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尼子経久・興久親子不和の事

2014年06月23日 18:54

567 名前:1/2[sage] 投稿日:2014/06/22(日) 19:25:46.77 ID:ze51xFkb
去る天文元年、出雲では尼子経久が三男・興久と不慮の事態によって親子確執に及んだ。
その理由は以下の様なことである。

尼子興久は亀井能登守を通して経久に訴え、同国原手郡700貫の所領を望んだ。しかし経久は、
『原手郡が本拠である月山富田城の近辺であるので、与えることは出来ない、であるので別の場所において
千貫の所領を与える』という旨の返答をした。これに興久は納得できず

「私は思う仔細があって原手郡を望んだのだ。別の場所であれば何満貫であっても望むことはない。
きっと今度の所望が叶わなかったのは、偏に亀井能登守が讒言して妨げたに違いない!この上は
能登守を討って我が本望を達するべし!」

激怒してそのように言った。その頃、尼子経久は杵築(出雲大社)において法華経一万部を読誦させられ、
亀井能登守はその奉行として杵築に滞在していた中、興久は3000騎を擁して杵築に押し寄せる、という
風聞が広まった。これを聞いた経久は

「興久に訴えたいことがあるのなら、先ず私に言って来るべきなのに、亀井を討とうとするとは心得られぬ。
これは偏に、能登守を討つという口実で、私に弓を引こうという企てなのだ!」

そう考え、牛尾当遠江守、同三河守、卯山飛騨守に2000人余をさし添えて杵築に遣わし、能登守を伴い
道中の警護をさせて、無事、富田城に引き取った。

興久はこれを聞いて大いに憤った
「たとえ私に非分があったとしても、親として子の事を思わず、逆に郎党を助けるとは有っていいことか!」
そこで乳人の米原平内、亀井新次郎を呼び

「私は今、親子不快という状況になったが、これは偏に亀井能登守の所業のためである。この上は、
あやつはいよいよ父上に対し私を讒言し、罪に陥れようとするだろう。よって、今より一心に思い切り、
富田城に押し寄せ晴久を討ち経久を押し込め、亀井能登守は鋸挽きにしてこの無念を晴らそうと思うが、
いかがか!?」

両名はあまりのことに、暫くは目と目を合わせ閉口していたが、「正しき父に弓を引き甥に対して
剣を振るうなど、冥王の照覧も恐ろしく、不義不孝の名も末代まで朽ちないような所業です。たとえ一旦の
憤りによって経久様が仰せ付けられたのだとしても、興久様はどうかそのお考えを改めてください!

能登守はこの亀井新次郎の兄ですが、だからと言ってこのように申し上げているわけではありません。
彼に関しては、私がその宿舎に行って、兄弟で刺し違えましょう。ですので、これによって憤りを鎮められ、
父子御不快の事は是非にも止めていただけますよう。」

このように諫止したが、興久は

「私は経久を討つべしと思っているわけではないのだ。ただ富田城を乗っ取り晴久を討って、私がこの
尼子家を相続し、亀井能登守の首を刎ねた後は、父子和解して考順なすであろう。
しかし、父に盾をつくのは不孝だからといって、首を延べて軍門に下ってしまえば、能登守はたちまち私を
討つであろう。父を敬うからといって。家人に頭を刎ねられる者があるだろうか!

私は経久の軍の先陣にあって、伯耆において山名との合戦4度、その他各地の城を落とし敵を打ち倒したことは、
何度あったか数が知られぬほどだ。その私の戦果故に、いま近国は経久になびき、従っているのである。
いま私が生命を惜しまず思い切って富田城に攻め入れば、軍勢の多少によらず、ただ一時に揉み破ることが出来る
だろう。もし運が尽きて合戦の勝利を失ったのなら、富田城を枕として討ち死にし、仏とも神とも成って、怨霊として
亀井に復讐するだろう。

であるが、お前たちは経久の譜代重恩であり、特に新次郎は能登守と兄弟であり、私に与するような事は些かも
ありえないだろう。お前たち両人が急ぎ経久のもとに参りこの事を知らせるというのなら、その時私は検使を
申し請い、涼しく切腹するであろう。さあお前たちは、早々に富田に帰るが良い!」
そう、声を唸らし畳を打ちながら叫んだ。

568 名前:2/2[sage] 投稿日:2014/06/22(日) 19:26:36.26 ID:ze51xFkb
これを聞いた両名は俯いていた頭を少し上げ
「お言葉を返すのは恐れ多いことですが、仰せのように興久様が近国に武威を振るわれた事に関して、それを
知らぬものは居りません。しかしそれゆえに驕慢となり天魔の心が入り込み、このような悪逆を思し召しに
なられたのだと見て取りました。

興久様が尼子家を相続するといいますが、貴方様は騎将の器には当たりますが、数カ国を収める
数万の軍勢の大将の器には当たりません!何故かといえば、強剛勇猛のみで、五常の道をご存じないからです!
父君に対して弓を引き楯突くような御仁ではありませんか!

鳥類であっても、梟は不孝の鳥であると、諸鳥はこれを憎むと言われています。とにかく、この事は思い留まる
べきです!」

この諫言も、忠言却って耳に逆らい、おおいに立腹し
「私が一度思い立って、生きている以上、杵築大明神も智見あれ!この弓矢を思いとどまることはない!
しかし面々の異見の趣を背くのも如何なれば、私はここで自害する!
であれば、父に対して弓を引く事にはならず、各々の異見を用いざるにも非ず!」

そう言って刀の柄に手をかけた所を、両人は急ぎ腕を抑えこれを押しとどめた。そして
「この上は力なし。兎にも角にも、仰せの旨に従って共に忠戦を励みましょう。
ただし我等両名は若年の頃より経久様のご厚恩を蒙り、その上一族ことごとく富田に罷りある以上、
御疑心もお有りでしょうが、多年の興久様からの御好みを捨てがたく思いますので、たとえ骨を粉にさせられ、
肉を膾にさせられたとしても、全く恐るべきことではありません」と、両人共に妻子を人質に出し
杵築大明神の牛王の誓紙を書いて、灰にし酒に入れてこれを飲み、一筋に思い定めることを表明すると、
興久も快く、金作の太刀を両人に与えた。

(芸侯三家誌)

尼子経久・興久親子不和についての逸話である。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

    ああ言えば
    こう言う

  2. 人間七七四年 | URL | -

    なんかグダグダな関係だね。ちゃんと話し合わないから変な所で
    心が擦れ違う典型な出来事だよ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    びっくりするほど頑なで盛大なヒステリーを起こしてる感じ。

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