349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/22(木) 19:20:11.04 ID:RWbobTCw
滝川左近(一益)は、関の城、亀山の城、長島の3ヶ所を所領する大名であった。
羽柴秀吉が柴田勝家を攻めた時(賤ヶ岳合戦)、一益は勝家の後巻をしようとしたのだが、勝家敗れるの報を聞くと、
秀吉に降参をした。
後、秀吉と織田信勝との関係が悪化し合戦となった時(小牧長久手合戦)、秀吉に対して抜群の忠節を成そうと思い、
この頃、蟹江城は織田信勝・徳川家康方の城であったが、この城主と内通して心変わりをさせ、一益はこれに入城
しようとした。
伊勢より船に乗って向かった所、蟹江城の周辺ではにわかに潮が引いて、船が着岸することが出来なくなってしまった。
この頃一益は病中であった事もあり、肩輿に乗ってようやく城に入り、従う者達も多くは入城できず、船に乗ったまま
海に漂っている状態であった。
ここに、徳川家康が急襲を仕掛け皆殺しにした。一益の身はあつかいと成り、信雄・家康の味方となって、
秀吉のことを謀ると約束し、生命は助かったが、自身もあまりの事と思ったのか、妙心寺に入って落髪、出家した。
その後一益は、越前において死んだそうである。
信長の時代、天下の政道は4人の手にあった。すなわち柴田勝家、羽柴秀吉、滝川一益、丹羽長秀、である。
滝川一益の武勇は無双の名があって、度々関八州を引き受けて合戦した。関八州の者は、滝川の名を聞いただけで
恐れたほどであったのだが、末に至って散々の体となったのである。
(老人雑話)
滝川一益の転落についての記述である。
滝川左近(一益)は、関の城、亀山の城、長島の3ヶ所を所領する大名であった。
羽柴秀吉が柴田勝家を攻めた時(賤ヶ岳合戦)、一益は勝家の後巻をしようとしたのだが、勝家敗れるの報を聞くと、
秀吉に降参をした。
後、秀吉と織田信勝との関係が悪化し合戦となった時(小牧長久手合戦)、秀吉に対して抜群の忠節を成そうと思い、
この頃、蟹江城は織田信勝・徳川家康方の城であったが、この城主と内通して心変わりをさせ、一益はこれに入城
しようとした。
伊勢より船に乗って向かった所、蟹江城の周辺ではにわかに潮が引いて、船が着岸することが出来なくなってしまった。
この頃一益は病中であった事もあり、肩輿に乗ってようやく城に入り、従う者達も多くは入城できず、船に乗ったまま
海に漂っている状態であった。
ここに、徳川家康が急襲を仕掛け皆殺しにした。一益の身はあつかいと成り、信雄・家康の味方となって、
秀吉のことを謀ると約束し、生命は助かったが、自身もあまりの事と思ったのか、妙心寺に入って落髪、出家した。
その後一益は、越前において死んだそうである。
信長の時代、天下の政道は4人の手にあった。すなわち柴田勝家、羽柴秀吉、滝川一益、丹羽長秀、である。
滝川一益の武勇は無双の名があって、度々関八州を引き受けて合戦した。関八州の者は、滝川の名を聞いただけで
恐れたほどであったのだが、末に至って散々の体となったのである。
(老人雑話)
滝川一益の転落についての記述である。
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コメント
人間七七四年 | URL | -
病気は病気でも鬱病だろ?
ブラック企業で働き過ぎで、幹部にまで成ったのに、「隠居させてくれ」って言っても聞いてもらえなかったんだろ?
( 2014年05月23日 20:27 )
人間七七四年 | URL | -
まさに拍車がかかると言うべきか
( 2014年05月23日 22:21 )
人間七七四年 | URL | -
落ち目の時は何をやってもダメとしか言えないテンプレだな。
何より一益自身が現状に対して呆然としているのかも。
同格だった秀吉に圧倒的な差をつけられ、しかも繰り出す策が上手くいかないんだから、なまじ自分に自信がある分「どうしてこうなった」としか思えんわな。
「鶴より雀の方がいいんだよ」という一益の述懐って、なんかもう人生に諦めまくったとしか言えないんだよねえ。
( 2014年05月24日 01:14 )
人間七七四年 | URL | -
光秀はやっぱり外されてる
( 2014年05月24日 01:27 )
人間七七四年 | URL | -
信勝は信長の弟の方でしょ。途中から元の信雄になってるから余計に
間違いが目立つ。
( 2014年05月24日 10:06 )
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