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「今日の芳志、絶対に忘れない!」

2014年08月29日 18:54

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/28(木) 21:13:22.38 ID:4zOv+m4z
毛屋主水武久は佐々成政に仕えていたが、成政の切腹のあと、中津に来て黒田家に三百石で仕えた。

さて、天正十八年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐の結果、蒲生氏郷が伊勢松坂十二万石から、
会津四十二万石を賜った。氏郷は俄に大大名と成ったため、この時毛屋主水に、一万石で
自らに仕えるようにと密かに書状を送った。

しかし、主水はこれに
「只今私に高禄を賜るとのことですが、朝鮮への出兵をひかえて他家に移るというのは、
私の本意ではありません。
もし、つつがなく帰朝できましたら、御意に従うでしょう。」
と、断った。

氏郷と主水の間には、かつてこのような事があった

羽柴秀吉による播磨三木城攻めの頃、毛屋主水は山崎源太左衛門(片家)に仕えていた。
この頃彼は、田原金十郎と名乗っていた。

さて、その三木城攻めの最中、秀吉の軍は敗北し、これに参加していた蒲生氏郷の部隊は郎従ら皆逃げ去り、
氏郷の身も危うし、との時、毛屋主水が馳来て近づく敵を追い散らした。
そして氏郷に向かって言った

「私は田原金十郎と申して、山崎家の家人です。貴公と我が主君とは不和ですが、
只今の急難、見捨てがたきによって救い奉る!」

これに氏郷は感激し、主水に向かい「今日の芳志、絶対に忘れない!」と叫んだ。

これ故に、氏郷は兼ねてから毛屋主水の武勇をよく知っており、かつ、昔の忠節を思い出し、
あのような書状を出して、大禄を遣わして召し抱えたいと言ってきたのである。

(黒田家臣伝)



633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/28(木) 22:09:17.22 ID:6ZpOri4S
>>632
さすが工場長。いつでもスカウトを忘れないな。

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/28(木) 22:20:06.89 ID:8aXF40D2
いつも断られてる気がするが。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    もしも仕えていたら、蒲生姓と郷の一字拝領があったろうな~(笑)

  2. 人間七七四年 | URL | -

    山崎さんと工場長の家は、同じく六角家の武将として使えていたから面識があったろうけど、
    何らかのトラブルってあったかな?調べても出て来なかった。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    観音寺騒動で反六角の山崎と六角側の蒲生で対立してるし、
    その流れで信長にいち早く下った片家と最後まで抵抗した工場長の父ちゃん賢秀
    そのくせレオンはノブノブお気に入りとあっちゃ仲がいい方がおかしいですわこりゃ
    特に片家側は目の敵にしてもおかしくない

  4.   | URL | -

    Wikiでは関が原の折に家康から饅頭もらった人になってるね。お駄賃かよww

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ああいうのは、あとで正式に褒美をやるよってサインじゃないか

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※3さん
    情報有難う御座います。
    蒲生さんの家の立場から言えば、あの場での収拾は止むを得ないと思います。むしろ個人的
    には蒲生親子(祖父・父)が六角家に忠誠心を抱いていたと感じました。
    山崎さん家にしても所詮は国人領主ですし、原因があるとは云え主家の六角家に隙があれば
    独立を企むかと。

    また、山崎家も蒲生家が留守を預かる安土城守備に付いていたと云う話しもあるので、
    それ程仲が悪いと言う印象は無かったです。やはり、歴史書毎の解釈で違うのでしょうね。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ○○が一番恐れた男!!とかと同じか>>工場長が認めた男

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