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鮭延落城後の鮭延秀綱

2014年08月22日 13:48

989 名前:sc→net未反映分のコピー[sage] 投稿日:2014/08/22(金) 04:17:34.80 ID:k/wP8bZN
鮭延落城後の鮭延秀綱

羽陽大梵寺(大宝寺)の城主・藤原駿河(武藤光安)は庄内大山の武藤義氏(大宝寺義氏)の一族の中にあって武威を誇っていた

しかし光安は乱暴なところがあり、大山の義氏には従わず、大宝寺城下で勝手に政事を敷いていた

一方の大宝寺義氏も領民に圧制を強いて「悪屋形」と呼ばれる程評判は良くはなかった

義氏は光安を排除しようとしたが、攻め切るには兵力が足りず、また、大山と大宝寺は近い場所にあったために、義氏派と光安派はあちこちで衝突を繰り返していた

そんなところに兼山の戦いで兵糧攻めにより落ち延びて来た鮭延秀綱らが現れた

鮭延秀綱「庄内では大山の大宝寺義氏の権威が霞むくらいに武藤光安といった者に勢いがあるという」

秀綱は武藤光安を訪ねた

光安「鮭延殿の武功は聞こえ及ぶところ。ゆっくりしていくが良い」

秀綱は光安に仕える事となったが、光安が些細な事で癇癪を起こし、近習や郎党を斬り殺すのを目の当たりにすると

秀綱「噂に聞いていた以上に乱暴な主君だ…
仕える家を間違えたな。
今は後悔しかしていない。
越後に流れて上杉家に仕えるか…
しかしもう少し庄内に留まって土地の倣いを覚えるか」

と志ならず(仕方なしに)滞在を延ばす事となった

「奥羽永慶軍記」

武藤光安は実在が不確かとされ
また鮭延秀綱は本来最上義光による鮭延城攻めの後に大宝寺義氏を頼った事から
色々と歴史事象との矛盾を含む悪いお話





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    今回は逸話ですが、やはり武士が家に仕えた際に「ヤバイ家に仕えちゃったなぁ」って
    状況は沢山あったのでしょうねぇ。現代のブラック企業に似た部分がありますね。

  2. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    森家家臣「ヤバい家に仕えちゃったなぁ…」
         ↓ 三ヶ月後
    森家家臣「ヒャッハー!」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    三ヶ月だと入社後の研修期間中にその企業色に染まってしまった感じだねw

  4. 人間七七四年 | URL | -

    (´・ω・`)「そ、そなた姓を変えたりしてないだろうね?ビクビク」
    志村光安「?」

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