982 名前:sc→net未反映分のコピー[sage] 投稿日:2014/08/22(金) 00:23:14.55 ID:k/wP8bZN
過分の酒
天正18(1590)年、小田原平定が成ると最上義光は太閤秀吉から「わ主(お主)のところに野邊澤(延沢満延)といった剛の者がおるじゃろ。是非ゆっくり会うてみたいものじゃ。上洛の折りに同道させよ」との命を受けた
京には諸侯が同様に腕利きの家臣を連れて来ていたが、武勇で知られた満延の下には入れ替わり立ち代わり、様々な大名家から「是非にいくさの話を聞きたい」「武辺の満延殿と親交を深めたい」と宴への誘いが連日の様にあった
義光も満延も特に断る理由を持たなかったために
諸将との交歓を行った
夜分遅く京の最上屋敷に従者に抱えられる様に帰る、赤ら顔の見なりの高そうな武将(満延か?)の姿があったと伝承が残る
秀吉へのお目見えも無事済み、京で新年(1591年)を迎えた最上義光は従四位下侍従に叙せられ、一旦出羽へと帰国する運びとなった矢先に満延が倒れた
半身不随となり、呂律も上手く廻らない満延を義光は大変不安に思い「ゆっくり養生せよ。又五郎(満延の息子)の事は心配せずに任せよ。無理はせず、身体が治ってから山形に戻って来よ」と多額の薬代と当座の生活費と治療費、それに旅費を屋敷に残る満延の郎党に渡した
義光が京を離れしばらくし、満延は回復する事なくこの世を去った
享年48、脳溢血と伝えられている
過分の酒
天正18(1590)年、小田原平定が成ると最上義光は太閤秀吉から「わ主(お主)のところに野邊澤(延沢満延)といった剛の者がおるじゃろ。是非ゆっくり会うてみたいものじゃ。上洛の折りに同道させよ」との命を受けた
京には諸侯が同様に腕利きの家臣を連れて来ていたが、武勇で知られた満延の下には入れ替わり立ち代わり、様々な大名家から「是非にいくさの話を聞きたい」「武辺の満延殿と親交を深めたい」と宴への誘いが連日の様にあった
義光も満延も特に断る理由を持たなかったために
諸将との交歓を行った
夜分遅く京の最上屋敷に従者に抱えられる様に帰る、赤ら顔の見なりの高そうな武将(満延か?)の姿があったと伝承が残る
秀吉へのお目見えも無事済み、京で新年(1591年)を迎えた最上義光は従四位下侍従に叙せられ、一旦出羽へと帰国する運びとなった矢先に満延が倒れた
半身不随となり、呂律も上手く廻らない満延を義光は大変不安に思い「ゆっくり養生せよ。又五郎(満延の息子)の事は心配せずに任せよ。無理はせず、身体が治ってから山形に戻って来よ」と多額の薬代と当座の生活費と治療費、それに旅費を屋敷に残る満延の郎党に渡した
義光が京を離れしばらくし、満延は回復する事なくこの世を去った
享年48、脳溢血と伝えられている
スポンサーサイト
コメント
人間七七四年 | URL | -
(*⚫︎◯^*)作戦通りなんだ!
( 2014年08月22日 16:31 )
人間七七四年 | URL | -
脳内出血だからタイトル通り、確実に過度なアルコール摂取が原因でしょうね。
やはりお酒の飲みすぎは人生を破壊しますね。
( 2014年08月22日 17:01 )
人間七七四年 | URL | -
「飲み過ぎたのは~あなたのせいよ~♪」
さて誰に対して言ったのやら…
( 2014年08月22日 19:29 )
人間七七四年 | URL | -
敵将暗殺とは鮭様のお株を奪われたな
( 2014年08月25日 09:52 )
コメントの投稿