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大友義統の降伏

2014年07月08日 19:00

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/07(月) 20:28:43.34 ID:GvJF/riw
慶長5年(1600)9月13日、豊後国速見郡石垣原で、西軍である大友義統の軍と、東軍の黒田如水の軍とが
戦った石垣原の戦いが起こり、大友軍はこれに打ち負けた。


翌14日、如水は義統の籠もる立石に押し寄せると、軍勢の配当を定め、先陣は母里太兵衛(友信)となった。
この時、義統方は昨日の敗戦により多くが逃亡し、残っている人数は800人ばかとなっていた。
黒田家の家老たちは「この軍勢で速やかに攻め寄せ、大友を討ち果たしましょう。あの有り様に成り果てても、
もし時間を与えては、また難しいことになるでしょう。」と申し上げた

しかし如水はこれを聞くと
「いやいや、合戦は無用である。扱いをかけ、大友を降参させて、生け捕って京都に送るべし。
先年、私が筑紫に下国してきた最初から、義統とは別して良い関係であった。今になって敵になったからと
いって、私の方に恨みがあるわけではない。また、今無勢になったからといって、情けもなく飼い鳥を殺すような
真似はしたくない。

それに、大友がいくら弱いと言っても、討ち果たすほどの戦いをすれば、味方にも損害が出る。
今回の戦争は今度に限ったものではなく、何時まで続くかわからないのだから、何としてでも
手勢を損なわないようにしなければならない。

母里太兵衛、扱いをしてみよ。『今日のうちに和議が整わなければ明日押し寄せ一人残らず打ち取る!』と
義統か田原紹忍(親賢)を強かに脅すべし。脅せば必ず降参の詫び言をするであろう。

昨日討ち取った者達は、大友家では名のある勇士達であった。しかし、かの家で身分高い者達のうち、
紹忍の首だけが見えなかった。彼は日頃臆病の名高き者であるから、紹忍方に申し使わせば、
必ず和睦に同心するであろう。物慣れたる者を使いとして、早く申し遣わすように。」

そう命じたため、太兵衛より使いを遣わした所。案の定紹忍は同心して義統に降参を勧めた。
大友義統も今や叶わぬと思い、使者を母里太兵衛の陣まで遣わし、降参を乞うた。
如水はこれを聞くと「降参のこと、一段と然るべきことです。内府(家康)へは良きように
申し上げますので、きっと罪もご赦免あるでしょう。残された士卒皆々の命は助けます。
ですので早くこちらに出てきてください。」と申し遣わした。

かくて大友義統は剃髪の姿と成って、主従10人ばかりにて、9月15日の早天、密かに母里太兵衛の陣屋へ
降伏した。残党たちは思い思いに落ちて行った。

(黒田家譜)

黒田家譜より、大友義統降伏の模様である。



645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/08(火) 19:52:37.87 ID:sx1Vv9RD
>>644
これは官兵衛のいい話じゃないのか?
黒田家譜にしては現実的な。

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/08(火) 20:02:58.14 ID:c9kq5T7b
田原紹忍ってまだ生きてたんだ
とおもったらこの1ヶ月後戦死か

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | Cnub/O7I

    ばか800人

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この時点で京都に送っても毛利の援軍引き連れて九州に戻って来るだけじゃないですかね?
    どうしてこう貝原益軒は詰めの甘い文章を書くんだか

  3. 人間七七四年 | URL | -

    このまま大友の蜂起を認めると豊臣政権に反逆したことになるんじゃないでしょうか?別に豊後が領地と再任認されたわけでもないですし、ですので東軍西軍いずれが勝っても戦後処理で京に送っても黒田家的には適確な判断ではないでしょうか

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    歴史書じゃなくて物語だからそれで良いんだよ。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    本スレ645に同意

  6. 人間七七四年 | URL | -

    >情けもなく飼い鳥を殺すような
    >大友がいくら弱いと言っても
    思い切りに心根が出てるやんw

  7. 人間七七四年 | URL | -

    でも義統に関しては強ち間違いでもないというか、言われても反論できないのがなんとも言えない...

  8. 人間七七四年 | URL | -

    義統については、別府で「黒田官兵衛と石垣原の戦い」達人ガイド散策に参加した時
    「ええと…彼は凡愚というか暗愚というか…」とか「恩もないのになぜ西軍についてしまうのか」
    とか「朝鮮出兵で失敗しなければ、豊後30万石(ぐらい)の大名でいられただろうに…」
    などと言われてしまってましたね…

    田原紹忍は、黒田家譜では臆病者扱いされていますが、ウィキでは>敵である島津方の史料では「大友方でもっとも奮戦していたのが田原紹忍」と記述されていることもあり、実際の戦場での親賢の働きぶりは明確ではない。
    となっているから、人物像が定まらないです。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    いくら本文の間違いとはいえ
    平気でばかと言う人間にはなりたくないものだ…

  10. 人間七七四年 | URL | -

    残った人たちは立派だよ。似非関西弁キモい。心根出てない。
    揚げ足とってはしゃぐばか1人(※1)

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