FC2ブログ

草が風になびくような

2014年07月12日 19:30

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/12(土) 10:19:14.54 ID:amolp6fl
せっかくなんで、「徳川実記」家康公伝より
三好に追われた義輝を匿ったり、金ケ崎の信長逃亡を手助けしたり、の朽木元綱関連の話を

関ヶ原で金吾に引き続き脇坂、赤座、小川といっしょに寝返った朽木元綱
夜になってから、細川忠興を頼り家康本陣にご機嫌伺いに参上し、
「元綱が一旦敵方になっていた罪は言い逃れできませんが、脇坂安治の陣に従い、
お味方する意志を示しました。
どうかお許しをいただき、今後忠勤させてください」といった。
家康は
「お前のような地位の低いものは、草が風になびくようなものであるから、深く責める必要はない。
本領安堵はこれまでと変わらない」
とおっしゃったので、元綱も家康の寛容さに感動し、涙を流しながら退いたそうだ。

本領安堵とはいえ嫌味を言ってる気もするので悪い話に




672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/12(土) 11:29:30.95 ID:2gB85Ays
実際の所、適当な理由付けて許してやらんと
仲介者の面目が立たんし

スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    秀秋と一緒に裏切った面子のうち、脇坂安治は最初から内通していたから加増、
    あとの3人(小川祐忠、赤座直保、朽木元綱)は最初から内通していなかったけど、
    朽木元綱だけは改易されずに半減、後の二人は改易って差はどこからきたんだろう…

  2. 人間七七四年 | URL | -

    小川さんは没落したことで却って子孫が重要な役割を江戸幕府で果たした稀有な例だよね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ん~単純に家康との親疎じゃないかな
    朽木は金ケ崎で一応面識あるけど小川と赤座は家康と接点なさそう
    なんのかんのでこういう時って付き合いの深さがモノを云いそう

  4. 人間七七四年 | URL | -

    龍伯「引きこもって粘れば、所領安堵は勝ち取れるんだよ」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    話はちょっとずれるが小山田信茂は穴山・木曽と違って内通してなかったのかなぁ
    小山田クラスならとっくに調略されてそうなものだが

    米3
    孕石「せやな」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    >4殿
    その粘りもかなり大変だったようで…
    最悪の場合、京に上洛した時に義弘の首を求められたら代わりに自分が切腹し
    ことを治める考えだったと桐野作人先生の本にありました。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    孔明「でもそなたは斬る」
    魏延「!」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    朽木さん家も色々と苦労が絶えない家だから世渡りは上手いのでしょう。
    実際元綱は豊臣性、子孫は小大名ながらも3男が立藩。本家も旗本として
    存続してるし。他にも高家と繋がり持ったし、まぁ幸せなほうだよね。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    鎌倉時代から続く近江源氏の庶流で平氏嫡流との繋がりもある名家
    足利将軍家との独特な関係もあり、畿内に古くから根をおろし、小勢と言えども簡単には無視できない存在
    いあむしろ小勢だからこそ減封で許されたのか、あるいは時の権力者への特別な奉公がこの時も特例として認めれたのか
    ※3氏の言うように親疎の度合いもあったかもしれない
    家康は新田源氏と名乗ってる手前、源氏の子孫の家とはかなり親しい関係を築いているので、戦前もそれなりの付き合いがあった可能性は高い

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/8605-277aa400
この記事へのトラックバック