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謀神、敵の間者を用い策を成す

2014年05月08日 18:46

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/07(水) 23:37:07.24 ID:3uBS/IGE
謀神、敵の間者を用い策を成す 名 将 言 行 録 (陰徳太平記説もあり)より

1524年、甥幸松丸の急死により毛利元就は毛利家の家督を継いだものの、それを危惧する尼子経久と亀井秀綱の策に乗って
元就に叛意を抱いた異腹弟の元綱を殺害。
以後も尼子に従いその要請で大内家に攻められた尼子方の仇敵・安芸武田氏を支援する物のその心の内は反尼子に大きく揺らいでいた。

1525年、毛利元就は先年武田氏の銀山城にて自らの夜襲策で撃破、撤兵させた大内家の家老、陶興房の説得に応じ尼子方より大内方に鞍替えする。
これにより、安芸の国の形勢は大内側に大きく傾くこととなる。

1529年、毛利元就は亡き甥で先代の毛利家当主、幸松丸の母方の実家である石見高橋家を攻略。
また、これ以降尼子方の安芸武田氏傘下であった熊谷氏や、先々代興元以来の長年の敵であった宍戸氏や天野氏などと縁組・調略し、
隣国備後の多賀谷氏を降伏させるなど徐々に安芸を束ねる国人衆の筆頭格としてその勢いを高めていく。

1540年、尼子家の家督を継いだ尼子晴久はこれ以上の毛利の台頭許すまじと、3万の兵を持って毛利家の居城、吉田郡山城攻略の兵を出さんとす。
これはその数年前のある日のこと・・・。一人の男が吉田郡山城の門を叩いた。男の名は内別作(うちわさ)助四郎。
尼子晴久の側近く使えた者だが、勘気を蒙り尼子家を出奔してきたと言う。
(つづく)

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/07(水) 23:41:21.60 ID:3uBS/IGE
(つづき)
元就は内別作を家臣として雇い、自らの近臣として用いることにした。
だが、実の所内別作はかつて尼子経久が三沢氏に送り込んだ山中勝重同様、偽りの出奔であり
その役目は毛利の様子を探る間諜であった。そんな内別作を側近く用い続ける元就。

そんな中、いよいよ尼子晴久が吉田郡山を攻めると言う不穏な噂が流れる、元就は家臣らを集め軍議を開く。
その席上、元就はこう言った。

「晴久が甲山(かぶとやま)に陣をしいてくれればええんじゃが…もし三猪口(みえくち)に布陣されでもしたら、防州への通路を断たれてしまい、
 わしらはどがぁもできんようなってしまう…ほしたら、一日どころか半時と持たん。ここを捨て、大内を頼り山口にでも逃げにゃならんのぅ・・・」

その翌日、内別作は吉田郡山から姿を消した。さては尼子の間者であったかと家臣は大騒ぎとなった。
しかし、当の元就は一人「さてこそ軍は既に勝ちたり(これで勝ったも同然)」と、大喜びであったと言う。
と言うのも もし甲山から城を見下ろされるような形になればどうにもならないが、三猪口は平地であるから、敵が大軍であっても容易に戦えると。
(先の軍議の時、内別作以外の旧来の家臣は甲山に陣敷かれたら上から丸見えだし、逆じゃね?と、思っていたが殿には何か考えがあるのだろうとその言葉に従ったとも言う。)

そして1540年(天文9年)8月、先のとおり尼子晴久は3万の兵を率いて吉田郡山城へ出兵。元就が軍議で危惧したとおり、尼子勢は三猪口に布陣したところ
元就と駆けつけた陶隆房(後の晴賢)、杉隆相、内藤興盛ら大内からの援軍に散々に打ち破られ退散したと言う。




906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/08(木) 00:00:43.74 ID:bLpvlG+u
>>905
陶さん援軍できてたのかw
なんともまあ。

907 名前:人間七七四年[hage] 投稿日:2014/05/08(木) 06:30:40.14 ID:VK3LLf/M
当時はお味方だし、この戦で負けると安芸はまた尼子にひっくり返されるしで、大内方に
とって大事な戦でしたからね…しかも何の因果か出兵前には将来自分の死地となる厳島で
戦勝祈願もしてると言う…

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/08(木) 07:23:52.27 ID:bLpvlG+u
後に似たような情報で厳島におびき出されてるからなあ。ほんとなんの因果なのか。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    タギリビメ「だってねぇ…」
    タギツヒメ「ウチの者たちにあんなえげつないことした人間に」
    イチキシマヒメ「ウチの別荘で勝たせてって言われても…ねぇ?」
    ??御前「絶対許しません…!!」


    宗像氏貞「…女性を怒らせると大変なんです…」
    色姫「…(泣)」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    戦場にもよるけど、大内の将が厳島で戦勝祈願してから・・・ってのは、当時は普通だったそうな。
    (厳島が大内側勢力の場合)

  3. 人間七七四年 | URL | -

    また元就のアレか

  4. 人間七七四年 | URL | -

    何か「 考 え 」が~…ってのがまた何ともはや(苦笑)

    しかし相手方も出陣する前か、して来たときに地勢調べるとかしないもんかね?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    米4
    言うても三国志の馬ショクみたいな例もあるし、高地がいつでも絶対に有利というわけじゃないからねぇ
    元就がよっぽど上手に間者を欺いてたから「元就が言うならそうなんだろう」と思い込まされた結果なんだろう

    なんか、人を欺く武将ほど人たらしの傾向があると思う。当たり前っちゃ当たり前だがw

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5

    あれも魏書の中に偽報で蜀軍をおびき寄せた、という行もあるので。いくら机上の空論大好きな馬謖でも、山に登って水がない!はさすがにないと。

    普通に考えて機動力のない兵が高地高所にいても身動き取れないだけで何の意味もない。

  7. 人間七七四年 | URL | PUKLkuOc

    ※5、6
    三国時代当時の人物の最大リスペクト対象だった光武帝も、この逸話と同じ
    「相手の間者を利用して偽情報で躍らせる」って謀略を使ってたりするのは何かの縁か

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    偽情報で、攻撃側を悪い場所に誘導するのはまだ理解できるけど、
    防御側にヘタクソな守り方をさせるって、
    それはすごいテクニックだな。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    そら孫子の教えよ

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    元就は馬鹿じゃないから、どう考えても利点が無いようなところに利点を捏造して
    誘導したりはしない。

    甲山にも三猪口にもそれぞれ利点があって、尼子もちゃんと調査して、両者(当然
    他も)の利点欠点を検討して陣地を決める。
    そこに元就は三猪口に布陣された場合をより脅威に感じていると情報を漏らす。
    しかもあえて軍議の場で漏らすことで、それが元就一人の思惑ではなく毛利方首脳
    陣の共通見解という形にする。

    尼子方にとっては、三猪口の土地本来の利点に加えて、元就をはじめとする毛利方
    首脳陣の心理にダメージを与えて、全軍の士気を下げる効果が期待できる。
    もちろん、あえて地の利を重視して甲山に布陣したら、三猪口より地の利は優って
    も、毛利方に心理的優越感を与えて士気を上げかねない。と思っている。

    毛利方は尼子方に不利な陣地を選ばせた上、元就が「ウソでした」って言うことで
    尼子方を翻弄した、と士気を上げることができる。

    これだけでは両者ともに相手の裏をかいたつもりで士気旺盛なので、決戦直前に元
    就の嘘だったことが尼子方に漏れれば追加の動揺も誘える。

  11. ※4 | URL | -

    ※5、6、10
    うわ、何気無く書いた疑問だったんだが、一つの策にも色んな読みや駆け引きがあるもんなんだな~。
    ありがとう、少し勉強になったわ。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    おれも少し勉強になった!

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