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黒田家と吉川家の関係について

2014年05月24日 20:30

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/23(金) 20:06:29.37 ID:bY0iimsq
黒田如水は元来、吉川元春、その嫡子元長に厚意があった。
その吉川家では、元春が天正15年(1587)に死去し、元長もその翌年に卒した。
家老たちは、元春の次男である元氏を立てようと協議していたが、この時、黒田如水が考えたことには、

『元氏は病弱であり、現在の戦国の時代に家を継ぐべき器量ではない。元氏の弟である広家は、
その家督となるべき器量がある。これに家を継がせるのが然るべきである。』

そして広家の家臣、香川又左衛門と相談し、豊臣秀吉へと言上して、終に広家は吉川毛の家督を
継承した。このころ広家の年齢は二十歳より下であった。

このように、吉川家が黒田家の恩意を被ったのは、関ヶ原で東軍への内通の頼みとしただけでなく、
以上のような由緒もあったのである。

吉川広家は寛永2年(1625)9月21日に死去したが、この時以下のように遺言した。

『私は如水・長政と多年約束をし、一生の間、互いに裏切ったことはなかった。私の没後、
子孫に至るまで親懇の筋目を忘れないようにと思う。
紫野大徳寺龍光院は、如水・長政の菩提寺である。両公の塔の傍に、我が遺骨を葬り、
収めるように。』

そして遺言のとおりに葬られ、石塔を建て、金光院中厳如兼と称した。
それ以後、代々の吉川家は黒田家対し心の入った篤心であること、その先祖の言葉を虚しくしていない、
と言うべきであろう。

(黒田家譜)

黒田家譜より、黒田家と吉川家の関係についての記述である。




12 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/05/23(金) 20:17:49.12 ID:+AyOeJaT
そんな元氏さんは広家さんより長生きしてたりするからわからんものよね~

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/23(金) 23:41:32.17 ID:6NDjPT4e
元氏は他家を継いじゃったからな

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    鮭を贈って病状を悪化させたのは

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >12
    信虎「人間、誰が何歳まで長生きするかなんて予測できないからな。なぁ?」
    晴信「」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    なんで出典が吉川家側じゃないんだよww

  4. 人間七七四年 | URL | -

    元春・元長の死期がアヤしい上に、家中の意見と違って若年の当主を据える

  5. 人間七七四年 | URL | -

    秀長さんも一緒にいたはずなのにいの一番に疑われる黒田さん。
    秀吉が次に天下を取るのはとかいったのは毒殺でも疑ってたのか?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    最近黒田家譜が民明書房とだぶってきた

  7. 人間七七四年 | URL | -

    はいはい、黒田家譜・黒田家譜。
    そもそも、吉川広家の名乗り自体が当主継承後なのに、
    どうしてその前から呼んでるんだよw

  8. 人間七七四年 | URL | -

    黒田家譜がフィクションなのは同意だが、時期に合わせて
    マメに呼び方を変えるような編纂物の方が少ないんじゃないかな

  9. 人間七七四年 | URL | -

    >7
    そんなこと言ったら現代の学術文だって一番有名な名前で通すのが多くね?

    (以下、謙信と表記)とか明言する慣習があるかどうかの差だよ

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    現代文と同列に置く事自体が間違ってるだろ。

  11. 人間七七四年 | URL | ehuBx04E

    元氏は繁沢、広家は宮庄をそれぞれ相続
    当時は広家ではなく経言だった

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