王」「雷神」「軍神」「毘沙門天」「竜」「虎」「鬼」「熊」「古狸」「鮭」などなど
しかしそれは生前に自称した物や後世にあだ名された物であって、当然ながら本当に神や竜だった訳ではない。鮭様などは
ただの鮭好きな気のいいおじさんのちょっと食い意地の張った所から来た異名である。
だが、その死後に本当に魔王になったと伝わる戦国大名が居た。

安芸武田氏 9代当主の光和である。
父はその武勇をして今項羽と周辺に恐れられた8代元繁。
光和はその嫡子として1501年(02、03、07年説あり)に生まれる。
光和は生まれた時から33本の歯が生えており、また生後3日目になっても産声を上げないので心配して厳島の神主を招いて
お払いをしたらやっと泣いたと言う。長じては身長7尺余り(2.1メートル)に育ち、眼は逆さに裂け、顔にはたくさんの毛が生えており、
きわめて大力で、鉄の弓を用いていた。
また居城銀山城(武田山)へ登る道に大きな岩が出ていて馬が通るのに不便であったが、6、70人の人夫の力でなくては
とても動かすことができないので、大昔からそのままになっていたが光和は自分の力試しにといって、この大岩を
軽々と谷底に転がしたと伝えられている。

光和が投げた岩は山麓の安佐南区祇園帆立に「いぼ地蔵」「投石地蔵」として残っており、この岩の側にある松の葉で
人の体に出来たいぼをつつくとそれが落ちると伝わる。
(つづく)

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 22:52:15.93 ID:wO4E1laa
魔王になった戦国大名 武田光和 佐東銀山城の戦いにて奮戦す

1523年、尼子経久が安芸中部の鏡山城(東広島市西条)を落とした事で安芸の大半は大内から尼子の勢力下となった。
翌1524年、大内義興は安芸を取り戻すべく、経久が伯耆に出兵した隙に安芸西部の桜尾城、そして武田光和の居城、佐東銀山城に出兵する。

佐東銀山城を囲むは大内家の柱石たる陶興房と初陣の大内義隆率いる1万5千。光和率いる篭城軍は3千。
6月25日の緒戦では援兵として来た熊谷・香川の兵千余りが敵の抜け駆けを察知して大内方の杉・問田氏率いる千5百余りを撃退。
それから7月に入り光和率いる篭城軍3千は何度か大内側と合戦しているのだが、その中先陣に立って奮戦したのが城主光和その人である。

自らの武勇を頼みに大内方の兵を斃す光和であるが、当然その話は大内方にも知られ、ならば何とか討ち捕ってしまえと作戦が立てられる。
中国地方で敵無しと評判の豪傑・若杉四郎三郎とやはり大力で知られたその弟、また大黒新允と言う大力の者や大内義隆の近習で
打物達者と言われた者を加えて、彼ら4人が囲んで光和を斃す作戦が立てられた。

あくる日、光和はまたも先陣に立ち大内方の兵を薙ぎ倒していたが、大内方は偽りの退却で光和をおびき寄せんとする。
武田勢が追撃したところ、大内方は踵を返し逆に武田勢を包囲せんとする。これは不味いと撤収を開始する武田勢であったが、
一人突出していた光和は最後尾、そうこうしていると先の若杉ら、大内方の精鋭どもに挑発され、光和はそれに「何を抜かす」とばかりに引き返す。
先ず若杉の弟が一番に光和に襲い掛かる。しかし、光和が3尺程の大太刀(備前一文字と伝う)で胃の辺りを強打すると一たまりもなく死んでしまった。
続く若杉の兄は組み付こうとして光和に捕まると、後方から押し寄せる大黒に向かってまるで鞠か何かの如くブン投げられる。ぶつかった二人はそのまま死んでしまい、
最後に残った一人もそれを見て怯んだ所を光和の大太刀の一閃で死んでしまい、かくして大内の作戦は失敗に終わり光和は悠々と城に引き返すのであった。

その後、牛尾・亀井・毛利元就らの5千の援軍が到着し、8月5日の夜に毛利ら安芸国人衆の夜襲で決着がつくのだが、結局大内は光和を討ち取ることは出来なかった。
(つづく)

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 22:57:33.37 ID:wO4E1laa
魔王になった戦国大名 武田光和 化け狸を退治す

当時安芸佐東郡(現広島市安佐南区)には一つの古い文殊堂があり、そこに化け物がおり人を化かすとの噂があった。それを聞きつけた光和が誰か行って退治せよやと
近習の者に言うと、青木某というものが承り化け物退治に出かけたが、散々に化かされ這う這うの態で帰ってきた。

それを見た光和はならば俺がやってやると一人、文殊堂に出かけていった。夜も更け、静かな夜空の元で何とはなしに不吉な予感がした光和が辺りを見渡すと、一人の6-70絡みの盲人が荷物を
持ち、杖を突きながら文殊堂に歩み寄ってきた。これが例の化け物か?と、警戒していると

(*^◯^*)「誰か居るんだ!?誰なんだ!?」
(●▲●)「おう、おるでー。坊さんはどこのモンじゃ?(怪しいなコイツ・・・)」

(*^◯^*)「厳島に住んでるんだけど、最近暑いからここで寝泊りして里の人に歌を聞かせて生活してるんだ。貴方はお侍さんか?態度が偉そうなんだ」
(●▲●)「ほーん、じゃあ平家を一曲頼む。」

(*^◯^*)「ほげー、おげー、はげー、いえー(ベンベケベンベケ)カテル、カテルンダ!ナカネカラグラブヲウケトリ、グラウンドヘゼンリョクシッソウスルウチカワ、ソノメニヒカルナミダハクヤシサトハムエンノモノダッタ、ヨクジツ、ベンチデツメタクナッテイルウチカワガハッテンサレ、ヨシムラトムラタハビョウインナイデシズカニイキヲヒキトッタ」
(;●▲●)(あ、上手い・・・こりゃ本物の人間かな?)

(●▲●)(いや待て待て、人を騙す化け物なら油断できん、でも斬った後でやっぱ人間じゃったー!だったら俺の名に傷がつく)
( ●▲●)(とりあえず縄でふんじばって捕まえてやろう)ジリジリガバッ!

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 22:58:20.61 ID:wO4E1laa
一気に盲人に組み付いた光和であったが、盲人は悲しい声で

(*^○^*)「ああ^〜、何をするんだ!別に命は惜しくないんだ!でも立派なお侍が目の見えない私にこんなことして恥ずかしくないのか!?」
(;●▲●)(あ、こりゃやっぱ本物の人間ですわ。しくったのう・・・皆に知れたら笑いモンになること違いないわ)

(●▲●)(よし、一思いに絞め殺してやろう)

慌てた光和は証拠隠滅を図るのであったが・・・

(*^○^*)「立派なお侍が何と情けないことを考えるんだ!」
(;●▲●)「こ、心を読んだ!?わりゃやっぱ妖怪じゃろが!往生せぇや!」キュッ
(*^●^*)「ぐぇあ

(;●▲●)=3「ハァハァ、やっぱ化け物じゃねーか」
(●●●●●●●●●●)

光和が力任せに首を絞めると、老人は血を吐いて死んでしまった。翌朝、老人と思われた者はやはり化け狸で、背中には一本の毛もなく、
二歳の子牛ほどもある大きさであったと言う。

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 23:33:49.11 ID:wO4E1laa
魔王になった戦国大名 武田光和 魔王になる

1540年、毛利元就を通じて大内家についた熊谷信直の討伐を準備する武田光和であったが、その最中に光和は急死してしまう。
光和が死ぬ時、黒雲が空中にたなびき、屋敷の上をおおい、雲の中によろいのすれ合う音、刀と刀のかち合う音、馬のくつわの金具の鳴る音がしたといわれ、
その後の銀山城(武田山)は大魔所となって奇怪なことがたびたび起こったという。
1541年、毛利元就に攻略され銀山城は落城。光和の後を継いだ若狭武田氏の信実は逃亡し、ここに安芸武田氏の嫡流は滅亡す。
数年後、元就は山県筑後守に命じて武田光和の居館を破却させんとするも、力者3人を連れ館に入った山県筑後守りはアッー!と叫ぶと卒倒。力者3人も倒れ、
庭でその様子を見ていた従者が筑後守を手当てすると、彼は息を吹き返したものの、後の3人はそのまま死んでしまったと言う。山県筑後はその後この時の事を
尋ねられても、何も語らなかったと言う。

その後、念仏の僧が一人武田山のふもとを通った折にこの山の怪異のうわさを聞き、それは亡き光和の霊が成仏せずに修羅道をさ迷っているのであろう、しかして
仏の力で救われぬことはないと、山頂に庵を結び、光和の供養に念仏を唱える日々を始めた。すると、光和はある時は老翁となって現われ、あるとき美女や童子になって
現われ、夜な夜な僧を悩まし、
「上に貴ぶべき諸仏もなく、下に救うべき人々もない。念仏など唱えていったいだれを救おうとしているのか」
と、僧に尋ねた。一瞬答えに窮した僧を見た光和は「念仏不問、私の声が汚れる、早く下山せよ」と迫ったので、この僧は山を下り、このことは深く隠していたが、
その弟子の一人が還俗して皆に話したので、一般に知れたということである。

この後、日蓮宗の僧がひとりこの山に登り、法華経一千部を読誦し、その菩提を弔ったが、ある時、光和は、あし毛の馬に乗り、空中から現われ、かの僧に向かい、
「一切のお経はくそを拭う紙、三世の仏はくその中の虫である。そのきたない紙の中の字を読んでなにになる、そんなことやめて、歌でも一つ歌え」といったのでかの僧は、
自分は三十年余りお経を読み、いろいろの功績を積んでいる者だ。もしこの功力が空しくないものであるならば、一魔性のものを退けたまえ、と諸仏に念んじていると、
その験であろうか、化生の者は雲路をさしてのぼったという。だがこの後も武田山はたびたび怪しい事が起り、木こりも炭焼きも山に近づかないようになったということである。

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 23:34:38.45 ID:wO4E1laa
しばらく後、こんどは禅宗の僧が道に迷ってこの山に通りかかり、この山で寝食し、夜は座禅などしていると、突然空が曇り雨が一しきりに降った後、
大きな松風が吹くと、やがて山が崩れるかの様な音がした。僧は恐ろしくなり「魔界仏界同一如」と念じていると、年のころ三十余りの大の男が、
鎧を着、鉄の弓を持ち、鉄の矢を負い、あし毛の馬に乗って飛んできて、その後に同じく四十ばかりの男が八尺ばかりの金棒と大まさかりを左右に持ってついてきた。

二人が物をいうのを見ていると口から火を吐いており、主と思われる男が「小河内」と呼ぶと、「はい」と、六十ばかりの頬にひげの沢山生えた老人が大地から湧き出てきた。
(安佐南区に隣接する安佐北区安佐町を支配した、武田配下の小河内氏の者か?)

主人らしい男は、
「これにお客のお坊さんがおられる。おもてなしを。」というと、「承りました」と、湯玉の湧きかえる熱鉄をちょうしに入れ、鉄の杯を添えて持って来た。
そして、僧に向かい、
「宗門には熱鉄を飲むの句がある。貴僧に一杯おすすめしょう。」
先ず試しに、自分が飲んでみせようと、三度杯を傾け、その後また言葉をつづけた。

「われは、生きていたときは、武田判官光和といっていた。最後の一念によって修羅道に入り、魔軍八万四千を率いて天下の争乱を起し、仏法をあだとなし、
猛火をもってすべての寺を焼き尽くそうとしている。達磨大師九年の修行ですらどうもすることはできない。ましてこのごろの一僧においてなにができるか。
形は僧に似ているが、心は鬼の如く、身に法衣をつけているが、心は俗塵に染んでいるではないか、仏は太平の世の中のかん賊であり、釈迦は乱世の英雄である
このような不都合なものがどうしてわれを降伏させることができるか」

言葉も終らず、光和は一口に僧を食おうと飛びかかったが、忽ち大かつ一声して、「通心無影像」と叫んだその一瞬、光和は合掌して、なにか唱えつつ、跡かたもなく消え去った。
この僧は、これはまことに不思議なことであるといい、ここしばらくとう留し、光和の霊を弔った。
その後このことを武田のゆかりの人たちに語ったので、これらの人々はやがてこの僧と供養をし、千部の径を書写しこの地に埋め、千本そとばを造って追福を祈ったので、
光和の怨霊も、ようやく静まったと伝えられている。

231 名前:人間七七四年[hage] 投稿日:2014/05/05(月) 23:53:13.92 ID:5v2KAvvZ
>>228
読み辛くてあいすみませぬ、武田光和伝説でググると
歴史情報(広島市祇園西公民館Web情報ステーション)
と言うのが出てきますのでそちらの方が読み易いかもです





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    水滸伝の世界の方が活躍できそうな人だな
    小覇王とのコンビで

  2. 人間七七四年 | URL | -

    武田弘光に空見してしまったのは俺だけでいい…

  3. 人間七七四年 | URL | -

    この人の庶子の武田宗慶は成長して容姿端麗かつ、甲斐武田宗家に伝わる柔の武術を会得し、毛利元就の影武者を務め、厳島の戦いでも幾人の敵を打ち倒したそうです。
    その後子孫が稽古屋敷と呼ばれる学校を開き、今はそれが広島の武田学園(私立呉港高校、武田中、高等学校)となっているそうで、本当に水滸伝か北斗の拳みたいな感じですね。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    元就「中国地方にもこんな猛将がいるんだ!(*^○^*)」


    内川豊後守、村田筑後守、吉村筑前守、藤田陸奥守、相川武蔵守、寺原薩摩守、門倉…
    なんていらないんだ!
    石川駿河、荒波遠江、梶谷甲斐、高城伊豆、筒香相模、中村河内、執権三浦でAクラスだね!(*^○^*)
    投手?知らん

  5. 人間七七四年 | URL | -

    顔文字はともかく、興味深い話だった
    太平記で南朝方が怨霊や天狗になった話みたいだな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    崇徳院と西行法師の逸話とも似ている気がする

  7. 人間七七四年 | URL | -

    この逸話の少し後か同時期にはこの近隣で大蛇が出たり、化け狐がわるさしたりていたと言う伝説も有るからこの時期の安芸佐東郡(広島市安佐南区)は本当に魔境だったのかもしれん…

  8. 人間七七四年 | URL | -

    > 先ず若杉の弟が一番に光和に襲い掛かる。しかし、光和が3尺程の大太刀(備前文字と伝う)で胃の辺りを強打すると一たまりもなく死んでしまった。

    若過ぎぃぃ

  9. 人間七七四年 | URL | -

    >ただの鮭好きな気のいいおじさんのちょっと食い意地の張った所

    (´・ω・`)「なんかこう、もっと……あると思うの」
    光安「なにか間違ってますかね」

  10. 人間七七四年 | URL | -

    何故いつも荒くれ系武者ってのは、毎回放って置けば無害のあやかしの類を
    無闇やたらと退治したがるんだろう?

    >歌
    小さいし打ち間違いあるしで読みにくい事極まりない。

    >館に入った山県筑後守りはアッー!と叫ぶと卒倒
    >その後この時の事を尋ねられても、何も語らなかったと言う。
    ホイホイ入っていくからそうなるんだよw

  11. 人間七七四年 | URL | -

    琵琶法師の歌はソフトバンクか広島の応援歌か何かですか?

  12. 人間七七四年 | URL | -

    米10
    仮にも守護大名のお耳に入って近習に退治させようとした位だからただ化かすだけでなく、実害が有ったんじゃないかと…

  13. 人間七七四年 | URL | TQl5Jic2

    酷い歌だな
    何が酷いって歌の登場人物が全員いなくなってるところが酷い

  14. 人間七七四年 | URL | -

    そして誰もいなくなった

  15. 人間七七四年 | URL | -

    小田原を出る喜び(*^◯^*)

  16. 人間七七四年 | URL | -

    広島にこんな愉快な伝承があったんだなぁ……

  17. 人間七七四年 | URL | -

    >※9
    いやいや、『鮭様』って様がついていますから、愛されている故の呼び方ですがね。
    妖怪「首おいてけ」(やっと誰のことを言っているかがわかりました)や
    戦国最強ひきこもり(残念なことにすぐにわかってしまった…)より
    良い呼び方ではないですか。

    凄い話を読むことができるので、ここのサイトを知ることができて
    よかったです。

  18. 人間七七四年 | URL | -

    魔王にもいろいろいるんだな
    小さいのから大きいのまで

  19. 人間七七四年 | URL | -

    容姿とか為朝の話から来てそうだけど、それでも為朝との一騎討ちを見てみたくなる話だな。

    …万一意気投合でもされたらヤバそうだけど;

  20. 人間七七四年 | URL | -

    唐突に始まるベイス調で草不可避

  21. 人間七七四年 | URL | -

    甲斐みたいな話だと思ったらやっぱり武田家だよ!

  22. 人間七七四年 | URL | -

    ちょっとまてw
    『鮭』を異名に入れていいのかw

  23. 人間七七四年 | URL | -

    >22さん
    ちょっといい話・悪い話スレとまとめサイト限定の
    異名ってことでいいのでは。

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