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慶長5(1600)年9月15日、直江兼続の手紙

2014年09月11日 18:50

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 13:51:09.60 ID:6EVqz2OS
慶長5(1600)年9月15日の直江兼続の手紙

「(秋山定綱殿へ)
(13日に畑谷城を落とし、)昨十四日最上居城に向け在陣し候處に
山形近辺の城五六ヶ所是も明け逃げ候
此の外二三ヶ所降参し候
仕置丈夫に申し付候
近日に隙明け申す可く候
御心安かる可く候」
『編年文書』

直江兼続は畑谷から富神山を抜け、軍の一部を菅沢から長谷堂北の平地にも展開した

その夜、長谷堂の鮭延秀綱の切り込み隊とは別に山形城からは夜陰に乗じて楯岡光直と清水義親の軍兵800が直江軍の本陣を突こうとしたが、水原親憲の鉄砲隊に奇襲を予期され、兵200ほどが討ち取られた

「尚々此書中調候半ばに敵働き候由申し候あひだ則ち乗り出し
敵の打つけにのり頸弐百余り取り候
飛脚見分の如くに候」
(手紙を書いてる途中に最上軍からの夜襲があり、迎撃して敵の首級を200ほど上げました)
『編年文書』

兼続は近日中には山形城も落とし、最上攻めはすぐにも終わるでしょうと結んでいる

長谷堂合戦序盤の
直江兼続の意気揚々振りを伝える手紙

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 13:56:55.21 ID:6EVqz2OS
同じ頃上泉泰綱も小山田将監へ手紙をしたためていた

「庄内人数白岩さが江(寒河江)迄請取り在陣候」
(庄内の志駄義秀と下吉忠らの別動隊も最上領の白岩城や寒河江城を落とし、着々と軍を進めています)

『小山田家文書』

関ヶ原の戦い直前の時期の
地方の戦いの一幕




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    敵攻めてきたなう みたいな感じか。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    山形県の詳細地図を見ると、畑谷・長谷堂・寒河江・白岩って結構喉元まで攻められているのが判る

  3. 人間七七四年 | URL | -

    長谷堂の戦いって実は最上さんが余裕で直江をフルボッコにしたとかネットで書かれたりしてるけど、実際かなりきわどいとこまで追い込まれてるのよね

  4. 人間七七四年 | URL | -

    山形城へ行った時に、郷土史を研究している方達の展示があって、それを見ると、
    長谷堂城までの上杉の進軍は「時間的にも素早かった=どんどん最上の支城が落とされていく」みたいな印象を持った。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    9月15日頃までに上杉軍の勢力下になった城(開け逃げを含む)
    鳥谷ヶ森城、八ツ沼城、畑谷城、白岩城、谷地城、寒河江城、延沢城、清水城、中山長崎城

    9月中旬時に持ちこたえていた最上方の城
    山形城、上山城、長谷堂城、中野城、天童新城、楯岡城、東根城、左沢城

  6. 人間七七四年 | URL | -

    これだけの城を放棄しても崩れないのは、なかなか無い。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    慶長5年9月15日(1600年10月21日)

    関ヶ原の戦いは
    この日の昼間に決着がついていたりする

    地方に詳細が届くには
    当然時間はかかる

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