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慶長八年の御成

2014年08月08日 19:13

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/08(金) 00:44:17.31 ID:UbC4BRbC
慶長8年(1603)1月28日、徳川秀忠は江戸桜田の、上杉景勝の屋敷を訪問した。
これは関ヶ原後、上杉家に対する初めての御成である。

この時景勝は、直江山城守(兼続)はじめ3人のみを邸内に置き、その他の家士は皆下屋敷に
つかわし、門々の警護は徳川普代の諸大名に頼み、徳川家の御家人に諸事を扱わせた。

後でこれを聞いた徳川家康は、景勝は分別者であると大いに感じ入ったそうである。

また、上杉景勝は当時、石田三成の第一の与党であったと考えられていたため、そこに
御成まであったと言う事に、これを聞いた、かつて西軍に与した西国上方の大名たちは皆
「もはや我々に患いはない」と安心したとのことである。

(徳川実紀)

徳川秀忠の、上杉景勝邸への御成のお話。




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    > これを聞いた、かつて西軍に与した西国上方の大名たちは皆「もはや我々に患いはない」と安心したとのことである。

    秀忠「そうだね安心だね」(暗黒微笑)

  2. 人間七七四年 | URL | -

    実際にこの後ひどい目に合うのは、東軍に与した西国上方の大名たちだもんなw

    それはさておき、慶長8年ならまだ秀忠は将軍ではないのに御成と呼ぶのにちょっと驚いた。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    慶長8年じゃなくて元和8年では?
    外様大名で一番最初に秀忠の御成があったのは
    元和3年の前田利常んとこな。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    この話と同じですよね?(いつのことかは書いてませんが)

    上杉景勝邸への御成り・悪い話?
    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/454-8a954162

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >2
    出典が幕末完成の徳川実記だから
    将軍になる前・後関係無しに「御成」とかいう尊敬語は使われて るのは自然だと思うよ

    >3
    元和だったら、何で直江が出てくるの?って話しになると思う
    あなたが言われてるのは多分、“将軍として”の初御成が前田利常という事では?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    徳川実記は時系列が狂ってる部分も多いと聞いたぞ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    >「もはや我々に患いはない」と安心したとのことである
    西国上方の大名「そんなふうに考えていた時期が俺達にもありました」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >1

    秀忠時代はむしろ大名家を残そうと腐心しているぞ。
    御家争いがあってもそれを理由に断絶というのは殆どなく(最上騒動
    は、幕府の面子を潰した方がでかい)無嗣断絶も、だれか後継げる
    奴がいれば可能な限り残そうとしている。

    福島正則くらいだろうなあ。問答無用で取り潰されたの。
    それもどちらかというと幕府内の勢力争いのとばっちりだし。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    なぜか氷風呂を用意している景勝主従が思い浮かんだ

  10. 人間七七四年 | URL | -

    正則の改易は史料を追っていくと自業自得としか思えない状況

  11. 人間七七四年 | URL | -

    福島正則は何故あんな対応したのか確かに良く分からない。
    本人は多分良かれと思ったのかな?

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