777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/13(土) 22:53:07.71 ID:Uftp3aAu
義元の討死の事を記した書物に『最期は机にかかり、少しも動かずにおられたところを
服部小平太と毛利新助が討ち取った』というのは、虚説である。元来、義元は勇将では
あるが、床机の周りを固める者もいないのに、一人で床机におられることだろうか。
もし、その通りならば無謀の死である。
信長は今川家の虚を察しなさり、本陣の後ろの山根を押し回って、後ろから攻め寄せ、
馬武者で義元の本陣を縦横に乗り破り、騒動に乗じて突き崩した。今川方はただ上下
とも驚いて慌てふためき、槍を取る間もなく、皆太刀打ちした。
織田方は槍を揃えて突き立てたので、真っ先に進んだ者たちは枕を並べて討死した。
その他にも、負傷や逃亡によってまばらになったことだろう。それまでも義元は
床机に腰をかけ、周りを命じておられた。そこに庵原左近と同庄次郎が馳せて来て、
「本陣の軍士は過半が討死し、備えもまばらになりましたので、何と思し召され
ましても叶いますまい。ここは一先ずお退きになってください」と、申し上げて
馬を引き寄せ、義元をかき乗せた。
この時、元康公がお付け置いた松平某も義元の前へ来て、「元康は大高の城に
おられますので、そこへお引き取りください」と申し上げ、庵原兄弟と松平某の三人が
供をして、大高を目指して退いて行った。
これを見て、島田左京、澤田長門守、岡崎十兵衛、上和田雲平、今井主馬、
平山十之丞、長瀬吉右衛門、平川左兵衛、福原主税らが馳せ来たり、同じく供をして
退いた。しかし、馬備えが散乱したため、馬に乗る手立てが無く、皆々歩行で従った。
義元は胸白の鎧に、金で八龍を打った五枚兜を被り、赤地の錦の陣羽織を着ていた。
また今川重代の2尺8寸の松倉卿(松倉郷)の太刀と、1尺8寸の左文字の脇差を
帯びて、5才の青毛の馬には金履輪の鞍を置き、紅の尻繋を掛けてお乗りになった
ので美しく、遠目にも「これこそ大将である」と思わぬ者はいなかった。
信長方は四方へ落ち行く者には目もかけず、「どこまでも逃がさぬ」と先を争って
追いかけた。そのため、島田左京や澤田長門守を始め12人の者たちはとって返して
戦うも、徒歩であるうえに戦いには疲れて皆々討死し、義元は一騎となられた。
そこへ服部小平太は一番に追い付き、言葉をかけて近寄った。義元も「心得た」と
馬を引き返しなさったところを、小平太は駆け寄って朱柄の長刀の槍で、義元の
弓手の脇腹をひどく突いた。
けれども、義元は聞こえた強将なので少しもひるまずに太刀を抜き、小平太の槍の柄を
切り折り、馬から下り立った。小平太が槍を捨てて組み合おうとすると、義元は抜き
放っていた太刀で払い切りになされ、太刀先が下って小平太の膝口を切り付けなさった。
小平太は少しも堪えられずに後ろに倒れたため、あわや討たれてしまうと見えた
ところに、毛利新助がすかさず横合から駆けて来て、むんずと義元と組み合った。
義元は初めに小平太が突いた槍で傷を負ったままで、最後には新助が組み勝って
義元を討ったということである。
――『明良洪範続編』
778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/14(日) 02:38:03.48 ID:Ilnqnsko
「少しも」良く使うね
779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/14(日) 10:05:57.39 ID:VFSr4d1f
今川義元はちゃんと馬に乗ってるな
良く言われる、今川義元が馬に乗れないなんてどっから出て来たんだろな
780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/14(日) 10:13:51.36 ID:Wq8euVbd
室町幕府から有力大名として塗輿を許される
→輿に乗っているから馬に乗れない、と曲解される
義元の討死の事を記した書物に『最期は机にかかり、少しも動かずにおられたところを
服部小平太と毛利新助が討ち取った』というのは、虚説である。元来、義元は勇将では
あるが、床机の周りを固める者もいないのに、一人で床机におられることだろうか。
もし、その通りならば無謀の死である。
信長は今川家の虚を察しなさり、本陣の後ろの山根を押し回って、後ろから攻め寄せ、
馬武者で義元の本陣を縦横に乗り破り、騒動に乗じて突き崩した。今川方はただ上下
とも驚いて慌てふためき、槍を取る間もなく、皆太刀打ちした。
織田方は槍を揃えて突き立てたので、真っ先に進んだ者たちは枕を並べて討死した。
その他にも、負傷や逃亡によってまばらになったことだろう。それまでも義元は
床机に腰をかけ、周りを命じておられた。そこに庵原左近と同庄次郎が馳せて来て、
「本陣の軍士は過半が討死し、備えもまばらになりましたので、何と思し召され
ましても叶いますまい。ここは一先ずお退きになってください」と、申し上げて
馬を引き寄せ、義元をかき乗せた。
この時、元康公がお付け置いた松平某も義元の前へ来て、「元康は大高の城に
おられますので、そこへお引き取りください」と申し上げ、庵原兄弟と松平某の三人が
供をして、大高を目指して退いて行った。
これを見て、島田左京、澤田長門守、岡崎十兵衛、上和田雲平、今井主馬、
平山十之丞、長瀬吉右衛門、平川左兵衛、福原主税らが馳せ来たり、同じく供をして
退いた。しかし、馬備えが散乱したため、馬に乗る手立てが無く、皆々歩行で従った。
義元は胸白の鎧に、金で八龍を打った五枚兜を被り、赤地の錦の陣羽織を着ていた。
また今川重代の2尺8寸の松倉卿(松倉郷)の太刀と、1尺8寸の左文字の脇差を
帯びて、5才の青毛の馬には金履輪の鞍を置き、紅の尻繋を掛けてお乗りになった
ので美しく、遠目にも「これこそ大将である」と思わぬ者はいなかった。
信長方は四方へ落ち行く者には目もかけず、「どこまでも逃がさぬ」と先を争って
追いかけた。そのため、島田左京や澤田長門守を始め12人の者たちはとって返して
戦うも、徒歩であるうえに戦いには疲れて皆々討死し、義元は一騎となられた。
そこへ服部小平太は一番に追い付き、言葉をかけて近寄った。義元も「心得た」と
馬を引き返しなさったところを、小平太は駆け寄って朱柄の長刀の槍で、義元の
弓手の脇腹をひどく突いた。
けれども、義元は聞こえた強将なので少しもひるまずに太刀を抜き、小平太の槍の柄を
切り折り、馬から下り立った。小平太が槍を捨てて組み合おうとすると、義元は抜き
放っていた太刀で払い切りになされ、太刀先が下って小平太の膝口を切り付けなさった。
小平太は少しも堪えられずに後ろに倒れたため、あわや討たれてしまうと見えた
ところに、毛利新助がすかさず横合から駆けて来て、むんずと義元と組み合った。
義元は初めに小平太が突いた槍で傷を負ったままで、最後には新助が組み勝って
義元を討ったということである。
――『明良洪範続編』
778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/14(日) 02:38:03.48 ID:Ilnqnsko
「少しも」良く使うね
779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/14(日) 10:05:57.39 ID:VFSr4d1f
今川義元はちゃんと馬に乗ってるな
良く言われる、今川義元が馬に乗れないなんてどっから出て来たんだろな
780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/14(日) 10:13:51.36 ID:Wq8euVbd
室町幕府から有力大名として塗輿を許される
→輿に乗っているから馬に乗れない、と曲解される
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コメント
人間七七四年 | URL | -
今川義元の最期は武家として見事なものなのに、ドラマではあっけなく終わる演出が多い気がする
( 2014年09月14日 19:29 )
人間七七四年 | URL | -
近年では義元=優れた武将で間違いないって論調だけど、未だにビジュアル面でのイメージは
公家文化前面押しでのデブキャラが多いんだよなぁ。信長記が一時期持て囃されたから、
やはりそれが影響しているかな。
( 2014年09月14日 19:54 )
人間七七四年 | URL | -
下克上の踏み台としてはデブの麿キャラの方が見た目がいいのではなくて?
( 2014年09月14日 20:38 )
人間七七四年 | URL | -
名も実力もある名門の今川義元を討ち取る尾張勢のほうが絵的にもいいと思うけどなあ
まあ討ち取る場面に信長がいないからドラマでは絵にならないのかもしれんね
( 2014年09月14日 21:33 )
人間七七四年 | URL | -
徳川時代だししょうがないね
( 2014年09月15日 02:46 )
人間七七四年 | URL | -
ま・だからと云って水戸黄門の一条三位の様なお公家様じゃないだけマシかな?
( 2014年09月15日 09:18 )
人間七七四年 | URL | -
公家ファッションは史実だから良くね?ってのは某ゲームの義元公超イケメン化を見て思った。
( 2014年09月15日 13:07 )
人間七七四年 | URL | -
義元のイケメン化が始まったのは「桶狭間戦記」の頃からだろうか。
自分はこの漫画で義元に対するイメージが変わった
( 2014年09月15日 14:11 )
人間七七四年 | URL | -
武将がイケメンである必要はないよな…特に優男。
義元再評価は誰から?
おわだ?
( 2014年09月15日 14:21 )
人間七七四年 | URL | -
毛利さん、この時義元に指食べられちゃったんじゃなかったっけ?
( 2014年09月15日 17:14 )
人間七七四年 | URL | -
米8
その後の信長の野望天道でもイケメンになったよね
( 2014年09月15日 17:16 )
人間七七四年 | URL | Z3orHX/M
「風林火山」の谷原義元もかなり影響あると思う>イケメン化
信長の野望天道のいきなりのイケメン化は間違いなくこのせい
義元の公家服や輿は「過去の権威にのっとっている」のを分かりやすく示すから使われるんだと思う、それだって力があるからついてきたものなんだがね
( 2014年09月15日 17:58 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
今川義元が暗愚じゃないなら
桶狭間の合戦で大軍を率いてきて落ち延びれずに死んだ大名は何なんだろう?
桶狭間の合戦で今川義元が死んで、今川家が武田家の侵攻を受けて滅んだとする今までの史実を否定しない限り
暗愚の方が合理的な歴史になる
それに、流石に馬くらいは乗れるようになるまて仕込まれてるだろうが、
寺で(スペアとして?)育てられてて太刀なんてまともに扱えたのか、甚だ疑問だが
山梨の信玄オシの向こうを張って静岡(遠州)も探してるんだろうが
蹴鞠名人で売り出した方が無難だと思うんだが
( 2014年09月16日 12:40 )
人間七七四年 | URL | -
じゃあ信玄死んでから滅亡した武田も信玄が暗愚だったんだな
これもう(合理性の定義が)わかんねえな
( 2014年09月16日 12:46 )
人間七七四年 | URL | -
義元は「東海一の弓取り」とまで評されていた人物で、
遠州一体を支配下に置き、信玄は義元にびびり、
北条は出だしできずって人物なのに、暗愚ってなぁ。
義元の失策はただ一つ。人智にはどうすることもできない、
「歴史の波」に勝てなかっただけよ。
( 2014年09月16日 19:02 )
人間七七四年 | URL | -
義元さんに関しては運が悪かったんだなとしか(´・ω・`)<信長だって失敗してたら「追い詰められ自暴自棄になって大軍に突撃したバカ武将」って評価になるだろうし
( 2014年09月16日 20:21 )
人間七七四年 | URL | -
負けて死んだ=暗愚なんて言い出したら、負けまくっても死ななかった小田氏治や京極高次は超賢明と言わなきゃならないが…その覚悟があるのか
( 2014年09月16日 22:46 )
人間七七四年 | URL | -
※13は釣りなの?それとも本気の頭がアレな人なの?
あまりに自分の考えが当然みたいな感じの人は、コミュ障を通り越して
ヤバイ人にしか見えないよ?
( 2014年09月17日 02:58 )
人間七七四年 | URL | -
※13は暗愚とはこういうものだと自ら語ってくれているのだろう
( 2014年09月17日 07:23 )
人間七七四年 | URL | -
討ち取られたかどうかの違いは有れど
大坂夏の陣で本陣に突っ込まれて旗まで倒されてぎりぎりで助かった家康も同じ行動パターだよな
( 2014年09月17日 19:07 )
人間七七四年 | URL | -
理解不能
( 2014年09月17日 22:59 )
人間七七四年 | URL | -
※13をよく読んでみると、※13氏は今川義元と今川氏真を混同しているような気がする。
まったく無関係とはいわんけど桶狭間で死んだ後のことまで義元の実績として評価するのは違うんじゃないかな。
( 2014年09月18日 12:31 )
人間七七四年 | URL | -
でも氏真も親父より能力は無かったが、
暗愚と言われるとまた違う気がする。
( 2014年09月18日 19:00 )
人間七七四年 | URL | -
信長「そーのーとーきー よーしーもーとー すーこーしーもー さーわーがーずー」
義元「舟弁慶か」
( 2014年09月19日 11:35 )
人間七七四年 | URL | -
漫画「新信長公記」がこの説に従って描かれてたかな?
大河ドラマでもこっちの演出でやってくれないかな?
( 2015年03月12日 13:18 )
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